読書の記録

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まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書

2024年12月23日 | 実用
まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書

阿部幸大
光文社


 年の瀬も迫った頃にようやく読んだのだが、評判にたがわずめちゃめちゃ面白かった。今年読んだ本のベストワンかもしれない。
 刊行時から話題を呼んでいたものの、さすがにこちとら企業勤めのサラリーマン、もちろん論文など書くことなどなく、いまさら「アカデミック・ライティング」でもないなとスルーしていたのだが、信頼のおける後輩から「いやあれ、めちゃ面白いっすよ!」と酒の場で勧められ、しからばと購入したところ大当たりだった。

 なるほど。本書は大学生や研究者を対象にした論文の書き方指南書ではあるに違いない。
 だけれど、読みようによっては本書は広くこの世に働く者、世に真価を問いたい者に敷衍できる内容をもっているのではないか。少なくとも、最近疲れ気味の停滞気味の僕にとってはバッドで殴られたかのような衝撃を受けたのだった。毎日なくもながなの提案書や報告書を生産しているホワイトカラーの僕にとって本書は間違いなく、襟を正せるものだった。

 本書は、世の中にあまたある「論文の書き方」本であるけれど、本書の白眉は、冒頭の第1編【原理編】と、最後の【発展編】にあるのではないか。いや、この二編こそが本書をして生半可のビジネス本を形無しにしてしまう名ビジネス本とまで呼べそうな域に押し上げていると断言してしまおう。


 第1編 【原理編】では「アーギュメント」とは何か、ということを取り扱っている。「アーギュメント」とは「主張」のことだ。
 本書では、良いアーギュメントは「AがBをVする」という文章で言い切れる主張である、と喝破している。すなわち「要は何が言いたいの?」である。
 何かを報告するなり提案するなりの場面で相手からこのように突っ込まれてしどろもどろした経験があるビジネスマンは多いはずだ。もちろん僕も何度も食らわされていてイヤな思い出だ。ビジネス界ではこのような「要は何が言いたいの?」を端的に言い切る短めの報告のことをエレベータープレゼンとかエレベーターピッチと呼ぶ。キーマンとたまたまエレベーターで乗り合わせたときに目的階に着くまでに売り込むことができるか否かからこの名がついた。キーマンが食いつかない「主張」は提案としてダメなのである。
 ここで「AはBをVする」というSVO構文みたいな英語他動詞構文をもじっているのも本書によればちゃんと理由がある。この構文でずばっと言い切る(多少な躊躇を覚えるくらいの勇み足で)ことができるのがよくできた「アーギュメント」なのだ。論文しかり、ビジネス提案しかりである。

 さらには、その際にキーマン(アカデミック論文で言えば査読者)が心動くアーギュメントは、これまでの通説を否定してくるもの、というのが特に人文学系研究では大事というのが本書の指摘である。つまり「常識を覆す」ものということなのだが、もちろん、それはちゃんと論証しなければならない。

 つまり、誰かが言っていることを二番煎じで繰り返したり、調べればすぐにその証拠が出てくるようなものでは「アーギュメント」にならないのだ。また、前提を誰もが知らないようなことをとつぜん持ち出しても「アーギュメント」にはならない。

 自分の仕事を顧みても、採用されなかったり黙殺されるレポートや提案書は、やっぱり「アーギュメント」がなかったな、と思い至る。時間がなくてやっつけ仕事だったり、気乗りがしなくてなあなあで済ませてしまったものだけでなく、新しい手法を試してみたくてやったものとか、斬新さにこだわりすぎてしまったものなんかでポシャってしまったものを顧みてみると、確かに手法が先に立ちすぎて結局何が言いたかったのかを「AはBをVする」という形で説明しようとするとバシッと決められないのだ。反対に、逆境をものともせずにモノにした仕事や、競合相手から競り勝った仕事は「アーギュメント」があったように思う。あらためて「AはBをVする」という構文でセンテンスをつくろうとするとちゃんとできることに気が付く。

 そして冷静に見渡されれば、僕や僕の部下たちによって日々量産されるレポートや提案書の多くがアーギュメントを喪失している。ビジネス上のルールや会社の有形無形なお作法には準じていて外形的なつじつまはとれているものの、中身はスカスカで、したがって不採用に終わったり、なんとなく採用されてもけっきょくいつの間にか立ち消えしたりそんなものだらけだ。copilotやchatGPTのような生成AIの助けを借りるとますます外形の確からしさと中身の薄さの温度差が助長されていく気がする。

 というわけで年末にいい感じに気合が入る本を読んだ気分だ。人文学の論文の書き方指南書に背中を押されるとは思ってもいなかった


 なお【発展編】は、論文の書き方を通り越して「なぜ他ならぬあなたがこの研究をするのか」という問いに向き合ったもので、この章もカロリーが高い。ネットのレビューなどを見ると、この【発展編】で心を動かされた人が多いようだ。ここでの語りは研究者に限らず、「なぜ他ならぬあなたがこの『仕事』をするのか」とさらにレイヤーを上にあげたときにデヴィッド・クレーバーの「ブルシット・ジョブ論」やマックス・ウェーバーの「プロ倫」にまで肉薄しているものではないかと感じた次第である。


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