もういちど読む山川世界史
「世界の歴史」編集委員会編
山川出版社
というわけで、前回の「現代史編」に続き、こちらの「通史」を読み終える。
学生の頃ならいちいち人名とか年号とか覚えなきゃいけなかったが、こちらはとりあえず筋を追いかければいいだけだから楽である。
とはいえ、やはり中世から近世にかけてのヨーロッパ事情が はアタマに入りにくい。宗教のレイヤーと、行政基盤としての国家のレイヤーと、王朝のレイヤーと民族のレイヤーが同期せずにそれぞれ伸縮するところが、どうにも感覚的にわかりにくいのである。
ただ、1848年が、ヨーロッパ史ひいては世界史の分水嶺で、これより以前は前史なんだなとは思った。西洋の文化や価値観を成すルーツやルールはこの前史の時代に培われたものだけれど、現代の世界からみればフランス二月革命をはじめとする「諸国民の春」と産業革命以降の諸要因が、西洋現代社会の端を発しているように思える。
この19世紀中頃からヨーロッパは現代へと続くベクトルに動き出し、そのもつれが、第一次世界大戦につながる。この大戦でオスマン帝国とハプスブルク家が消滅し、いよいよ前近代のものはなくなって、そして現在なお尾をひく社会主義や中東問題やアメリカの台頭がここに端を発し、さらにはこのとき既に第二次世界対戦の原因の芽もでてきている。
1848年がターニングポイントと思える所以である。
とはいえ、ひとつ大きく思うのは、教科書の「世界史」というのはやはりヨーロッパ史であるということである。もちろんアジア史やラテンアメリカ史も出てくるし、20世紀後半はアメリカが主役級になるけれど、教科書の殆どを割いているのはヨーロッパだ。
だけど、これからの世界の歴史をヨーロッパがイノベーションをつくりながら進めていくという感じはほとんどしない。これから経済成長率が高いのは中国はじめ非西欧圏だし、これから若い人口がどんどん増えて世界人口のメジャーになっていくのはイスラム圏だし、なんだかんたで存在感あるのはアメリカだ。ヨーロッパがこれからの世界史の主役になる予感はあまりない。
そうすると今後はヨーロッパ中心の世界史を学ぶことの意味は、むしろ平家物語みたいな、挽歌めいたテイストが及んでくるような気もする。実は今回この本をずっとよんでいて、ものすごく「もののあはれ」を感じてしまったのである。歴史観としてはそういうのもあっていいと思うけれど、学校の教材としては果たしてどうなのかな。20年後の世界史の教科書は、もっとアジアやイスラム圏の記述に面積を割いて、前史時代の、ヨーロッパ史は、もっと簡素化しているのかもしれない。