イラク水滸伝
高野秀行
文芸春秋
人類はどうやって狩猟生活から農耕生活に移行していったか?
ジェームズ・C・スコットの「反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー」によれば、そう簡単にはシフトしなかった。数千年にわたって狩猟と農耕のどっちつかずのグレーゾーンがあったのである。それは半農半猟という割り切れたものではない。農耕は必然的に定住を伴うが、定住というのははなはだリスクが大きかった。天災・感染症・外部からの攻撃や侵略などに晒され、農耕生活は容易に破綻した。農耕を放棄して荒野に離散する人間は多かった。また、農耕を試みたものの結局はうまく定着せずに狩猟を続け、農耕が成功した部族との交易という形で穀物に依存した場合もある。さらには、狩猟者の一部が強制的に奴隷として農耕者になった場合もあるし、その反対もある。定住者からみて、さすらいの狩猟者は「野蛮人」であっただろう、とスコットは述べている。
そのようなグレーゾーンの時代こそが、人類の文明史の初期であった。そういうことが可能な地は、都市部と狩猟地帯がほどよく接する地帯であり、それはすなわち湿地帯、就中チグリス・ユーフラテス川流域であっただろうと「反穀物の人類史」では述べている。「猟」は陸の動物を狩るに限らず、漁猟や牧畜も含んでのことだった。
「反穀物の人類史」は豊富な文献と先行研究をもとにした大胆な仮説であったが、いずれにせよ紀元前9000年も過去の時代に思いを馳せた内容であった。
しかし、チグリス・ユーフラテス川流域はいまでも広大な湿地帯がある。そして、そこにいまだに10000年前から地続きの湿地生活をしている民族や部族がいる。湿地の資源で住居をつくり、食材を確保し、船で移動する。マンダ教という古いグノーシス主義の宗教もそこでは現存している。
この湿地民の情報はそう多くない。なにしろ、かの地は現在、あのイラクの国内にある。
「反穀物の人類史」が10000年前のチグリス・ユーフラテス川流域に住んだであろう民を思索によって論考したものならば、こちら「イラク水滸伝」は現在のチグリス・ユーフラテス川流域の民を直接その巨大湿地帯である「アフワール」に乗り込んで見聞したものだ。ぶっとんでいるといったらない。著者は辺境の探検家として有名で、アフリカの奥地やアジアの密林に入り込んで現地の住民と現地語でコミュニケーションをとる強者だが、フセイン政権崩壊後のイラクに何度も乗り込み、湿地帯を探る。本書は確信犯的な分厚さでその内容も多彩だが、そこには本書が単なる旅行見聞記ではなく、イラクという国家および巨大湿地帯という2重のバリゲードに囲まれて謎に包まれていた湿地民の生態を少しでも記録して共有する文化人類学的使命感も大いにあったものと察する。
最終的な狙いは、この地に古代から存在した木船「タラーデ」を地元の船大工を探してつくってもらい、湿地帯を探検するというものであってその顛末は本書に譲るとして、ここで紹介されるイラク国民の生き様は本当に面白い。彼らがどのような衣食住をしているかの観察もたいへんに興味深いのだが、やはり人間関係のつくりかた、つまり社会のつくりかたが本当に独特なのだ。
それは簡単に言うと、friendとenemyの区別がしっかりしていて、その中間体であるanother manが存在しない、ということである。部族や血族のつながりがとにかく強い。
したがって、知らない人に会うとき、知らない人が誰かに紹介されるときは、まずはfriendになることを重視する。食事のおもてなしをするのだ。おもてなしをされる側もそれに徹底的につきあう。著者の一行は行く先々で食事攻めにあう。しかしこれは単なる歓待のセレモニーではなく、仲間になるための儀式なのである。裏を返すと、これをやらない限り彼らとはenemyの関係になってしまう。
この、friendとenemyの区別をしっかりさせるということは、まだ理解しようと思えば理解できるが、another manが存在しない、というのは想像を超える。日本で生活する我々の普段の経済生活はanother man同士であって、そこに契約とか交換経済とかが発生する。簡単にいうと雇用と被雇用の関係が発生する。しかし、このアフワールの地では「金で人を動かせない」。何かを便宜してもらうににしても、作業をお願いするにしても、お金で依頼することができないのである。彼らが便宜をはかるのはその人がfriendだからだ。
したがって、誰かにものを頼むときはまず、その人と仲良くなってfriendの関係にならなくてはならない。そこでようやくものを頼める(もちろん無料である)。
そういうわけだから、現地のガイドに湿地や部落の案内を頼んでも、そのガイドが普段からつながりの強い場所やよく知った人のところにしか行けない。行ってもさっと観光しておしまいというわけにはいかず、行く先々で食事をし延々と世間話を続ける。また、ガイドなしで第三者がその地に入るときは、自分は誰々の友人である、ということを常にアピールしなければならない(さもないと銃で撃たれるリスクまである)。
効率性より関係性を重視しているから、何か作業するときも役割分担なんかするのではなく、みんなで一緒にわーわー言いながらやる。段取りとスケジュールなのではなく、みんなが集まってその気になったらやる。
こういうのは何かと非効率に思うのは自分が現代日本に住むからだろうか。しかし、その人間の信頼性と関係性の強度だけでほぼ形成される社会というのは、たしかに10000年前そうだったのだろうなと想像させるに充分だ。「昨日までの世界」がここにはある。
ところで、本書ではしばしば湿地民のブリコラージュ性が言及されている。著者はブリコラージュとエンジニアリングを対比させる。結果から逆算して最適かつ最短のプロセスをたどるエンジニアリングが幅を利かせる今日だが、たしかにこれは近代合理化の申し子的な発想なのだろう。しかし、いま集まっている人やモノで何ができるか考えるブリコラージュ的な生活が、10000年近い風雪に耐えてきたのもまた事実なのである。