読む力聴く力・野宿入門・人はなぜ物語を求めるのか ・他
最近読んだもので、うまくオチなかったものをここでまとめて集大成。
読む力・聴く力
河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎
岩波現代文庫
ものすごい面子によるトークショーの収録。「書く力」でも「話す力」でもなく、「読む力・聴く力」である。でもこれは、書くためには、話すためには、まずは読む力・聴く力が必要ということでもある。
立花隆のI/O率の話にすべて集約されているように思う。良質な1のアウトプットを成すには100のインプットがないといけないが、書きものに限らず、相手に敬意を払いながら相手のことを見定めてコミュニケーションするのも同じことかと思う。河合隼雄がインプットをバッハやモーツァルトからもらうというのも面白い。
野宿入門
かとうちあき
草思社
ここで挙げられている野宿とは、山の中で一晩明かすとか、テント張ってキャンプとかそういうのではなく、まさにそのへんの公園で段ボールを布団代わりに一晩明かす行為である。それもやむを得ずの野宿ではなく、エンターテイメントとしてやっている。思いつかなかったなあ。段ボールを調達するにはコンビニがいいとか、トイレがきれいかどうかでその公園の安全度がわかるとか、けっこうリアリティある。四十過ぎた今となってはチャレンジするには億劫だが学生時の自分だったらマネしてみただろうな。
失われたドーナツの穴を求めて
芝垣亮介
さいはて社
類似の先行書として大阪大学ショセキカプロジェクトの「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」がある。凝った表紙のつくりといい、いろいろな専門の先生がそれぞれの専門領域から寄稿する形式といい、その際の著者の写真が手にドーナツを持つところといい、たまにコラムが入る構成といい、もはやパクリといってよいほどの編集なのに、先行書に対して敬意がないのがどうにもいただけない。先行研究に対して差異を表明し、そこをつむぐのは研究姿勢としてむしろ必要だが、この本は単にディスっているだけである。こういう本はまずは品位が大事である。
人はなぜ物語を求めるのか
千野帽子
ちくまプリマ―新書
「物語」というのは情報を人にインプットさせるための一種のプログラムなのである。だから、本来は断片的にばらばらな情報の集合体でも、編集して前後の因果関係をつなげた「物語」にしてしまう。そうしないと理解や納得の手がかりがうまれないからである。
「物語」は古今東西の人類に共通するから、ヒトが社会を営むにおいて必要なプログラムと言えそうだ。ただ、ここから転じて「物語」にならない情報は存在しないに等しくなったり、本当は物語などないのに、さも物語にして「真実」にしてしまうバイアスが登場することになる。
あまりにもよくできた「物語」はむしろ眉唾であると思ったほうがいい。(古来から言われる「話ができすぎている」というのはそういうことですね)
ずんずん式★壮絶メンタルトレーニング
ずんずん
すばる舎
破天荒なようでいてちょいちょいはっとさせる気づきがあった。「相手に期待値をちゃんと伝えるって大事」「心配や不安を考えることでいいことはなにもない」「ライフミッションを見つければ目の前のトラブルに動じることはない」「タスクベースではなく、ヒューマンベースで評価」。