タタール人の砂漠
著:ディーノ・ブッツァーティ 訳:脇功
岩波文庫
これはなんとも恐ろしい小説である。貞子よりもシャイニングよりも怖い。
「バーナード曰く。」で紹介されて興味を持って読んだのだが、読み進めるのはなかなか辛かった。耽美的な文章と翻訳が救いだが、物語そのものは直視したくなかったことをまざまざと見せつけられて嫌な汗をかく。
そういう小説であるからネタバレは避けたい。僕は「バーナード嬢曰く」でなんとなくのおおざっぱな話を知ってしまったがために、その恐怖効果は減退してしまった。まだ未読の40-50代あたりの男性は是非とも本書を手に取り、その愕然を味わってほしい。
というわけでここからはネタバレである。未読の方は気を付けられたし。
「タタール人の砂漠」は寓話である。描かれているのは人生における「現状維持バイアス」の恐ろしさである。
人生において最凶の悪腫は「現状維持バイアス」だ。これは本当にたちが悪い。
ひどい男と別れられない女性も、処遇に不満でしかも毎日遠くから通勤電車で通う会社員も、部屋の中が片付かず毎日探し物をしている家も。第3者の目からみればどうしたってその境遇からは抜け出たほうがいいようにみえるのに、なんやかやと理由をつけてその境遇に留まる。その境遇でどんなに不平不満があろうともそこから外に出るためのエネルギー、また新たな環境でやり直すために必要なエネルギーの「おっくうさ」が勝ってしまう。それに比べれば現状はそれでもまあ命にも健康にもそこまでの別条はなくやっていける。だからいましばらくはこのままにしておこう、と判断してしまう。
いざとなればなんとかしてみせると思う。いまは不平不満だがいつか取り戻せる日がくる、と思う。自分が活躍できる機会がやってくると信じる。誰かが自分を誘ってくれる。その日がくるまでがんばろう。
だが、それは「現状維持バイアス」の悪魔のささやきなのである。人は「悩みたいから悩んでいる」だけで、実は現状にとどまりたい欲求があるのだ。しかもたちが悪いことに、寝かせれば寝かせるほど、このバイアスの威力は強まる。それは人生をまるごと支配してしまう恐ろしい致死遺伝子である。未来への裁量は自分にある、と期待させておきながら、実は「現像維持バイアス」は裁量を本人から奪いとる。時間は加速度的に進み(解説でも指摘されている通り、この小説はブロックが進むごとに時が速くなる)、老いは進んで気力も体力も奪っていく。さらにヤバいことに、若い人にこれを予告しても絶対に信用はされない。若い人は若い人としての「現状維持バイアス」が働いていて、脳みそがちゃんとはシミュレーションしてくれない。
しまった、と思ったときは手遅れだ。身も心も硬直してしまい、なにひとつ新しいことはできない。不要物としてごみくずのように打ち捨てられる。
「タタール人の砂漠」。物語は見事なまでに何も起こらない。そして主人公ジョヴァンニ・ドローゴの身に起こったこと。これをホラーといわずしてと言おう。