こんばんは。
本日の京都は日中とても暖かな一日で、
お部屋の中にいても、陽が差している間は
エアコンなしでも平気な気温でした♪
…もういい加減、エアコンともお別れしたい季節ですが
なかなか別れがたい恋人みたい(?)な存在のようです^^;
さて。
前回のお話でも触れたのですが、
この一週間、宗流は会社の展示会に向けて
日々の記憶が飛ぶような慌ただしい時間を過ごしていました。
でも今日からようやく久々のお休み♪
この所の忙しさからか少々風邪気味の宗流、
この週末は完全OFFでのんびりしたいものです!
さてさて。
みなさまも何かでひどくお疲れの時などに
ふとした些細な出来事で気持ちが軽くなる瞬間ってありませんか?
家族や大切な人の笑顔や言葉、何気なく目にした景色などに
色んなものに一瞬救われたような、
心持ちが軽くなるような事があるような気がします。
今日は慌ただしさの中で見つけた、ささやかな出来事のお話です。
先日、仕事が立て込み、どれだけやってもなかなか先が見えなくて
疲れだけが先立っていたようなとある日。
私は仕事の用事で出かけていて、信号待ちをしていました。
ぼーっと立っていても周りがあまり見えなくて
信号が変わった事にも気付かず立ち尽くしていると、
不意に後ろから私の名前を呼ぶ声が。
振り返ると、知人の男性が仕事着で立っていました。
古くからの知人であるその彼は、私の会社の近くで働いていて
普段からよく顔を合わせます。
また私と年齢も近いせいか、気の置けない知人の一人です。
知人との間に普段ある、何気ない会話へと続くいつもの日常。
でも、その日はどことなく気持ちが揺らいでいたのかもしれません。
私は彼にジョークも気の利いた言葉の一つも返せませんでした。
「何か…疲れた」
顔を合わすなり、その一言しか発せませんでした。
彼はお世辞にもお利口さんとは言い難いのですが、
普段から辛口の私の会話に付き合わされているせいか、
もしくは彼自身の指令アンテナがそうさせるのかは解りませんが
野生動物の本能のように鋭敏な勘を働かせ、
彼は時々、どきりとするような言葉を私に投げかけます。
けれど、それはけして不快なものではなく不思議と納得してしまう言葉。
その日も、彼から返ってきた言葉は私を心地よくどきりとさせました。
「疲れたら休めって言っても聞くはずないから言わんけどな。
けど、お前が頑張ってるんは解ってる」
たったそれだけの短い言葉。
褒めも労わりも何もないのですが、でも私はその言葉に
何だかとても救われたような気持ちになりました。
家族でも、恋人でも、同僚でもない間柄。
そうした関係だからこそ、そう感じたのかもしれません。
もしこれが近しい間柄だったのなら、
きっと私は「もっと」を望んだような気がします。
そして、それが自分の望む形でなかったとしたら
ジグソーパズルのピースを埋められない時のように
イライラするかもしれません。
「もっと」を望まなくていい距離感。
その距離が生む言葉には、いい意味でのドライさがあるように感じます。
私は、人の言葉はそれぞれ個人の生き方・考え方が
色濃く反映されるものなのかなと思います。
それはどんな学校を出て、どんな仕事に就き、どんな地位にいるかではなく
また語彙が豊富とか、語学が堪能とか、正しい文法かどうかではありません。
投げかけた言葉を受け取る相手の状況を察知する事は、
そうした先の諸々の事象を得ていても、難しいのだと思います。
難しいからこそ、それが受け取る側にダイレクトに伝わった時
音や文字から「言葉」というものに変わる。
そして、そこには人の気持ちが加味されているのでしょう。
だからこそ、言葉は「言霊」と言われるのかもしれませんね。
ささくれた傷を冷たい水や摩擦から守る絆創膏。
弱った心に響くささやかな言葉は、そんなものなのかも。
お医者さんや病院の治療のようなものではなく
手軽に近くのドラッグストアやコンビニで買える手軽さ。
それが有難く思える、そんな瞬間ってアリだと思う宗流です。
では、みなさま素敵な日曜日をお過ごし下さいね♪
宗流
和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp
本日の京都は日中とても暖かな一日で、
お部屋の中にいても、陽が差している間は
エアコンなしでも平気な気温でした♪
…もういい加減、エアコンともお別れしたい季節ですが
なかなか別れがたい恋人みたい(?)な存在のようです^^;
さて。
前回のお話でも触れたのですが、
この一週間、宗流は会社の展示会に向けて
日々の記憶が飛ぶような慌ただしい時間を過ごしていました。
でも今日からようやく久々のお休み♪
この所の忙しさからか少々風邪気味の宗流、
この週末は完全OFFでのんびりしたいものです!
さてさて。
みなさまも何かでひどくお疲れの時などに
ふとした些細な出来事で気持ちが軽くなる瞬間ってありませんか?
家族や大切な人の笑顔や言葉、何気なく目にした景色などに
色んなものに一瞬救われたような、
心持ちが軽くなるような事があるような気がします。
今日は慌ただしさの中で見つけた、ささやかな出来事のお話です。
先日、仕事が立て込み、どれだけやってもなかなか先が見えなくて
疲れだけが先立っていたようなとある日。
私は仕事の用事で出かけていて、信号待ちをしていました。
ぼーっと立っていても周りがあまり見えなくて
信号が変わった事にも気付かず立ち尽くしていると、
不意に後ろから私の名前を呼ぶ声が。
振り返ると、知人の男性が仕事着で立っていました。
古くからの知人であるその彼は、私の会社の近くで働いていて
普段からよく顔を合わせます。
また私と年齢も近いせいか、気の置けない知人の一人です。
知人との間に普段ある、何気ない会話へと続くいつもの日常。
でも、その日はどことなく気持ちが揺らいでいたのかもしれません。
私は彼にジョークも気の利いた言葉の一つも返せませんでした。
「何か…疲れた」
顔を合わすなり、その一言しか発せませんでした。
彼はお世辞にもお利口さんとは言い難いのですが、
普段から辛口の私の会話に付き合わされているせいか、
もしくは彼自身の指令アンテナがそうさせるのかは解りませんが
野生動物の本能のように鋭敏な勘を働かせ、
彼は時々、どきりとするような言葉を私に投げかけます。
けれど、それはけして不快なものではなく不思議と納得してしまう言葉。
その日も、彼から返ってきた言葉は私を心地よくどきりとさせました。
「疲れたら休めって言っても聞くはずないから言わんけどな。
けど、お前が頑張ってるんは解ってる」
たったそれだけの短い言葉。
褒めも労わりも何もないのですが、でも私はその言葉に
何だかとても救われたような気持ちになりました。
家族でも、恋人でも、同僚でもない間柄。
そうした関係だからこそ、そう感じたのかもしれません。
もしこれが近しい間柄だったのなら、
きっと私は「もっと」を望んだような気がします。
そして、それが自分の望む形でなかったとしたら
ジグソーパズルのピースを埋められない時のように
イライラするかもしれません。
「もっと」を望まなくていい距離感。
その距離が生む言葉には、いい意味でのドライさがあるように感じます。
私は、人の言葉はそれぞれ個人の生き方・考え方が
色濃く反映されるものなのかなと思います。
それはどんな学校を出て、どんな仕事に就き、どんな地位にいるかではなく
また語彙が豊富とか、語学が堪能とか、正しい文法かどうかではありません。
投げかけた言葉を受け取る相手の状況を察知する事は、
そうした先の諸々の事象を得ていても、難しいのだと思います。
難しいからこそ、それが受け取る側にダイレクトに伝わった時
音や文字から「言葉」というものに変わる。
そして、そこには人の気持ちが加味されているのでしょう。
だからこそ、言葉は「言霊」と言われるのかもしれませんね。
ささくれた傷を冷たい水や摩擦から守る絆創膏。
弱った心に響くささやかな言葉は、そんなものなのかも。
お医者さんや病院の治療のようなものではなく
手軽に近くのドラッグストアやコンビニで買える手軽さ。
それが有難く思える、そんな瞬間ってアリだと思う宗流です。
では、みなさま素敵な日曜日をお過ごし下さいね♪
宗流
和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp