cafe de sou-ryu

ほっと一息
ちょっと休憩しませんか?

冬の別れ

2010年12月17日 22時56分06秒 | to you

こんばんは。
ここしばらく…気力・体力ともに急降下して、
PCを繋ぐ事もなく、あっという間に約10日程経ってしまいました^^;
前回のお話に暖かなコメントを頂いておりました方には
大変失礼いたしました。ゴメンナサイ!!

ここ一週間ほどで急に寒くなってきましたが、
みなさまはご体調を崩されてませんか?
こころも身体も慌ただしい師走。どうぞお気をつけ下さいね!


さて。
本日はちょっとした(?)宗流のつぶやきです。
このところ、しょんぼり気味でテンションも低目なので、
お話も湿度が高くなりそうな気がしないでもありませんが、
今日はどうぞ温かな目で見逃してやって下さいね…。



宗流の会社には、もうあと数年で70歳を迎えるおじいちゃんがいます。
大先輩をつかまえて、おじいちゃんとは若干失礼な気もしますが、
会社でも宗流は「おじいちゃん」と呼んで懐いています。

この「おじいちゃん」ことFさんは、
うちの会社で50年以上勤務している大ベテラン。
いまの会社での、宗流の育ての親と言っても過言ではありません。
でも…あと10日ほどで退職が決まっています。


見た目はちょっと怖そうで、黙っていると武骨な雰囲気が漂う人ですが、
実はとても優しくて腰が低く、なおかつ働き者のおじいちゃんです。
宗流は、いまの会社にお世話になって約5年ほど経ちますが、
その間誰よりもお世話になりました。
そして誰よりもたくさん、たくさん、色んなお話をしました。
だからこそ、今まで退職された誰よりも寂しさが募ります。


50年という時間の長さは、私の生きてきた時間より遥かに長い。
その長い長い時間を、会社の中で過ごしたFさんは、
誰よりも色んな会社の顔を見てきたのでしょう。
中学を卒業してすぐに働き始めた少年が、老年を迎えるまでの時間は、
私が想像するより長いものだったのかもしれません。
けれど、古くからFさんを知る人たちの誰に尋ねても、
Fさんは変わることなく、いつも黙々と働き続けてきたそうです。
変化を求められる世の中で、変わり続けていける事はすごい事です。
しかし、それと同じくらい変わらずにあり続ける事、
それだってとても価値のある事ではないでしょうか。
私は何となくそんな風に感じます。



いつも仕事がひと段落つくと、私の好きなブラックコーヒーを
こっそりと買ってきてくれて、二人でお茶にしたっけ。

私が忙しくて大変な時も、何事にも労を惜しむことなく
たくさんたくさん手伝ってくれたっけ。

時々、おじいちゃんのうっかりが酷過ぎて、私が怒っても
じっと黙って私が怒るのを申し訳なさそうに聞いてたっけ。

風邪をひいたおじいちゃんが、鼻をたらしそうになったと言っては
二人でよく大笑いしたっけ。

まだ小さいお孫さんたちのために、毎月郵便局にコツコツと
お小遣いから貯金をしているって嬉しそうに話してたっけ。



…どれも、毎日の中に当たり前にあった風景で、
私はそれが終わりに近づく事を、いつかそんな時期がくるとは思っていても
まだまだ先の事だと思っていた気がします。
「これまで」の時間の長さは、「これから」の時間と比べるまでもなく、
長い時間だと解っていたはずなのに、その長さが目に見えると
それがどうにも寂しく思ってしまいます。
おつかれさまでした。
その言葉を一日に対してのものでなく、長い時間のために使う時が来る。
仕方がない事だと、頭では解っているんですけどね…。



Fさんは息子さんが二人いるのですが、娘さんはいません。
でも、娘が欲しかった。私はよくそんな言葉を聞きました。
だからでしょうか、Fさんはよく私を娘みたいなものだと言って笑います。

その笑顔がいま、
「お前が結婚するまで見届けてやりたかった…」
という言葉に変わったのを、私はとても切ない気持ちで聞いています。

私は随分若い頃に父親を亡くしているので、
世の中に父親以外の男性が、自分の幸福を願ってくれているという事を
とても幸せに思っています。
そして、言葉ではなく寡黙な背中で私に色んな事を教えてくれる人、
そんな人と出会えた事も。



私がFさんと出会ってからの5年間。
その5年間の感謝を、どんな言葉に載せたらいいのだろう。
どんな表情にあらわしたらいいのだろう。
あと10日程に迫っているのに、いまもまだ見つかりません。
けれど、
「ありがとう」
その一言は、どんなに言葉に詰まっても
ちゃんと伝えなきゃ、ただそれだけは思っています。



宗流