こんばんは。
本日の京都は日中少し陽が翳りはしたものの、
寒いながらもお昼間は比較的気温も安定した
静かな日曜日でした。
さて。
今日は少し長くなる、真面目なお話です。
もう日付は18日に変わってしまいましたが、
日曜日の17日は、阪神淡路大震災から15年目の日です。
毎年、この日にはTVでも追悼の番組や
ニュースが流れるため、実際に震災を体験なさっていない方も
その当時の様子を目にされた事はあるかと思います。
もう15年も経つんですね…。
その日のその瞬間、京都に住む私の家でも大きな揺れを感じました。
その朝の事はとてもよく憶えています。
いつもなら私は朝が弱くて、毎朝ぎりぎりの時間まで起きられず
大慌てで朝の身支度に追われるのが常なのですが、
その日に限って、地震の起こる数分前に目が覚めました。
午前5時46分。私は目覚めていたとは言え、
ベッドの中でその瞬間を体感しました。
今まで感じた事のない強い揺れ。
震源地の兵庫県から遠く離れた京都でさえも、
震度5以上を記録したと言われています。
幸い私の身の回りでは、特に被害らしきものはなかったのですが、
それでもその瞬間、強い恐怖を感じたのですから、
お住まいが倒壊されたり、被害の大きかった地域の方々にとっては
その一瞬が、恐ろしく長いものに感じられた事でしょう。
その日は、私の家族も私も、仕事や学校に出かけたのですが
それでも交通機関がマヒし、通常とはかけ離れた一日でした。
そして時間の経過と共に、TVに映し出される惨状に
改めてその朝に起こった出来事の恐怖が強く増していきました。
そして、次の日の夕方、私は今思い出しても
胸が締め付けられる出来事に遭遇しました。
私は翌日の夕方、アルバイトに出かけていたのですが
アルバイト先のパン屋さんも、普段なら朝から届くはずの
パンの材料が届かず、店頭に並ぶパンもいつものように
たくさんの種類のパンが出せずに寂しい状態でした。
そんな中、普段よくパンを買いに見える近くの会社のお兄さんが
お店に立ち寄られました。
「すごい地震やったね、宗流ちゃんのお家は大丈夫やったか?」
と、お互いに前日の地震の話をしていたのですが、
おもむろに、
「宗流ちゃん、お店の食パン全部あるだけ欲しいんや」
と、申し出をされました。
私はスライスしていない食パンの在庫を確認すると、
一本で三斤取れるパンが数本ありました。その旨を伝えると
「それ、そのままでいいから全部ちょうだい」との事。
お話を聞くと、その方のお勤めの会社には、
被害の大きかった地域に神戸支店の社宅があり、
今からそちらの社宅に届けるとの事。
車も電車も使えるか分からないとの状況の中、
その方はバイクで神戸まで向かわれるとのお話でした。
その日、実はそうした方はお一人ではありませんでした。
他にも数名、同じように両手に持ち切れないほどのパンを購入され
それぞれが兵庫県まで向かわれました。
今思うと、できるだけもっとお近くで購入された方が
身動きも取りやすかったのかも、と思わなくはないのですが
きっと、どの方もいてもたってもいられなかったのかもしれません。
だからこそ、ご自身のいらっしゃる京都から抱えきれないほどの
荷物を持って向かわれたのかもしれません。
重い荷物も、遠い道のりも、はやる思いの前では
どれほどの比ではなかった。人が人を気遣い、憂う思いは
自分の多少の苦痛など思う隙を与えない力があるのかもしれない、
そんな風に感じた瞬間でした。
そして、どうか無事にその思いが届きますように、
そう祈らずにはいられませんでした。
あの日。
一瞬が永遠に多くの人の命や生活、大切なものを思いがけない方向へと
動かしてしまった、1月17日。
今日、TVで目にした兵庫県の男性の言葉が、今も私の耳から離れません。
「生きたくても生きられなかった人のために、精一杯生きなければ」
その言葉は、あの一瞬が悲しい永遠を生み出した事実を
改めて強く思う一言でした。
宗流
和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp
本日の京都は日中少し陽が翳りはしたものの、
寒いながらもお昼間は比較的気温も安定した
静かな日曜日でした。
さて。
今日は少し長くなる、真面目なお話です。
もう日付は18日に変わってしまいましたが、
日曜日の17日は、阪神淡路大震災から15年目の日です。
毎年、この日にはTVでも追悼の番組や
ニュースが流れるため、実際に震災を体験なさっていない方も
その当時の様子を目にされた事はあるかと思います。
もう15年も経つんですね…。
その日のその瞬間、京都に住む私の家でも大きな揺れを感じました。
その朝の事はとてもよく憶えています。
いつもなら私は朝が弱くて、毎朝ぎりぎりの時間まで起きられず
大慌てで朝の身支度に追われるのが常なのですが、
その日に限って、地震の起こる数分前に目が覚めました。
午前5時46分。私は目覚めていたとは言え、
ベッドの中でその瞬間を体感しました。
今まで感じた事のない強い揺れ。
震源地の兵庫県から遠く離れた京都でさえも、
震度5以上を記録したと言われています。
幸い私の身の回りでは、特に被害らしきものはなかったのですが、
それでもその瞬間、強い恐怖を感じたのですから、
お住まいが倒壊されたり、被害の大きかった地域の方々にとっては
その一瞬が、恐ろしく長いものに感じられた事でしょう。
その日は、私の家族も私も、仕事や学校に出かけたのですが
それでも交通機関がマヒし、通常とはかけ離れた一日でした。
そして時間の経過と共に、TVに映し出される惨状に
改めてその朝に起こった出来事の恐怖が強く増していきました。
そして、次の日の夕方、私は今思い出しても
胸が締め付けられる出来事に遭遇しました。
私は翌日の夕方、アルバイトに出かけていたのですが
アルバイト先のパン屋さんも、普段なら朝から届くはずの
パンの材料が届かず、店頭に並ぶパンもいつものように
たくさんの種類のパンが出せずに寂しい状態でした。
そんな中、普段よくパンを買いに見える近くの会社のお兄さんが
お店に立ち寄られました。
「すごい地震やったね、宗流ちゃんのお家は大丈夫やったか?」
と、お互いに前日の地震の話をしていたのですが、
おもむろに、
「宗流ちゃん、お店の食パン全部あるだけ欲しいんや」
と、申し出をされました。
私はスライスしていない食パンの在庫を確認すると、
一本で三斤取れるパンが数本ありました。その旨を伝えると
「それ、そのままでいいから全部ちょうだい」との事。
お話を聞くと、その方のお勤めの会社には、
被害の大きかった地域に神戸支店の社宅があり、
今からそちらの社宅に届けるとの事。
車も電車も使えるか分からないとの状況の中、
その方はバイクで神戸まで向かわれるとのお話でした。
その日、実はそうした方はお一人ではありませんでした。
他にも数名、同じように両手に持ち切れないほどのパンを購入され
それぞれが兵庫県まで向かわれました。
今思うと、できるだけもっとお近くで購入された方が
身動きも取りやすかったのかも、と思わなくはないのですが
きっと、どの方もいてもたってもいられなかったのかもしれません。
だからこそ、ご自身のいらっしゃる京都から抱えきれないほどの
荷物を持って向かわれたのかもしれません。
重い荷物も、遠い道のりも、はやる思いの前では
どれほどの比ではなかった。人が人を気遣い、憂う思いは
自分の多少の苦痛など思う隙を与えない力があるのかもしれない、
そんな風に感じた瞬間でした。
そして、どうか無事にその思いが届きますように、
そう祈らずにはいられませんでした。
あの日。
一瞬が永遠に多くの人の命や生活、大切なものを思いがけない方向へと
動かしてしまった、1月17日。
今日、TVで目にした兵庫県の男性の言葉が、今も私の耳から離れません。
「生きたくても生きられなかった人のために、精一杯生きなければ」
その言葉は、あの一瞬が悲しい永遠を生み出した事実を
改めて強く思う一言でした。
宗流
和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp
我が家の側を高槻活断層が走っていますので、震度6(自己体感震度)の凄い揺れでした。
家中の壁が斜めにクラックが入りましたよ。
TVの男性のコメント・・・強烈でした。
あの頃は、今と比べれば体力がありましたね。
一日一日を大事に生きないと・・・改めて思います。
テレビ見るの17日前後は厭やねん。
あの時の光景出てくるし。
友人のお子はいまだにブルーシーt見たら怖がるし。
あまり言わんとこ。思い出すから(笑)
昨日はわが町も防災訓練でした。
さて、お弁当も見てくれてありがとう
今週も簡単弁当作るねん。
少し日が長くなて嬉しいわ
お疲れ様です^^
新しい一週間の始まりですね。
はりきって参りましょう♪
阪神淡路大震災
もう15年になるんですねぇ。
この朝我が家も揺れました。
伊丹に親戚がありましたから
惨状が伝わるにつれ、連絡を
取ろうと必死でした。
自然は時に猛威を振い、
人の人生を大きく変えてしまいますね。
沢山の犠牲になられた方の
ご冥福をお祈りします。
私も
「生きたくても生きられなかった人のために、精一杯生きなければ」
この言葉をいつも忘れたことは
ありません。
生かされていることに感謝して
悔いの残らない毎日を過ごして
行きます^^
震災にあわれた方にとっては、長い長い時間だったのでしょうね。
ご家族をなくされた知人の話を聞いて
ただただ、やりきれないせつなさを感じたものです。
宗流さんのところも大きな地震だったのでしょう?
何事もなくて本当によかった。
こんばんは、ゆきさん。
いつもありがとうございます。
そうですね…近畿の、特に京阪神に住まう人に
とっては、忘れられない朝ですね。
最も身近な、自分たちが生活を送る大地の下に
とてつもなく大きな自然のうねりがあるという
事を初めて知った機会だったのかもしれません。
TVの男性のお言葉は、あの朝を経験した全ての
人々が心すべきものなのでしょうね。
ホントに、一日一日が大事。そう思います。
こんばんは、たーぼのははさん。
いつもありがとうございます^^
ごめんなさい~^^;
今日はお辛いお話だったかもしれませんね。
でも、ははさんのお気持ちよく解ります。
あまりにも大きすぎる経験ですもの。
…って、ははさんが今夜怖い夢をご覧になられ
てはいけませんので、宗流もお口チャックです^^(笑)
ホントに♪
少しずつ日が長くなってきたように思います。
まだまだ寒さはこれからも続きそうですが、
今週半ばは温かくなりそうですね^^
今週も、元気に楽しく一週間を乗り切りましょうね~!
こんばんは、キララさん♪
いつもありがとうございます^^
新しい一週間、いいスタートをお迎えでしたか~?
何でもない15年って、ものすごく長い時間に
感じる気がしますが、あの朝からの年月はもう
といったものに思います。
電話もライフラインも、普段はそこにあるのが
当たり前に思ってしまいがちですが、困難な
状況に直面して初めて、この普通の生活が
とても有難いものだと気付くものですね…。
当時この世に生を受けた子供たちはもう15歳。
きっと生きたいと願いながらも叶わなかった方
の思いを受けて、その命の花を強く大きく咲か
せてくれる事と思います!
「生きたくても…」
キララさんは、きっと誰よりもそのお言葉の
意義を強く感じてらっしゃるのでしょうね。
だからこそ、その強さや優しさに私は強く惹か
れるのだと思います。
お互いに、生きている事の喜びや幸せをたくさん味わいましょう!
きっと、それが何より願われている事でしょうから^^
今週も、笑顔がたくさんの一週間となりますように♪
こんばんは、cani2さん。
いつもありがとうございます^^
そうですね、私などは何事もなく生活できて
いた事は感謝しなければと思います。
この日本に住んでいる限り、どの地域に生活の
基盤を置くかはその時の状況一つですもの。
大きな被害に遭われた方や、大切なものを失わ
れた方々が、少しずつでも心の拠り所をお持ち
になられれば…そう思います。
ありがとうございます^^
無事である事を感謝できる事の一つは、時間を
経てもcani2さんのお言葉のように、無事でよか
ったと言って頂ける事も大きいのかもしれませんね。
はい!そんなcani2さんに出会えた事も、宗流の
感謝の大きな一つです^^v
あの地震の日は胸が痛みました。
何もできませんでした。
そして、今年・・・
別のブログでワタクシはその被災者の一人、
「フレイム」って曲でメジャーデビューされた方を紹介しました。
内容は書きませんでした。
悲しみ・・・、悲しみ・・・、
書いてるワタクシも辛かったんです。
そして・・・最近のハイチ大震災
何もできないワタクシが
力になれる事・・・。
チビチビ生活で貯めたポイントで
寄付をすることしかできないんです。
(約300ポイント^^;)
最近の若い世代で寄付されてる方は立派だと思います。
しかし、editaメンバーでされてる方はおそらく少ないと思うんですけどね。
いつもありがとうございます。
さきほど、Ryo-Yongさんのブログで初めて
その方を知りました。
どんな言葉を尽くしても、その方のご苦労や
重ねられた努力を深く知りえる事はないのかも
しれませんが、彼の音楽に共感を覚える方は
きっとたくさんいらっしゃると思います!
寄付…私も機会があればできるだけ気持ちだけ
でもさせて頂くようにしていますが、一人一人
のその気持ちと行動はとても大事な事のように
思います。
小さな気持ちが集まる事。一人では何もできな
くても、それが集まる事で何かが可能になる。
寄付も世の中の出来事も、そんな小さな気持ち
が何かを変えるのかもしれませんね。
誰かが困った時、その隣にいる誰かが黙ってて
も手を差し伸べる事の出来る世の中であれば
いいのにと思います!