八十九歳
10日前に89歳になった。
88歳からひとつ増えたからと言って、特に感慨があるわけではない。来年90歳になることができたら、多分もっと感慨深いだろう。しかし、89年間何とか無事に来られたのはありがたいことである。
父のことをふと思う。父は1900年生まれで、1993年に亡くなっている。この生涯で生じた世の波風は実に容易ならざるものだった。日露戦争、第一次世界大戦、対中戦争、太平洋戦争と40代の半ばまではほぼ戦争続き。戦後も社会体制の大きな変革があった。人生の半分をその時代に過ごし、それに伴う父自身の一身上の変化も、わたしから見れば波乱万丈であった。
それに比べれば、わが人生なんと平穏だったことか。それはやはり、これまでの人生の90%に戦争がなかったことが大きな要因ではないだろうか。
平和のありがたさをしみじみと感じる。
蛇足の暇つぶしを:
89は素数である。自身と1以外に約数がない孤独な数だ。この前年齢が素数だったのは83歳の時で、その1年が特に孤独だった記憶がないので、縁起を担ぐ必要はなさそうだ。
次の素数は97。この孤独な数を背負うことはまずないだろう。
ついでに、生まれた年のことについて。
わたしの生年、1936は44の二乗の平方数である。次の平方数までは生きていないだろうと思っていたら、今年が45の二乗の2025で、平方数が生年の人と会うことができることになった。
46の二乗は、2116。今年生まれた人が91歳まで生きれば巡り合える。
左眼手術終わる
左眼の白内障手術が無事終了した。
手術の前、親からもらったレンズでこの世を見るのは最後と、看護士さんを見つめたら、変な顔をされた。
歯は入れ歯、耳は補聴器、眼はプラスチックレンズと、なんだかアンドロイドに近づいたようである。
手術の前に白内障手術で事故が起きる確率は1/3000と聞いた。以前心臓のカテーテル検査を受けたとき、事故の確率は1/10000と聞いていたので、やや高いと感じたが、得られる利益を考えて躊躇なく手術を受けることにした。
この確率が1/1000だったらちょっと考えたろうし、1/100だったら受けなかったろう。逆に、医術の方からすれば、1/3000であれば患者に利益をもたらす安全な手術とみなしていることになる。
100%安全な技術や装置はない。どこで安全の線を引くかはリスくクvs.ベネフィットの問題であり、ベネフィットがだれにとってどのようなということを考えると、一筋縄ではいかない問題である。
勢ぞろい
散歩の途中で
STOP WAR!
両眼の白内障手術が無事終わり良かったですね!
「人生を完うしたいと思います。」の誤りです。
「親からもらったレンズでこの世を見るのは最後と、看護士さんを見つめたら、変な顔をされた。」これには大笑いさせてもらいました。