ピラティススタジオ”フェルマータ”

2014年より板橋区・高島平および三鷹でピラティスクラスを開催。充実感のあるクラスを実践しています。

聴く力と与える力

2018-06-08 09:32:47 | 指導のために
東京は初夏のような青空と太陽の一日です
さて昨日のブログでは、実際にクラスの現場で生じる信頼関係について
書きました。

 与えられた内容を繰り返し消化すること。
それは私たちが子供のころからあまりにも慣れ親しんだ学習パターンであり、
じっさい便利で効率的なシステムであると感じます。

 一方で、「からだの声を聴き、感覚の糸を一連の動きへと紡いでいく」ことは、
身体との(講師との)絶えざる対話が要求されるため、時間をかけて丁寧に
行われる必要があり、今までの学習パターンとは異なる側面があります。


 ちょっと専門的になるかもしれませんが、対話をつないでいくプロセスでは
以下のことが起こっているのだと感じます。

・身体からどんな信号が発せられているかを知覚する。
・それをいちど言葉にして意識化し、必要な動きを身体に与える。

 「聴くちから」と「フィードバックする(与える)ちから」。

 この二つのちからが育ってくれば、いついかなる場面でも調整が効き、
良いパフォーマンスを引き出すことができるでしょう。
疲労を残しずらい身体の使い方ができる、といってもいいかもしれません。

 最近、クラスでは自然に会話をしながら、要点が整理されてくることが
多くなりました。それはピラティスを学ぶ目的がしっかりと定まったことと
同時に、「聴いて、言葉にして、伝える」という循環ができてきたのだと
感じます。個の身体のなかでも、生徒と指導者という環境づくりにおいても、、。

 必要なことが分かり、オープンに交換しあえる、とても豊かで恵まれた環境が
整いつつあるように感じています

・・・次回は来週になるかもしれませんが、「聴く力」について焦点をあてて、
もう少し詳しく書いてみたいと思います!




身体とじっくり対話しよう

2018-06-07 10:07:16 | 指導のために
ピラティスを学ぶ目的はいくつかあります。
長期的な視点に立てば、それは

怪我のリスクを生涯にわたって軽減させていくこと

でしょう。

 現在スタジオに来ている方にはご高齢の方もいらっしゃいますが、
膝や腰などに具体的な問題を抱えていればいるほど、目標とする焦点は
はっきりとしてきます。

 一方でその時々で変化する身体の感覚もあります。
季節による感覚の変化、あるいは続けて通ったために新たに発見した
感覚、というのもあります。
 じっさい身体は一瞬ごとに変化をしているため、

いつも同じやり方や目標設定が当てはまるとは限らない

というのが、指導をしていて実感するところです。


 クラスのために内容を準備するとき、以前は
「あらかじめプランを用意して、それに従って内容を組み立てる」という
やり方をしていました。
用意してきたことを、みんなで一緒にやりましょう、
というお決まりのプランです。

 これはこれで一定の成果はあったように思えましたが、
細かな要求には応えられているだろうか、という疑問が常にありました。

 そのため現在は、
「対話をしながら、その場で必要なプランを提示する」
というやり方に変わってきました。
実はこのやり方は時間がかかるし、「お互いに必要なことを読み取り、言葉にして伝えあう」
というスキルがないと成り立たないのです。

 そしていっけん非効率的で時間のかかるこの方法を続けていたら、
とても大切なことに気が付きました。
それはお互いに「信頼」が生まれるということでした。

(・・・続きはまたあした



身体の視野を広げる

2018-06-06 11:00:09 | 指導のために
教えていて思うことですが、クラスのなかで、
なにかが「わかる」という瞬間に立ち会えたときには、何とも言えない歓びがあります。

 同じムーブメントを何度もやってみて、身体の奥の動きを掴まえること。
いちど掴まえた感覚を再現してみること。

 難しい場合は、別のアプローチをとってみること。

 そうやってすこしづつ、クラスの時間は進行していきます。

 一つのことが分かるということは、「ある視野を獲得する」という
経験に近いのかもしれません。身体の森に分け入ってそこから眺めてみると、
今までとは別の景色が開けていたというような。

 私自身がそうでしたが、
「肩が下がる」「軸がしっかりする」「呼吸が深くなる」、、、
これらの経験のひとつひとつが、おおげさなようですが、いままでとは違った
世界を映してくれるのです。

 「わかる」瞬間に立ち会えたときの歓びとは、長年の癖を更新するきっかけを
共有できた時の歓びであり、その共有体験は想像以上に豊かなものだと思うのです。