絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

測って描くこと

2011-11-19 | 絵のこと
デッサンをするとき、棒を使って測るということをする。

クロッキーでは、そんなことをしている暇はないが、じっくり描くときには、私も測る。

デッサン会では、石膏デッサンをするときと、人物描き込みデッサンをするときに分かれるが、
どちらもじっくり描くデッサンだから、測ることが多い。

ただ、気をつけてほしいのは、測ることが絶対ではないという事である。
初めの内は、目見当より測る方が、デッサンがしっかりする。
目見当だと狂っていても気づかないことがあり、それを測ってみると、なるほどこんなに違うのかと確認できる。

しかし、デッサン力がついてくると、測らなくてもかなり違いがわかるようになる。
そして、更に進むと、測るとこうなんだけど、それだとどうも違うんだよなという事が起こる。
そんなときは、測ったことよりも、見た感覚を大事にした方が良いということも出て来る。

通信指導をしているTさんにも、ニュアンスの違いということを言った。
このニュアンスは、測った通りにすると、違ってしまうということが起こっているために、自分の眼を信用して測ることを絶対と考えないようにという意味でもあった。

私が学生時代に友だちとよく話したことの中に、「1+1は、2じゃない」という言葉がある。
これは、デッサンで測る時の注意である。

おそらく正確に測れるなら、1+1は、2になるのだろう。しかし、手が動く分正確にならない。自分が見ている視点さえ違っていても気づかないで測っていることもある。だから測ったことを絶対にするなという意味で言っていた。

測るよりも、見る目で違いに気づけという意味でもある。

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補足すると、測る時は、座り方まで背筋を伸ばしているのに、描いている時は前こごみになって、そこから見て描いている。
生徒を見ていると、そういう光景をたくさん目にする。おそらく私も過去には、そのようにやっていたのかもしれないと思い出す。

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ちょっと例を上げると、有名人のそっくりさんがテレビに出ることがある。
しかし、いくらそっくりと言っても違う事が明らかに分かる。
本当に見分けがつかないくらいそっくりという他人はなかなかいない。
かなり似ていても何か違うなと思う。
その違いを見抜ける力がデッサン力だろう。

そういう意味で、生徒のデッサンを厳しく見ると、同じビーナスのデッサンをしていても、
これは、ビーナスじゃないね。良く似ているけれど、違う人だよと言ったことがある。

見える通りの、本物のビーナスになるには?ということを考えて厳しく見ることができるようになったら、測ることを信用するだけでは駄目である。測る以上に厳しい目を持てと言えば良いだろうか?

そのニュアンスがつかめるかどうか?

最終的には、デッサン力とは、見る目の力である。

測るのは、確認の意味で行うのである。

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しかし、デッサン力をつけるある段階においては、測ることに専念する時期があっても良い。
それは、一つだけでなく、あらゆる部分同士を比較すると良い。

一つの基準になる部分を決めて、それと比べてあらゆる部分を測ると良い。
しかし、それをしたら、次には、他のポイント同士の長さ比べ、幅比べもしてほしい。
最初に測ったことが正確に測れていれば、他もあっているはずである。
もし、合わなかったら、それは、測り方のどこかに問題があるということである。

そのときに、出て来るのが、「1+1は、2じゃない」である。

測るのは、絶対じゃないということを頭に置きながら、しかし、ある程度の拠り所としてやっていく。
そう考えてほしい。













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水彩のクロッキー

2011-11-19 | 絵のこと
一昨日のクロッキーは、水彩でやってみた。

私のクロッキーのやりかたは、消しゴムを使わないというルールにしている。
消しゴムを使っていると、間違ったら消せば良いという感覚になるから甘えが生じる。
消しゴムを使いだすと、先に進めない。下手をすると、消してしまって、何も残らないということさえある。

消しゴムを使わないというルールでやっていると、ボールペンでもコンテでも描けるようになる。
そう考えたら、筆ペンでも水彩でもできるはずだと考えが及んだ。

そこで私は、水彩絵の具で描いてみることにした。

やってみて思ったのは、私が最近セオリーにしている、「初めは薄く全体をシルエット的に掴む」ということがやれないことである。もし、やったら乾かなくて、次が描けない。
そうなると、そのシルエット的に掴むということを、頭の中でやらなければならない。目見当というものだ。
また、目や鼻の位置なども一発勝負で描かなければならない。それも難しい。
私は、まず最初の色を髪の毛の辺りに、置いてみた。いかん、濃すぎた。
もっと、薄く着けないと、描き込めない。そう感じたので、水の量を増やして薄めにつけた。
このくらいなら、間違っていても修正がきく。そんな手探りで描いた。

絵具は、プルシャンブルーを使ったが、そのままでは、色が派手すぎて嫌なので、黒を混ぜた。
ほとんど筆ペンの墨のようだが、筆ペンよりも水で薄める分、濃淡ができる。

ある程度、濃淡の使い分けの感覚がつかめたので、その後は、やはり、出発点と終点を掴むという意識で
捕まえた。いきなり上から下へ描いて行くという方法ではなく、いつも鉛筆で描くのと同じような方法である。
そして、ある程度薄めに掴めた後で、強弱をつけて行った。鉛筆で濃くする部分を絵具で暗くした。

目と鼻と口の部分について、一発勝負と言ったが、やはり、眉毛の位置、顎の位置を決めてから、鼻の出っ張りの位置を決めた。
その三点を置いてから、形をつなげて行った。出発点と終点という意識である。

そして、最後に水をたくさん含ませて、本当に薄く明暗をつけた。面で捉えるときの二つに分けるという感覚である。
それが、一昨日ここで紹介させてもらったクロッキーである。

    考えて見ると、鉛筆のない時代は、みんな筆で描いたのである。
    北斎の漫画という本が出されているが、見事に筆で捉えている。
    江戸時代の画家に鉛筆を持たせたら、なんでこんなに不便なもので描くのか?と言われるかもしれない。
















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