デッサンをするとき、棒を使って測るということをする。
クロッキーでは、そんなことをしている暇はないが、じっくり描くときには、私も測る。
デッサン会では、石膏デッサンをするときと、人物描き込みデッサンをするときに分かれるが、
どちらもじっくり描くデッサンだから、測ることが多い。
ただ、気をつけてほしいのは、測ることが絶対ではないという事である。
初めの内は、目見当より測る方が、デッサンがしっかりする。
目見当だと狂っていても気づかないことがあり、それを測ってみると、なるほどこんなに違うのかと確認できる。
しかし、デッサン力がついてくると、測らなくてもかなり違いがわかるようになる。
そして、更に進むと、測るとこうなんだけど、それだとどうも違うんだよなという事が起こる。
そんなときは、測ったことよりも、見た感覚を大事にした方が良いということも出て来る。
通信指導をしているTさんにも、ニュアンスの違いということを言った。
このニュアンスは、測った通りにすると、違ってしまうということが起こっているために、自分の眼を信用して測ることを絶対と考えないようにという意味でもあった。
私が学生時代に友だちとよく話したことの中に、「1+1は、2じゃない」という言葉がある。
これは、デッサンで測る時の注意である。
おそらく正確に測れるなら、1+1は、2になるのだろう。しかし、手が動く分正確にならない。自分が見ている視点さえ違っていても気づかないで測っていることもある。だから測ったことを絶対にするなという意味で言っていた。
測るよりも、見る目で違いに気づけという意味でもある。
ーーーーーーーーーーーーーーー
補足すると、測る時は、座り方まで背筋を伸ばしているのに、描いている時は前こごみになって、そこから見て描いている。
生徒を見ていると、そういう光景をたくさん目にする。おそらく私も過去には、そのようにやっていたのかもしれないと思い出す。
ーーーーー
ちょっと例を上げると、有名人のそっくりさんがテレビに出ることがある。
しかし、いくらそっくりと言っても違う事が明らかに分かる。
本当に見分けがつかないくらいそっくりという他人はなかなかいない。
かなり似ていても何か違うなと思う。
その違いを見抜ける力がデッサン力だろう。
そういう意味で、生徒のデッサンを厳しく見ると、同じビーナスのデッサンをしていても、
これは、ビーナスじゃないね。良く似ているけれど、違う人だよと言ったことがある。
見える通りの、本物のビーナスになるには?ということを考えて厳しく見ることができるようになったら、測ることを信用するだけでは駄目である。測る以上に厳しい目を持てと言えば良いだろうか?
そのニュアンスがつかめるかどうか?
最終的には、デッサン力とは、見る目の力である。
測るのは、確認の意味で行うのである。
ーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、デッサン力をつけるある段階においては、測ることに専念する時期があっても良い。
それは、一つだけでなく、あらゆる部分同士を比較すると良い。
一つの基準になる部分を決めて、それと比べてあらゆる部分を測ると良い。
しかし、それをしたら、次には、他のポイント同士の長さ比べ、幅比べもしてほしい。
最初に測ったことが正確に測れていれば、他もあっているはずである。
もし、合わなかったら、それは、測り方のどこかに問題があるということである。
そのときに、出て来るのが、「1+1は、2じゃない」である。
測るのは、絶対じゃないということを頭に置きながら、しかし、ある程度の拠り所としてやっていく。
そう考えてほしい。
クロッキーでは、そんなことをしている暇はないが、じっくり描くときには、私も測る。
デッサン会では、石膏デッサンをするときと、人物描き込みデッサンをするときに分かれるが、
どちらもじっくり描くデッサンだから、測ることが多い。
ただ、気をつけてほしいのは、測ることが絶対ではないという事である。
初めの内は、目見当より測る方が、デッサンがしっかりする。
目見当だと狂っていても気づかないことがあり、それを測ってみると、なるほどこんなに違うのかと確認できる。
しかし、デッサン力がついてくると、測らなくてもかなり違いがわかるようになる。
そして、更に進むと、測るとこうなんだけど、それだとどうも違うんだよなという事が起こる。
そんなときは、測ったことよりも、見た感覚を大事にした方が良いということも出て来る。
通信指導をしているTさんにも、ニュアンスの違いということを言った。
このニュアンスは、測った通りにすると、違ってしまうということが起こっているために、自分の眼を信用して測ることを絶対と考えないようにという意味でもあった。
私が学生時代に友だちとよく話したことの中に、「1+1は、2じゃない」という言葉がある。
これは、デッサンで測る時の注意である。
おそらく正確に測れるなら、1+1は、2になるのだろう。しかし、手が動く分正確にならない。自分が見ている視点さえ違っていても気づかないで測っていることもある。だから測ったことを絶対にするなという意味で言っていた。
測るよりも、見る目で違いに気づけという意味でもある。
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補足すると、測る時は、座り方まで背筋を伸ばしているのに、描いている時は前こごみになって、そこから見て描いている。
生徒を見ていると、そういう光景をたくさん目にする。おそらく私も過去には、そのようにやっていたのかもしれないと思い出す。
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ちょっと例を上げると、有名人のそっくりさんがテレビに出ることがある。
しかし、いくらそっくりと言っても違う事が明らかに分かる。
本当に見分けがつかないくらいそっくりという他人はなかなかいない。
かなり似ていても何か違うなと思う。
その違いを見抜ける力がデッサン力だろう。
そういう意味で、生徒のデッサンを厳しく見ると、同じビーナスのデッサンをしていても、
これは、ビーナスじゃないね。良く似ているけれど、違う人だよと言ったことがある。
見える通りの、本物のビーナスになるには?ということを考えて厳しく見ることができるようになったら、測ることを信用するだけでは駄目である。測る以上に厳しい目を持てと言えば良いだろうか?
そのニュアンスがつかめるかどうか?
最終的には、デッサン力とは、見る目の力である。
測るのは、確認の意味で行うのである。
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しかし、デッサン力をつけるある段階においては、測ることに専念する時期があっても良い。
それは、一つだけでなく、あらゆる部分同士を比較すると良い。
一つの基準になる部分を決めて、それと比べてあらゆる部分を測ると良い。
しかし、それをしたら、次には、他のポイント同士の長さ比べ、幅比べもしてほしい。
最初に測ったことが正確に測れていれば、他もあっているはずである。
もし、合わなかったら、それは、測り方のどこかに問題があるということである。
そのときに、出て来るのが、「1+1は、2じゃない」である。
測るのは、絶対じゃないということを頭に置きながら、しかし、ある程度の拠り所としてやっていく。
そう考えてほしい。