高校時代の思い出を17まで書いて、中断していました。
17でやめて余韻を持たせて想像してもらう方がいいかなという気持ちもあり、
また、高校時代の友達が読んでくれたら、何か反応があるかなとも思ったりして、
ストップしていましたが、ふと思い出して、これを先に書こうと思うことがありました。
二年生の時の話です。
制服自由化運動です。我々の時代は、どこの学校でも制服自由化の気運が高まっていました。
実は、その何年か前から、そういう運動はありました。しかし、大抵盛り上がらず消えていました。
それが、どういう気運か?また再燃したのです。
少し前の人たちは、制服を自由にしようと運動を起こしても、みんな知らん顔で無関心でした。
それは、そんなことをしても変わらないよという気持ちもあったのでしょう。
しかし、男子の帽子を被るという点においては、ほとんどの生徒が守っていませんでした。
そして、先生たちも帽子を被れとはいいませんでした。
これは暗黙の了解で、被らなくても良いことになっていました。
しかしよく考えると、制服をきちんと着るということは、帽子も含めてなのです。
生徒は校則を守らず、先生もそれを注意しない。これはおかしいことでした。
そこで、ある時代は、校門に生徒会と応援団が立ち、登校する生徒に「帽子を被れ、なぜ被らない」ということを
問いただす行動に出たそうです。
もし被るのが嫌なら、それをきちんと学校側に認めさせて、校則を変えるべきだと訴えたのです。
それは、校則やそれを変える運動に無関心な生徒に関心を持たせる行動だったようです。
しかし、それでも運動の気運は盛り上がりませんでした。
だから我々の時代は、なぜそれが盛り上がったのか不思議です。
理由は何だったのでしょうか。
私の想像では、この盛り上がりは本庄高校だけでなく、ほかの学校でも盛り上がっていたという状況があったからという
気がしています。また、先生たちにも制服は自由でいいじゃないかという議論があったのだと思います。
活動している私たちは、腹の中では、以前と同じように「これは運動に過ぎない、おそらく通らないだろう。」と思っていました。
ただ、一つだけ思ったのは、俺たちは無関心じゃない、無気力じゃない、無責任じゃないと叫びたかったのです。
いわゆる、三無主義という言葉に対する反発でした。
この時代に生きてる若者として、きちんと自分たちの意志を表示したかったのです。
私にとっては、その議論そのものが戦われること自体が意味のあることでした。
だから、やっている最中、反対意見が出たときには、私は嬉しそうな顔をしました。
友達から、「菅野は一体どっちの意見なんだ?」と問われました。
私はクラスの中での意見交換の中では、常に議長をしていました。誰から言われたのでもなく、クラス会議のときに自主的に議長をかってでたのです。
もちろん、制服自由か運動を展開しているのですから、自由化賛成派ではあります。しかし、議長なら立場上反対意見も大切に取り上げなければなりません。少数意見も尊重することが必要です。だから、誤解を受けたこともありましたが、議論そのものが重要に考えていました。
時には、授業担当の先生に申し出て、議論したいので授業をいただけませんかとお願いしました。
先生もそれを許可しました。そのかわり、後ろで見させてくれと言いました。
私は、先生の意見も求めました。
すると、ある先生から、「君たちの言っている制服自由化とは?」と問われました。
私たちは、「今着ている学生服は軍服の延長で、経済的に貧しかったときは一年中着ていられる便利なものだったけれど、もうそういう時代ではないと思う」と言いました。貧しくて着る服が買えない時代ではなくなったという表明でもあるという意見です。それに、外国から来た人から見ると、日本は随分と警官が多いのですねと言われるそうです。学生服を着ている人はみんな警察官だと勘違いされるらしいのです。
そう考えると、女子はセーラー服です。なぜ、水兵さんなの?という感じです。
本庄高校はセーラー服でした。
すると、先生は「制服制度の廃止なのか?それとも何を着ても制服だと考えるのか?」と問われました。
私は、それにはちょっと戸惑いました。私は何を着てもいいという状態を作りたいので、今ある学生服を着たい人は着ても構わないし、普段着の状態で来ても構わないという状態を作りたかったのです。
ただ、制度の廃止と言うと、反対派は反発がありました。「俺は制服が好きだ」というのです。廃止というときには、もう学生服は着てはいけないというニュアンスが付きまといました。
しかし、よく考えると、自由というのは曖昧です。
と言いつつ、その方がみんなの意見をまとめやすかったのかもしれません。
我々は自由を求めているんだという方が、一つになりやすかったのです。
結局、中身は制服制度の廃止だったのでしょう。今まで学生服と言っていたものが制服ではなくなったのですから。
学生服も私服になったわけです。
先生たちの出した結論は、生徒の意見を尊重するというものでした。しかし、校章は胸に付けるようにという条件が出されました。
だから、セーターで登校する場合は、セーターに校章をつけるということになりました。
ということは、一々着かえる度に付け替える必要があります。
ーーーーーーーーーーー
しかし、我々の要求は通ってしまいました。何度も生徒総会が行われ、各学年の意見がまとめられ、卒業していく三年生は自分たちには関係ないのに、前向きに議論して賛成してくれました。二年生が一番の中心のわけで、我々が一番重要な議論がなされたと思います。
一年生は、とにかくもう着たくないんだという乱暴なわがままのような意見でした。
そして、三学期にお試し期間が設けられ、自由にしたら、ファッションショーのようなことになるんじゃないかとか、乱れた服装になるんじゃないかという反対派の心配がどうなるかを見る期間が設けられました。
その辺は、「私たちのモラルを見てください」ということでした。
何も規制はしませんでした。
ただ考えが足りなかったかなと思うのは、その後、自由になった状態で入学してくる次世代の生徒たちがどうであるか、どう考えて行動するかまでは、考えが及びませんでした。
しかし、それは、その時代の生徒たちが考えるべきことではありますが。
ーーーーーーーーーーーーーー
制服が自由ということは、外見では本庄高校の生徒であることがわからなくなることです。
それをいいことに、大人のふりをして煙草を吸ったり、パチンコに入ったりするなどのことも起こりそうです。
また、制服を着ることで、高校生だと見られて、社会から守られていたということも知る必要があります。
それがなくなるのだから、一般社会人と同じようにみられることの責任も必要になってきます。
しかし、女子は相変わらず、セーラー服を買わされているようです。
そのあたりは、学校側で決めたようです。
本庄高校に入学できたという誇り、象徴でしょうか。買わなければいけないのか、自由なのかわかりません。
ただ、相変わらず、本庄高校にセーラー服姿が見られます。
他の学校も、この波に乗り、自由化が実現しましたが、その後、また制服に戻されたところもあります。
その学校の状況はわかりませんが、自由には責任が伴います。自由にした弊害が大きすぎたのでしょうか。
規制はしなかったとは言え、本庄高校でも半纏で登校して叱られた生徒がいました。モラルということを考えなけばならないでしょう。
私はときどき、学生服も着ていきました。運動の先端にいたとは言っても、学生服は嫌いではありません。何を着てもいいという状態を実現したかったのですから、理屈は通っています。
つづく
17でやめて余韻を持たせて想像してもらう方がいいかなという気持ちもあり、
また、高校時代の友達が読んでくれたら、何か反応があるかなとも思ったりして、
ストップしていましたが、ふと思い出して、これを先に書こうと思うことがありました。
二年生の時の話です。
制服自由化運動です。我々の時代は、どこの学校でも制服自由化の気運が高まっていました。
実は、その何年か前から、そういう運動はありました。しかし、大抵盛り上がらず消えていました。
それが、どういう気運か?また再燃したのです。
少し前の人たちは、制服を自由にしようと運動を起こしても、みんな知らん顔で無関心でした。
それは、そんなことをしても変わらないよという気持ちもあったのでしょう。
しかし、男子の帽子を被るという点においては、ほとんどの生徒が守っていませんでした。
そして、先生たちも帽子を被れとはいいませんでした。
これは暗黙の了解で、被らなくても良いことになっていました。
しかしよく考えると、制服をきちんと着るということは、帽子も含めてなのです。
生徒は校則を守らず、先生もそれを注意しない。これはおかしいことでした。
そこで、ある時代は、校門に生徒会と応援団が立ち、登校する生徒に「帽子を被れ、なぜ被らない」ということを
問いただす行動に出たそうです。
もし被るのが嫌なら、それをきちんと学校側に認めさせて、校則を変えるべきだと訴えたのです。
それは、校則やそれを変える運動に無関心な生徒に関心を持たせる行動だったようです。
しかし、それでも運動の気運は盛り上がりませんでした。
だから我々の時代は、なぜそれが盛り上がったのか不思議です。
理由は何だったのでしょうか。
私の想像では、この盛り上がりは本庄高校だけでなく、ほかの学校でも盛り上がっていたという状況があったからという
気がしています。また、先生たちにも制服は自由でいいじゃないかという議論があったのだと思います。
活動している私たちは、腹の中では、以前と同じように「これは運動に過ぎない、おそらく通らないだろう。」と思っていました。
ただ、一つだけ思ったのは、俺たちは無関心じゃない、無気力じゃない、無責任じゃないと叫びたかったのです。
いわゆる、三無主義という言葉に対する反発でした。
この時代に生きてる若者として、きちんと自分たちの意志を表示したかったのです。
私にとっては、その議論そのものが戦われること自体が意味のあることでした。
だから、やっている最中、反対意見が出たときには、私は嬉しそうな顔をしました。
友達から、「菅野は一体どっちの意見なんだ?」と問われました。
私はクラスの中での意見交換の中では、常に議長をしていました。誰から言われたのでもなく、クラス会議のときに自主的に議長をかってでたのです。
もちろん、制服自由か運動を展開しているのですから、自由化賛成派ではあります。しかし、議長なら立場上反対意見も大切に取り上げなければなりません。少数意見も尊重することが必要です。だから、誤解を受けたこともありましたが、議論そのものが重要に考えていました。
時には、授業担当の先生に申し出て、議論したいので授業をいただけませんかとお願いしました。
先生もそれを許可しました。そのかわり、後ろで見させてくれと言いました。
私は、先生の意見も求めました。
すると、ある先生から、「君たちの言っている制服自由化とは?」と問われました。
私たちは、「今着ている学生服は軍服の延長で、経済的に貧しかったときは一年中着ていられる便利なものだったけれど、もうそういう時代ではないと思う」と言いました。貧しくて着る服が買えない時代ではなくなったという表明でもあるという意見です。それに、外国から来た人から見ると、日本は随分と警官が多いのですねと言われるそうです。学生服を着ている人はみんな警察官だと勘違いされるらしいのです。
そう考えると、女子はセーラー服です。なぜ、水兵さんなの?という感じです。
本庄高校はセーラー服でした。
すると、先生は「制服制度の廃止なのか?それとも何を着ても制服だと考えるのか?」と問われました。
私は、それにはちょっと戸惑いました。私は何を着てもいいという状態を作りたいので、今ある学生服を着たい人は着ても構わないし、普段着の状態で来ても構わないという状態を作りたかったのです。
ただ、制度の廃止と言うと、反対派は反発がありました。「俺は制服が好きだ」というのです。廃止というときには、もう学生服は着てはいけないというニュアンスが付きまといました。
しかし、よく考えると、自由というのは曖昧です。
と言いつつ、その方がみんなの意見をまとめやすかったのかもしれません。
我々は自由を求めているんだという方が、一つになりやすかったのです。
結局、中身は制服制度の廃止だったのでしょう。今まで学生服と言っていたものが制服ではなくなったのですから。
学生服も私服になったわけです。
先生たちの出した結論は、生徒の意見を尊重するというものでした。しかし、校章は胸に付けるようにという条件が出されました。
だから、セーターで登校する場合は、セーターに校章をつけるということになりました。
ということは、一々着かえる度に付け替える必要があります。
ーーーーーーーーーーー
しかし、我々の要求は通ってしまいました。何度も生徒総会が行われ、各学年の意見がまとめられ、卒業していく三年生は自分たちには関係ないのに、前向きに議論して賛成してくれました。二年生が一番の中心のわけで、我々が一番重要な議論がなされたと思います。
一年生は、とにかくもう着たくないんだという乱暴なわがままのような意見でした。
そして、三学期にお試し期間が設けられ、自由にしたら、ファッションショーのようなことになるんじゃないかとか、乱れた服装になるんじゃないかという反対派の心配がどうなるかを見る期間が設けられました。
その辺は、「私たちのモラルを見てください」ということでした。
何も規制はしませんでした。
ただ考えが足りなかったかなと思うのは、その後、自由になった状態で入学してくる次世代の生徒たちがどうであるか、どう考えて行動するかまでは、考えが及びませんでした。
しかし、それは、その時代の生徒たちが考えるべきことではありますが。
ーーーーーーーーーーーーーー
制服が自由ということは、外見では本庄高校の生徒であることがわからなくなることです。
それをいいことに、大人のふりをして煙草を吸ったり、パチンコに入ったりするなどのことも起こりそうです。
また、制服を着ることで、高校生だと見られて、社会から守られていたということも知る必要があります。
それがなくなるのだから、一般社会人と同じようにみられることの責任も必要になってきます。
しかし、女子は相変わらず、セーラー服を買わされているようです。
そのあたりは、学校側で決めたようです。
本庄高校に入学できたという誇り、象徴でしょうか。買わなければいけないのか、自由なのかわかりません。
ただ、相変わらず、本庄高校にセーラー服姿が見られます。
他の学校も、この波に乗り、自由化が実現しましたが、その後、また制服に戻されたところもあります。
その学校の状況はわかりませんが、自由には責任が伴います。自由にした弊害が大きすぎたのでしょうか。
規制はしなかったとは言え、本庄高校でも半纏で登校して叱られた生徒がいました。モラルということを考えなけばならないでしょう。
私はときどき、学生服も着ていきました。運動の先端にいたとは言っても、学生服は嫌いではありません。何を着てもいいという状態を実現したかったのですから、理屈は通っています。
つづく
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