絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ローマ人の物語12

2009-11-23 | 読書
ローマ人の物語12を読み終えました。

3世紀のローマ帝国について、いろいろ知ることができました。パックスロマーナと言われる平和な時代が五賢帝の時代で終わって、3世紀はとにかく皇帝が20人以上入れ替わった。しかも次々と殺されて、混乱した。1年で5人も入れ替わる年さえあった。蛮族の侵入に手こずって、一時的に国が3つに割れる時代も経験した。その状態の中で、キリスト教が段々と広まっていったと分かりました。

私の認識が変わったのは、キリスト教は常に迫害されていたわけではなく、堂々と表で活動していたということです。

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最後に、キリスト教はなぜローマ帝国に広まったかという点について、塩野さんは4つの理由をあげています。それは、偶像崇拝を黙認した。割礼を洗礼に変えた。
ローマの政治体制を受け入れた。戦うことを否定しなかった。
ということです。

その4つがユダヤ教との違いだったというのです。

要するに、キリスト教を広めるためにキリスト教がローマに合わせた形になったということです。

1、本来は、偶像崇拝は禁止の筈です。しかし、文字も読めない人が多いので、絵や彫刻がある方が分かりやすい。人々に伝えやすいのです。

2、割礼は痛いです。洗礼は水を被るだけですから、痛くありません。

3、政治体制は、本来は、人間は神の前に平等ですから、人間に上下関係はない訳です。しかし、人々を納めるのに、役割が必要だから、それに選ばれるということは、神が与えた役割だと解釈したのです。

4、軍隊を否定しなかったという点だけ、私は納得がいきません。しかし、普通に考えれば、蛮族の侵入など理屈に合わない暴挙に対して、されるままになっているというのは、納得がいかないでしょう。家族を守るためには、戦わざるを得ないという方が、理屈に合います。

私が納得がいかないと言ったのは、「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」というキリスト教の有名な言葉から考えると、軍隊を持って戦いに出るということがおかしいからなのです。

しかし、この4つのことで、キリスト教はローマ帝国で受け入れやすくなりました。
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この後、4世紀に入ると、コンスタンチヌス帝によって、ミラノ勅令でキリスト教が公認されます。313年です。私は知りませんでしたが、コンスタンチヌス帝はキリスト教徒だったそうです。

13巻はその辺が語られているでしょう。楽しみです。



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