絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

美術史クイズ 122 解答と解説

2011-02-03 | 美術史クイズ
美術史クイズ 122

解答

第1問 ゴーギャン
第2問 後期印象派
第3問 ゴッホ、セザンヌ
第4問 タヒチ
第5問 平面的、装飾的
第6問 ナビ派
第7問 セルジエ

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解説

印象派の画家たちが、サロンに対抗して明るい絵を描き始め、そっくりに見える通りを追究しました。そして、サロンの黒い嫌な絵から脱出して、世の中に色の綺麗な絵が登場しました。しかし、見える通りを追究したはずなのに、絵が霞んで行きました。
色を追究し過ぎて、逆に見える通りから離れてしまったかのようです。

そして、その時代に写真が発明されて、画家は失業の危機に陥りました。

そこで、絵とは何かという問題が出て来ました。
それまでは、絵は写真のような役割をしていたのです。
見える通りに映像で残すには絵しかなかったのです。

それが、必要ないことになったのです。

そこで、絵の存在価値が問われ、絵の在り方が問題になりました。

写真ではできないことができないかということでしょうか?

果たして、どこまでそういう意識で描いていたかは定かではありませんが、
ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌは、あたかもその答えを出したかのような絵を描きました。
それは、見える通りの絵ではない絵を描いたのです。

その頃、ジャポニズムが起こります。日本ブームです。
日本の浮世絵がヨーロッパでもてはやされました。
平面的で、明るい装飾的な絵画です。
ゴーギャンも影響を受けました。
そして、平面的な装飾的な絵を描きました。

ゴーギャンがセルジエに教えたときの有名な言葉に、「地面は何色に見えるか?」とセルジエに聞きます。「赤っぽく見えます」と答えると、「それでは、君のパレットの中の一番綺麗だと思う赤を塗りなさい」というのがあります。
決して、「見える通りの地面の色を塗りなさい」ではないのです。

絵は自然を写すのではなく、絵として装飾するとでも言うのでしょうか?まさにそのような指導でした。

そして、そのように指導されたセルジエが仲間に伝えます。「ゴーギャンに教えられた通りに描いたらこんな絵ができたよ」と、それがナビ派を生みました。

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