気ままな遍路人

人生いろいろ…徒然な日記

遍路旅12

2007-09-06 21:43:11 | 遍路旅

初めてのお遍路では何かと荷物が多くなりがちです。以前にも書いたように「本当に無駄なものを持ってくるものだなぁ」と、我ながら欲の深さに驚きます。そうなんです何事も欲が人間をダメにするのです。

日常では車が混んでいるとイライラし、クラクションをならす気短の人もいますが、お遍路を経験すると私だけかも知れませんが、毎日20~40キロ歩く経験をすると「何て車って楽なんだろう。」と思います。だって、アクセルに足を置くだけで進むんですよ。こんな楽なことってありますか。多少渋滞していたって、ゆったりと待てばいいんです。車のシートで・・。

気温30℃前後の中を汗を掻きながら、一歩一歩自分の足だけが頼りのお遍路を経験すると、多少のことには動じなくなります。

果てしない道のりの中、苦しいはずなのですが、あくせくとした都会の時間が懐かしく思えてきます。


気分は最高

2007-09-05 23:13:54 | 日記

仕事がら座っている時間が長いので、今日は久しぶりに足のマッサージに行ってきました。整体及びマッサージが好きで、あちらこちらと行っていますが、今日のお店は最高でした。足のみのコースでしたが、施術後の感想は体がスッキリとし、足のかかとに羽が生えたようでした。お店の雰囲気も良く、スタッフも気楽に話せる方たちで「施術と会話」を楽しめるお店です。

店名 リラクゼーション&エステティック 葉舞(はぁぶ)

http://www.relax-herb.com

興味のある方は御覧下さい。


遍路旅11(不思議体験4)

2007-09-05 00:03:24 | 不思議体験

73番札所・出釈迦寺の奥の院と呼ばれる捨身ヶ嶽禅定参詣での不思議体験です。

この捨身ヶ嶽とは弘法大師様が7歳の時、「仏門に入って多くの人々を救いたい。この願いが叶うなら、お釈迦様よ現れたまえ。願いが叶わぬなら命を捨ててこの身を諸仏に捧げる。」と念じ、断崖から飛び下りた。すると釈迦如来と天女が現れ、弘法大師様は天女に抱きとめられた。と伝えられている断崖です。出釈迦寺境内から急坂を50分程上がった先にこの禅定があり、さらに約100mほど登ると身を投げた場所にたどり着きます。

前回、通し打ちをしたときに是非登ってみたいと思い、お遍路とは別に単発で訪れ挑戦しました。早朝から出釈迦寺に訪れ、まだ境内には人影もない状態でした。境内から禅定を見上げると結構な道のりに見え、「他に登る人がいないかな。」と辺りを見回しても誰もいません。意を決し境内裏に歩みを進めると私の目の前に初老の方が現れ、「一緒に登ろうか。」と話しかけてきました。思わず「お願いします。」と答え、出発しました。

年齢を聞くと75歳だと言われたが、足取りは軽快でとても75歳には見えません。色々とその方の素性を聞いた記憶はあるのですが、今となっては全く覚えていません。と言うか、記憶を消された感じです。道中も常に私の先を歩き案内してくれます。100mの断崖を登るときも、先に登り手を付く場所や足を置く場所を教えてくれます。飛び下りた場所に着いて私が断崖下を覗き込んでいるときも心配そうに傍にいてくれました。快晴日で雲一つなかったのですが、覗き込んだら絹のような雲が川のように断崖下に見え、老人に話したら「あんたにゃ、目の徳があるんじゃ。」と言われました。

小一時間ほど過ごし、今度は下りなると老人は私の先になり、登るときにとても苦労した崖を前向きに足だけでポンポンと跳ぶように下りていきました。私には真似できないので後ろ向きで一歩ずつ足場を確かめつつ下りました。

境内までの道中も弘法大師様の話を延々と聞かされ、いままで聞いたことのない話ばかりでした。途中で地元の方3人(みかん畑作業の方)とすれ違ったのですが、私の方を見て不思議そうな顔をし、「何を一人でブツブツ話しているんだ。」とでも、言いたそうな面持ちでした。そのときは、全然気にもとめていなかったのですが、境内に着き一息つこうと缶ジュースでもと思い老人に渡そうと振り返ったら、そこにいるはずの老人は瞬間的に消えたかのようにいませんでした。

もしかして、途中ですれ違った3人には、老人の姿が見えなかったのかと、そのとき初めて気がつきました。今、思うと75歳には見えない身のこなしと素性の記憶がないことを考えたとき、私はいったい誰と禅定にいったのか不思議でなりません。


遍路旅10

2007-09-03 14:25:05 | 遍路旅

前回のお遍路で松山市内に入ったとき、道後温泉(私はこの温泉の存在を知らなかった。)があると聞き、立ち寄ろうかどうか迷いました。何故なら、以前の私の性格上では、「温泉に行く=観光」と固く考えてしまっていたからです。でも、お遍路も半分を過ぎ色々な人と出会い貴重なお話もさせていただき、柔軟な考え方ができるようになっていたので、最終的に折角だから温泉に入って体を休めようと思い立ち寄りました。

お遍路をすることによって、今まで許容範囲でなかったものが、許容できるようになる経験をし、それがいつからなのか区切りもわからないのですが、自分自身が成長していることに気がつきました。

人によっては、日常生活で自分自身のことを分析することもなく、自身の考えに固執し他の意見を取り入れず小さい世界に閉じこもりがちの人も見かけますが、変化を求めるのであれば、お遍路も一つの方法だと思います。


遍路旅9

2007-09-02 23:01:50 | 遍路旅

次の日の遍路行程で、どこまで行くかを決定するのは他でもなく自分なのです。自分自身なのです。1時間に何キロ歩けるかを今までの経験で計算し、その日のキレの良い所までひたすら歩くことの繰り返しです。私は野宿をしない主義なので必ず宿の手配もしなければなりません。時には、どこの宿も満室で途方に暮れることもあります。それでも根性で探し出し宿泊先の確保に時間を費やします。宿の予約のときに「遍路をしている」というだけで、宿泊代を割り引いてくれるところもあり大変助かります。ビジネスホテルでは朝食サービスのところもあるので利用することが多いです。私の1日の予算は、宿泊代込みで約10,000円なので毎日就寝前に収支のチェックをし、無駄遣いはしていないか確認します。

私は遍路に行くときは必ず通し打ち(一度の行程で88ヶ所全てを巡ること)なので、一度自宅を出たら50日前後は帰ってきません。過酷な旅ですが、考えてみると贅沢な旅でもあります。でも、この遍路に費やす時間やお金は決して無駄なものではないと思います。

約1,400キロ前後を知力・体力を駆使し歩き通すのですから、何も得ない訳がありません。一生の内に1度や2度経験してみてもいいんじゃないかと思います。