気ままな遍路人

人生いろいろ…徒然な日記

遍路旅30

2008-02-02 16:37:06 | 遍路旅

香川県内にある85番札所・八栗寺は、五剣山の中腹にあります。寺に行くには八栗ケーブルを利用するのが手軽ですが、登山口駅左手の遍路道を登っても急な坂道ですが、約30分ほどで到着することが出来ます。

この八栗寺に向かう途中に、「うどん本陣 山田屋」というお店があります。八栗ケーブル口のほんの手前に位置しているので、食事時に通りかかったお遍路さんが、立ち寄ることも多いと思います。

うどんと蕎麦の違いはありますが、釧路でいうと「竹老園」のような佇まいです。庭園があり客席も沢山あって、大変混雑していますが、お店のスタッフさんの振り分けが絶妙なため待ち時間も短く、イライラすることもありません。

私は普段、うどんを食べる習慣がない(蕎麦通なものですから)のですが、せっかく讃岐地方に来たのだからと思い、この店に入ってみました。

食べたのは「ざるぶっかけうどん」というものですが、「うどん」ってこんなに美味しいものなのかと、初めて思ったほどの衝撃をうけました。皆さんにも機会があったら、是非ご賞味して頂きたいと思います。

「うどん本陣 山田屋」  http://www.yamada-ya.com/


迷惑なひと。

2008-02-01 18:26:32 | 日記

最近、知り合いから聞いた話ですが、友人に霊感の強い人がいて、自宅に遊びに来たとき、「この家は何か居るわよ。」と言われたそうです。


その霊感が強い人は、自分の霊感が如何に凄いか説明し、延々と自慢話で盛り上がり、最後に、「この家は何か居るわよ。」と言ったそうです。言われた方にしてみれば、この家で家族の間で心霊現象を経験したこともないのに、甚だ迷惑な話で余計な心配事が増えたと言うのです。


この手の話は、たまに聞きますが、確かに普通の人には見えないものが見えるという人はいると私自身は思いますが、ただ見えることを自慢したいがために、無責任に言葉を発するのは如何なものかと思います。


決まってこういう人は言うだけ言って、本当に見えているのか疑わしいですが見えていたと仮定しても、それをどうしたら良いのかという対策は全くなく、ただ「私は特殊な能力を持っているのよ。」という自己満足に浸っている人が多いと思います。

こういう人に出会って上記のようなことを言われた時は、思いあたる事がないのなら、差し障りなく受け流すことが一番の対策です。


働くということ。

2008-02-01 00:26:32 | 日記

私たちの親の時代は食べるために働く・家族を養うために働くなど、日本の高度成長期において、誰しもが働くことに個人的な意識も持たず働く場所があれば、ただひたすらに働くという日々を過ごしてきました。

現在はというと、仕事に生きがいを求めたり、やりがいを追求したりと、個人レベルで職業を選択することが主体になっています。生活することが最優先ではなく、自分にとって環境の良い仕事を選択することが当たり前になっている世の中です。

だから、人によっては不利益なことが起こると、より良い環境を求めてその場から逃避することを考えてしまうのです。

余りにも裕福な時代に生まれた私たちは、苦しい状況を乗り越えようとする忍耐力が欠乏しているのです。

精神力の弱い私たちは、将来を担う子供たちに何も残してあげることが出来ないのです。若い世代が育つ前に転職してしまうため、日本の唯一の自慢であった技術力や忍耐強さを失いかけているのです。

だって、会社の不平不満や人間関係の醜さを、見て聞いて育った子供たちに「頑張れ!」って言えますか?

自分たちが完遂できなかったことを子供たちに押し付けることが出来ますか?

「自分さえ良ければ良い。より良い環境で生きていけたら良い。」という利己主義な親たちに育てられた子供たちの未来に何が訪れるでしょうか?