人には誰でも苦手な人がいると思います。私自身サラリーマン時代に配属された部署で、「あの人には気をつけて接したほうがいいよ。」と周囲の人から厄介者として扱われていた上司がいました。
私は、その人の事は全然何一つ知らないので、周囲の人の意見は聞き入れましたが、どれ程の厄介者なのか自分で確認するまでは普通に接することとしました。ある時、私は出社時間の1時間前に出勤し、色々と新しい部署の書類などを自分なりに点検していました。
すると勤務時間の5分前にその上司が出社してきて、私が1時間前に出勤していたことを知ると、いきなりこう言いました。「何でそんなに早く出勤してるんだ。迷惑だから、止めろ!」と怒鳴りつけてきました。
私は「はぁ?」となり、正直なところカチンときましたが、そこは冷静に「配属されたばかりで、右も左も解らないので、一日も早く皆さんと同じ知識を持ちたいので、過去の書類を見て勉強するため自分の判断で来ました。もちろん、早出手当てをもらう気はありません。」と答えました。
それを聞いた上司は、「そんな理由どうでも良いんだ。お前が俺より先に出勤しているのが問題なんだ!」と言うのです。それを聞いて私はあきれる他ありませんでした。
ある時は、夜間工事作業がある日に監督業務をしなければならなかったのですが、その上司の勤務時間が午後6時までだったので、当然残業で残るものと思っていたら、「〇〇君、俺は帰宅するので、あとは頼むな。」と言って、業者と作業打ち合わせ中にも関わらず、6時きっかりに帰ってしまいました。結局、私が午前4時まで残業となりました。
その他諸々の問題のある上司ですが、私は何か良いところはないかと探したら、この上司は人が羨むほどの技術的国家資格の持ち主で、知識も技術もそうとうなものを持っていることを知り、これは只嫌うだけでは損をすると思いました。
それからは、嫌なところはそれなりに無視し、その知識と技術を自分のものにしてやろうと必死に上司のそばに付き勉強しました。おかげで私も多種の技術的国家資格を持つことができ、その会社で通常よりも早く部下をもつ立場になることができました。
やはり、嫌うだけでは何も解決することがなく、心が痛むだけですが冷静に何か自分の足しになるべきものを持っていることもあるので、客観的にその人を分析してみるのも、苦手な人を克服する手段だと思うのです。
「余生をゆったり暮らしたい。」という人がいますが、誠に勝手ながら個人的な考えを言わせて頂くと、人の命に神様は「余生」というものを与えてくれているとは私は思いません。
「おぎゃ~。」と生まれてから、寿命尽きるまで人は一生懸命に生きなければいけないと思うのです。生まれることが出来なかった命・生まれて短時間で召される命・10代、20代と若い世代で召される命・年代を問わず自ら絶つ命・平均寿命が80歳を越えている現在余りにも早すぎる命が多い中、「余った命を持つこと自体おこがましい。」と思うのです。
私は輪廻転生を信じる人間なので、命を頂いただけでも有難いことであって、自分に与えられた苦難や出来事を日々考え、どんなに苦しくても乗り越えることが、自分に与えられた使命だと理解し、「その内、年老いたらゆったりと暮らせる日が来るだろうから、その日を楽しみにして若い内は頑張ろう。」などと考えることは私の頭の中にはありません。
100歳で亡くなると天寿を全うしたと讃えられることが多いですが、私は若い年代で亡くなる人も天寿を全うしたと讃えられることが正解ではないかと思うのです。確かに若い人が亡くなると残された家族の悲しさ・苦しさは最もなことですが、輪廻転生の考え方からすると、その人が生まれてきた尊い命の使命がそこで果たされたと私は思うのです。
ただ、自ら絶つ命は別物だと思うのです。神様から頂いた命を無駄にしたのですから、しばらくの間は輪廻転生の周期から外されることと思うのです。でも、また時が経ち必ずこの世に命を頂いて過去の自分の犯した過ちを正すべく使命を与えられるものだと思うのです。過ちを繰り返すことなく与えられた寿命を精一杯生きることが出来るまで、何度でも繰り返されると思うのです。だから、いつの時代もその使命を頂いて生まれてきた人の周囲の人間(家族)は、この人の魂が間違いに気づくまで苦しむこととなるのです。
良く「何のために生まれてきたの?」・「人は何故生きなければならないの?」と問う人がいますが、そんなこと誰に聞いても解らないと思います。聞かれた人は説き伏せようとして必死に考えると思いますが、逆に解る人がいてその疑問に答えることが出来たら、自ら命を絶つ人が減ると思いますか?そんな質問をする人は「さぁ、なんて答えるの?答えられないくせに・・・。」と人を試すような心の持ち主に多い傾向があると思います。その言動が先程述べた「間違いに気づいていない」という状態だと思います。
そんな質問は、まず与えられた寿命を一生懸命生きて、いつかそれこそ天寿をまっとうして、天国へ行ったとき、神様に直接聞くのが一番良いのではないかと思うのです。貴女が嫌になるほど時間をかけて説明してくれることでしょう。
「玉の輿に乗って裕福な生活がしたい。」なんて言う人がいます。確かに玉の輿に乗る人はいますが、そうなる為にはそれ相応の努力が必要です。
まるで宝くじに当たるかのような発想では、なかなか玉の輿に乗ることは無理といえるでしょう。宝くじ(高額当選者)に当たると大抵の人は、その後の人生に身を崩すと言われてます。それと同様のことが起きかねないと思うのです。
自由に使えるお金を持ったならば、そのお金の使い方を知らなければ、ただの浪費家になります。家政婦を雇える身分になったら、人を使う能力を身につけなければ、ただの高慢ちきな人間に見られます。
セレブな生活を送るためには、それなりの知識・教養などが身についてなければなりません。外見だけを繕っても、上流社会では直ぐに見破られボロが出てしまいます。羨ましく思っているほど楽な世界ではなく、逆に非常に疲れる世界だと思うのです。
物に頼って運勢を上げようとしたり、今の立場に不満を抱いている状態では、今時点の自分から脱却できないのではないでしょうか?そんなことよりも、今の一瞬を大切に貴女を愛してくれる人がいるならば、それに応えるべく愛情を注ぐのが人としての道ではないかと思うのです。
ある男性の方の話ですが、景気が悪いため会社からまともな給料を貰えず、この先の将来に不安を抱いて日々暮らしていました。彼なりに転職も視野に入れ現状を打開すべく頑張っていたのです。
そんな矢先に、奥さんから離婚話が持ち上がり、それに彼は抵抗することなく応じたというのです。法律的にいけば、こんな事由で離婚は認められないと思うのですが、既に離婚届けを提出してしまったと言うのです。子供も2人いたのですが、親権は奥さんに取られ子供と会うすべもありません。5年前に新築し家族全員で仲良く暮らしていた日々が、ある日突然崩れ去ったのです。
この話を聞いたとき、私は夫婦たるものお互いに相手が苦しんでいるときには手と手を取り合って、協力して難局を乗り越えていくものではないかと思いました。
奥さんの言い分は、「まともなお金も稼げないから・・・。」ということだったらしいのですが、本当にそれが理由だとしたら、この奥さんはこの先救われない人生を歩むだろうと思いました。何よりも一番心配なのは、こういう感覚の母親に育てられる子供たちです。
大人たちの勝手な都合に振り回され、父親と無理やり引き裂かれて真っ直ぐに育つことができるでしょうか?
この奥さんは「自分を幸せに出来ないものは夫であろうとも切り捨てる。」とでも言いたいのでしょうか?自宅を取り上げローンは夫に被せ更に慰謝料を請求し、さぞ満足なことでしょうが、そんなに人生自分勝手には旨くいかないものだと、そのうち思い知らされるでしょう。
私は彼に「貴方と別れて失敗した。」と強欲な嫁に言わすべく、一念発起してがむしゃらに働くように助言しました。元々稼ぐ人なので、単身の身を逆に生かして大きく羽ばたいてもらいたいです。
一時は会えなくて寂しいかも知れませんが、子供たちもそのうち大きくなり、自分の意思で会いにきてくれると私は思うのです。そのためにも、どんな手を使っても連絡先を解るようにしておくことも助言しました。
自分の幸せを願うなら、相手の幸せを一番に願うことが、本当に幸せになれるのではないでしょうか。地位もお金もあの世には持っていけません。人に愛されたという想い出が宝物となって、あの世に唯一持ち込めるものだと思うのです。