近所の図書館が6月2日から開館と貼り紙を目にした。仕事が本格的に始まったから土日にしか行けない。
世の中が急に動き出した感じする。現在の社会は、高度な資本主義(消費資本主義)という経済制度の時期で、一般国民の個人消費が社会全体の経済を左右する。
言い換えれば、「超資本主義」の時代。消費とは、自由な消費と光熱費のような必ず必要な消費の和であるが、現在は給料の半分以上が自由な消費に使われるという、消費過剰の状態が続いている。
だから、国民の命より経済消費を優先する国のリーダーが出てきたりする。経済現象から世界をつかもうとする。それが1番わかりやすい世界の認識方法になっている。
昭和時代の資本主義の主役は、生産者、文学の世界なら小説家、つまり創作者だった。ところが、消費資本主義の主役は消費者、読み手になっている。
つまり、ほんとうにいい作品を書いたかどうかなんて、出版資本にとって「従」の問題で、「主」たる問題は、読者がたくさんつくかどうか、売れるかどうかになっている。
こういう時代は、「大衆性」や「娯楽性」の高いもので、作品としても出来のいいものに人気が集まる。もうこの傾向はこれからもっと強まるだろうと思う。
昭和時代の学生の頃、私は自称文学青年で理系で数学専攻していた。文学というものは人間性の永遠とはということが1番大切なことで、反して数学には人間性という要素はなく自然法則の一部分の解明であって、その時代、時代の社会の変化はあまり関係のないことだと思っていた(うぬぼれていた)。
ところが、卒業して社会で仕事始めたら、世の中の経済動向にいかに左右される重要な要素か痛感させられた。
いったい自分の何がダメだったのかと考えたら、それまで世界(世の中)を認識する方法について全然考えてなかったのだと思い至った。
以来、経済制度が動くと、文化とか文明とかのような、ほかの精神的な動きも変わるんだというマルクスの考え方を中心にして、世の中をつかむ見方を学んでいったような気がする。
若いときも、今も悩むことはあるが、歳を重ねると随分と楽観的になり突き詰めて悩まなくなる。悩むということは、実はとても人間らしいことで、悩みのない人生なんてありえない。
どうしたら悩まずに生きていけるのか、一生のテーマで私にはまだよくわからない。ただ、何が自分を悩ませてるのかは、世の中を自分なりにつかむ方法や世界を認識する方法を知っていれば、見えてくるのではないかと思う。
この世界を認識する方法が、経済的側面と文学的側面の相容れない二つの側面があるのではないかと思う。まだ読み返したい小説がたくさんある。