本日の小野健さんのお通夜は遺言通り、無宗教でお焼香はなく献花で行われました。新聞などでの訃報は登山家として報道されていますが、工学博士として無尽蔵の石灰岩の黒姫山原石採掘などで電気化学工業社に大きな功績をもたらしたことは言うまでもありません。弔辞のお別れの言葉は、元工場次長と山のお仲間お二人がその情熱の足跡を述べられました。
ただ少し残念だったのは、旧青海町の町議会議員として確か4期16年務められたことはどこでもふれられることがなく寂しく思いました。当時は企業城下町議員の中でも卓越した感性と情熱で“我が道”をゆくことで周囲の議員から疎ましく思われていたこともありますが、とても人間味溢れるあたたかい人でした。また今日の斎場ロビーでは故人を偲ぶ山の道具やアルバムなどがいっぱい置かれて、その中の一番大きいパネルは2004年2月の「NHK地域放送文化賞受賞」のお祝いパネルで、遺影とともに承諾を得てからデジカメに収めました。
おりしも本日の糸魚川タイムス紙では、H8年4月に開館した青海総合文化会館内の青海自然史博物館が今月末で閉館となることで「“地質”に特化し18年」と取り上げていました。建設計画当時の特別委員会では地質の専門家として、私と同様に熱くなりすぎる健さんを思い出します。町議会を離れてからも地域文化に貢献され、いつも独特の福島なまりで「せ~こさん」「健さん」とお付き合いをさせていただき、最後にお話しをしたのは昨年11月の谷村美術館でのフォーラムだったかと思います。道なき道の栂海(つがみ)新道を開拓した“孤高の人”で、心よりご冥福をお祈りいたします。