すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

あれから10年と不死鳥都市の100年と・・・

2014年10月23日 | 日々思うこと

大地を震撼させた中越地震から10年、新潟県中越地域を震源とした最大震度7の大地震により、多くの犠牲者と大きな被害が生じました。あの頃の山古志村や川口町、小千谷市を何度か訪れましたが、復旧復興に向けて被災者らには長い10年だったことでしょう。また約92時間後に救出された皆川優太君はまだ2歳で、祖父母に育てられ今は中学生になって「人の役に立ちたい」と将来の夢を語るその成長に10年の歳月が伝わりました。また2007年7月には中越沖地震があり、その後は未曾有の東日本大震災や大型台風など、日本列島は常に自然の猛威に脅かされてきました。

おりしもNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」の再放送を視聴しました。番組では100年の間に震災と戦争によって2度も焼け野原となりながら、不死鳥のようによみがえった東京を撮影した白黒の記録映像を世界中から収集し、現実にできるだけ近くなるよう色彩を復元し100年の姿を丁寧に取り上げていました。特筆すべきは初公開のフルカラー映像の技術もさることながら、生きづらい時代に輝く作品を残した伊丹万作氏(伊丹十三氏の父)の「戦争責任者の問題」(1946年)を紹介していたことに、NHKの良心を垣間見る思いです。

伊丹万作氏は第二次大戦後、「いま、一人の人間が誰かにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別の誰かをだますというようなことを繰り返してきた。つまり日本人全体がお互にだましたりだまされたりで、誰一人だまされることがなかったら戦争は起こらなかった」と・・・。そしてこれからもだまされ続けるであろうという主旨の内容で、安倍政権の集団的自衛権の行使容認を重ねてしまいました。さらに作家の杉本苑子さんは、1964年10月10日の東京オリンピック開会式の抜けるような青空の中の入場行進と、1943年10月21日、明治神宮外苑競技場での雨の中の学徒出陣の両方の場に居合わせていたことで、激動の20年を複雑な思いで語っていたことが心に残りました。

秋も深まり里山も色づき、気がつけば10月も残り一週間ほどになりました、一年中緑を保っている常緑樹もいいものですが、街なかの色鮮やかな街路樹もまた格別です。日一日と冷え込んで、黒姫山の初冠雪はもう直ぐかもしれません。「gooブログ」に引越しをしてから10日が経ち、何かと不慣れのためご迷惑をおかけしているようですが、こちらを直接アクセスしていただいた方が便利かと思います。右下のコメントから今まで通りにメールが届きますが、掲載を拒否される場合はその旨を明記くださいますよう。