拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 やっと見つけた ”希望”

2013年04月13日 | マトリックス・J
 ボクは自身を表現者の「端くれ者」と見なしている故か 他の表現者(ことに著名人)が表現しないことに いつも腹を立てて来たが  

 きのう ツイッターで 河野アミ さんの 「希望の在りか」表現する人々の インタビュー集・・・というのを 発見して
   http://amigo.lekumo.biz/kibounoarika/ (コピー&貼り付け)
 嗚呼 ついに見つけた!・・・こういうのを 見たかったんだ!と 河野アミさんの仕事に 拍手しました。

 正直 まだ全員のインタビューを読んでいないんだけど 藤波心さんと 小室等さんの 言葉に印象に残ったものが
 あったので 部分紹介します。

     小室:本当にそのとおりです。だからせめて、3.11を経験した僕らは、そのことをきちんと認識して、
     自分のなかの誠意みたいなものを、折れないように持ち続けなきゃいけないと思うんです。
     たとえば、孤軍奮闘している山本太郎さんに、ややもすると、より専門的な知識を持っている人がディヴェートを仕掛けて
     彼が答えに窮する時もあるわけです。でも、そんな時に彼を孤立させてはいけない。

     ──小室さんは、山本太郎さんの原発や放射能問題に対する活動を、どうご覧になっていますか。

     小室:僕が見ていて思うのは、彼は一生懸命にがんばっているんだけれども、世のなかがなかなか動いてくれないから、
     よりがんばってしまっているんじゃないかとね。
     でも、彼が孤軍奮闘しなくて済むように、みんなが変わっていかなくちゃと思います。
     誰かの代表になって動くというのは、傷つく可能性がすごくあるのだから。

    ──(藤波)心さんは以前ブログに「希望というのは、人間にとって一番大切なものを気づかせてくれるものなんじゃないか」と書いていましたよね。
   そのことについて、もう少し教えてもらえますか?

   藤波:私たち人類と動物との違いって結構たくさんあると思うんですけど、人類は進化のなかで、弱い者を守ったり、
    お互いを助け合う能力を持つようになったと私は思っていて、そのためにいろいろなルールを作ったのが国というものだと思うんですね。
    だから、弱いものを守る心、お互いを助け合う精神というのが、今の私たちに与えられた希望じゃないかと思います。

  

                       遅刻した 春をむかえる 雪帽子  :一撮 (モルジュから見たレマン湖 4月13日)
 



 



   




 
  


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