どうしてこうも、いつもいつもオヤジギャグ…的タイトルになってしまうのだろう。
私の学歴は一応、高卒であるけれども、実質中卒のようなもの、高校の3年間まったく勉強をしなかったからだ。
入学時、母子家庭で生活保護受給していたが、高校1年生のとき母が心臓病で他界、高校卒業後は就職するのが
当たり前…と思っていたから、進学校の授業にはつまらなくて、ついてゆけなかった。
では何故、そんな進学の高校を選んだのか・・・。私は何にも知らなかったからだ。
地元ではいい学校…と言われていた。ただそれだけの理由だった。
生活保護を受給していると、進学出来ない・・・事は、ごく最近山本太郎の街頭演説を聞いて初めて知った。
今現在そんな法律があるんだから、50年前は確実にボクは大学に行けなかったのだろう。
でも、今日はそんなことを書こうと思っていたわけではなく、友人らが皆、大学に進学してちょっぴり
羨ましい気がしていたが、だいぶ後の私の人生の経歴に『円覚寺』に通覚することになるとは、仏様でも
思わなかったであろう。
大学に行った連中は知識を山積みしに行ったが、私の円覚は真逆に、貧しい学識すら奪い取って私を丸裸にした。
確かに、学歴も大事であるが、それよりも『覚歴』はもっと大事であったと思う。
感服
私は父だけの家庭
中学卒業して夜間高校(働くため)中退
検定受けて、それが橋になって
今に至りますが、
今までは私が一番苦労したと自負していたのに、
私を超える者が現れた感じです。
負けて嬉しいのやら、悔しいのやら、
今回の記事は、如何なる小説より小説ぽい実話ですね。
次回の続きが楽しみ?
出生のために苦労したと思うには、当時は若すぎて何も思わなかったですが、結果的に、すんなりした人生よりは隠し味のコクが深まるような気がしますが、どうでしょう。