Shevaのブログ
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サイモンのインタビューPart1




An interview with Simon Keenlyside at Bayerischen Staatsoper July 2004


イントロダクション
サイモン「やあ、みなさん、どうもこんばんは。これ、僕に? うれしいな。」
司会「赤ワイン、ボトル1本ですよ。」
サイモン「これ、使うの?」(マイク)「マイク苦手なんですけど。」
司会「できればその…」
サイモン「しょうがないね。」
司会「あなたについてのレビューを短く紹介したいのですが。
“あまたいるオペラ歌手の中でも、サイモン・キーンリーサイドだけが、知的常識人ヴォルフラムを演じて忘れがたい印象を残してくれる。”
そしてまさにその忘れがたい我らがヴォルフラム、サイモン・キーンリーサイドがきょうのお客様です。ようこそいらっしゃいました。
キーンリーサイドさん、最近、トーマス・アデスの新作オペラ「テンペスト」で、プロスペロを歌われましたね。
あなたにとって、現代音楽とは何ですか?」

サイモン「その前にいいかな。僕のドイツ語はひどいもんだけど、ドイツ語でしゃべらせてください。うまくいかなかったら… それに、マイクなしでやりたいんです。もし声が小さかったら言ってください。僕はマイクが苦手です。いつもマイクに煩わされてばかり。」
司会「じゃあ、どけときましょう。」
サイモン「悪いね。あっ、ついでに言うと、CDも苦手です。」

トーマス・アデス「テンペスト」、現代音楽、バロック音楽
サイモン「さて、(さっきの質問についてですが)、テンペストがすばらしい作品かと聞かれると、単に歌い手としては非常に答えにくい。でもすばらしい作品なんです。僕の意見じゃありませんが。プロスペロを歌うのは、リリックではない役なので、すごくのどに負担です。すっごくがんばって(作曲者の思惑通り)達成してみせたとしても。“fulfilling”はドイツ語でなんて言ったらいいのかな。
司会「達成された?」
聴衆「難しい?」
サイモン「難しい? その通り、死ぬほどね。むちゃくちゃ低くて、高すぎる。ある時はテナーだったかと思うと、次の瞬間には、すごく低い。でもそういうものなの。楽譜どおりにやることが僕には重要でした。」

聴衆「トーマス・アデスはどんな作曲家ですか? シェーンベルグみたいなんですか? それともケーゲル? 後期ロマン派とか?」
サイモン「トーマス・アデスみたいですね。」
(聴衆、笑)
サイモン「ほんと言うとね、僕がトーマス・アデスの作品を知ってたら引き受けなかったよ。僕がうちに2ヶ月しかいなかったもんで、知らなかった。でもそれは最初思っただけで、この作品をやった理由の半分は、これが物まねでないということ。これは大したことです。」

司会「プロスペロはかなり難役だとおっしゃいましたが、現代音楽はよくお歌いになる?」
サイモン「いや、現代音楽はあまり歌いたいとは思いませんね。なぜかって? われわれ歌い手は、新しい音楽を作っていく責任はあるけど、そればっかりじゃない。僕が好きなのは叙情詩です。昔の貿易の時代の歌です。僕はこれにすごく関心があって、自分でも歌いたいと思っています。17,18世紀頃がいいんです(笑)ベンジャミン・ブリテンよりもね。あぁ、もっと時間が欲しいよ。」

司会「古い音楽(old music)ですか。普通はold music とはルネッサンス時代から初期のバロック時代の音楽を指すんですよね。バロック音楽は歌いますか?」
サイモン「モンテヴェルディは?中世の音楽ですか?」
聴衆「ルネサンス後期、バロック前期です。」
サイモン「モンテヴェルディの「オルフェオ」は、ためしに一度歌ったことがあります。これが驚きで、すごくよかったんです。だから質問の答えはこうです。バロックは、モンテヴェルディを歌いましたが、そう度々は歌いません。リサイタルには向いてますけど。」
司会「リサイタルはけっこうやってますよね。」
サイモン「そうですね。」

生い立ち バックグラウンド
司会「あなたの家族は音楽一家だったそうですね。」
サイモン「うん。」
司会「だから幼い頃から音楽に親しんでいた。どうだったか教えていただけますか?」
サイモン「祖父は有名な、バイオリンの演奏家、いわゆる「バイオリン弾き(フィドラーズ)」でした。最初は、1940年代は、祖父は、「エオリアン・ストリング・カルテット」という弦楽四重奏団に入っていて、父もやってたので、うちで歌曲を聴いたことはありませんでした。」
司会「バイオリンだけだった?」
サイモン「そう。母が僕をみょうちきりんな寄宿学校に入れて、そこでは僕らは一日に4時間も8歳になったばかりで歌わされるんです。そしてしょっちゅう演奏旅行ばかりしていました。」

司会「ケンブリッジの有名な少年合唱団。」
サイモン「そうそう。」
司会「演奏旅行ばかりだったんですね。歌ってたのは教会音楽だけだったのか、
それとも世俗的な歌も歌っていたのですか?」
サイモン「教会音楽ですけど、半分は近代音楽もやりまして、
メシアン、ティペットとかいろいろ出会いました。」
司会「じゃあ、その時(すでに)近代音楽を歌っていたんですね。」
サイモン「合唱団で、ですけどね。音楽レベルはプロのレベルでしたね。」
司会「プロのレベルですって?」
サイモン「そうです。」
司会「もうヨーロッパ以外にも公演旅行していたんですよね。」
サイモン「そう。」
司会「ヨーロッパだけ?」
サイモン「いや、アメリカ、オーストラリア、日本、ヨーロッパのあらゆるところに行きました。」
司会「子供の頃からスターだったんですね。」
サイモン「合唱団が、だよ。僕がそうだったわけじゃない。」
司会「ソロも歌ったんですか、それとも合唱だけ?」
サイモン「そうですよ、両方やらなくっちゃいけないんです。」
司会「じゃ、ソロも歌った?」
サイモン「両方ね。歌いました。」
司会「ソプラノですか、アルトですか?」
サイモン「ソプラノだけですよ、高音部です。少年合唱の高音、なんてったらいいのかな。」
司会「少年合唱は、ソプラノでもアルトでもないの?」
サイモン「そう、イギリスでは。「トレブル」と「コントラ」です。「コントラ」とはカウンターテナーのことです。」

司会「でも結局は音楽の世界にしばし別れを告げて、動物学を専攻する。」
サイモン「まあ、そうですね。」
司会「なぜですか?」
サイモン「情熱ですかね。あまたの動物達の中でもただひとつの動物へ抱く情熱ですよ。」
(聴衆:笑)
サイモン「でもほんとに思うんです。自分の人生をかけて、この世界を見て回って、この惑星を共有する動物たちを見て回りたいって。」

司会「それが、学業を早くに離れて、音楽の勉強もいったんはやめていた理由なのですか。」
サイモン「いいえ、僕はずっと大学で勉強していたんです。それで結局24歳まで、大学にいましたけど、それはイングランドでは普通なことです。それから4年間、29歳になるまで音楽大学に通っていました。イングランドでは、それはちょっと遅めだったんですが。」
司会「イングランドではね。ここでは普通です。」
(サイモン、笑)
司会「それはマンチェスターの学校(the Royal Northern College of Music)ですか?」
サイモン「そうです。」
司会「たくさん有名な歌手を輩出しているところですよね。」
サイモン「そうです。とってもいいところでした。学費が安かったからです。これは肝心なことで、水兵さんや消防士と同じで、リスクは少ない方がいい。たとえば、課程全ての学費が500ポンドでしたから、レベルの高い学生がたくさん通えました。(お金の問題は)大きいことです。

司会「ここでは、(ドイツでは)私立の寄宿学校に行くのでもなければ、学費は免除で勉強できます。」
サイモン「なるほど。」
司会「大学も少しはかかりますが、同じようなもんです。」
サイモン「僕も大学の学費を払ってませんでしたが、第二課程は自分で払わなくてはいけませんでした。」


Part 2へ続く






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