Shevaのブログ
サッカー、テニス、バレエ、オペラ、クラシック音楽 そのほか
 



サイモンのインタビューPart2




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part2


デビュー
司会「それで、いよいよ、最初のオペラに出演する。」
サイモン「そう、ハンブルクで。」
司会「きのうは違うことをおっしゃってましたよね?」
サイモン「あぁ、そう。オールデバローでの「ルクレティアの陵辱」(ブリテン)です。
みなさんはこの作品をご覧になりましたか?」
(サイモン、聴衆に尋ねる。この作品はちょうどこの時バイエルン州立歌劇場で上演されていた。一同肯定の返事。)

サイモン「どうでしたか?(聴衆、良い感触)おもしろいですよね~ 僕的には最後の5分間は納得できないけど(笑)。それはおいといてもすばらしい作品です。実に。プリンツレゲンテン劇場(Prinzregententheater)(=バイエルン州立歌劇場、公演会場のひとつで、夏のオペラ・フェスティヴァル用に、バイロイト祝祭劇場を模して建てられた。)は、音響がオールデバローのに似ていて、ちょっと疲れてしまう。(ブリテンの)「戦争レクイエム」や「レイプ・オブ・ルクレティア」のような、“quasi religioso”(すごく宗教的な)オペラとかをやるにはね。音響材が良くないと思うんだけど。」
司会「でも、プリンツレゲンテン劇場はオペラ・ハウスですよ。」
サイモン「わかってますけど、でも、すべて音響材(吸音材)が木製のオペラハウスってへんじゃない?」
司会「それはね、プリンツレゲンテン劇場はバイロイト祝祭劇場を模して建てられたからなんですよ。」
サイモン「そう、え!そうなの? バイロイトには行ったことないです。」
司会「バイロイト祝祭劇場とおんなじで、オーケストラピットが覆われてるんですよ。」
サイモン「そうそう。」
司会「だからオペラハウスなんです。」
サイモン「ふーん。」
司会「今でこそ、オペラよりコンサートの方に多く使われてますけどね。」

司会「で、「ルクレティアの陵辱」では何の役を歌われたのです?」
サイモン「タルクィニウス(=ターキニアス)です。(笑)ルクレティアを歌いたかったけど、ダメだって。」

司会「さあ、そしてほんとのキャリアのスタートになります。オーディションを受けに行ったんですね?」
サイモン「バリトンのオーディション!ブレーメンやケルンやハンブルクでね。そうですとも。」
司会「それでどうしてハンブルクでのデビューになったんですか?」
サイモン「運かな。単なる偶然ですよ。」
司会「単なる偶然?」
サイモン「えぇ。」
司会「でもドイツ語圏でキャリアを始めたかった?」
サイモン「そうです。」
司会「なぜですか?」
サイモン「笑える話だけど、僕はドイツ語を上達させたかったんですよ(笑)。」
司会「だって、イギリスでドイツ語は習ってたんでしょう?」
サイモン「まさか。」
司会「まさかって…。じゃあその時になってドイツ語を始めたんですか?」
サイモン「ひどい言われようだなあ。そうじゃなくて、僕の先生、ジョン・キャメロン先生がね、先生は君と僕の友人でもありますが、(知人と思われる最前列の男性を指しながら、)ドイツ語を始めるなら、ドイツでデビューしてそこに住んだ方がいいって。さもないと… だって君は、ドイツの歌曲を歌うのに人生をかけてるんだろ、って…。」
司会「最初からドイツ語の歌曲を歌おうと思ってた。」
サイモン「ただし、ドイツ語の文法なしでね。ちょっと手強いってわかりました(笑)。」

聴衆「なまりのない、すばらしい発音の歌曲の録音がありますが…。」
司会「じゃあ聴きましょうか…」
サイモン「俺のじゃないよね(笑)。」
司会「いいえ、あなたのです。」
サイモン「やだ!」

司会「ハンブルクで、「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵役でデビューしたと書かれていますが、これはほんとのことですか?それとももっとちょい役だったのですか。」
サイモン「そのとおりで、小さな役をいろいろ歌いましが、これは駆け出しとしては当然のことで、みんなが知ってるいろんなお話のいろんなちょい役をこなしました。」
司会「でもあなたの 履歴(CV=curriculum vitae)には、その時、「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵役だったって書いてありますよ。」
サイモン「そのようだね。」

フィガロの結婚
司会「それではこれから「フィガロ」の第3幕のアリアを聴きましょう。2001年の6月18日、リッカルド・ムーティ指揮のウィーン国立歌劇場の録音です。」
サイモン「もしド下手だったら「やめてくれ!」って言うからね。これは聴いてなかったな。音源はラジオから?」

サイモンの歌が流れる。
♪Hai gia vinta la causa!(もう訴訟に勝っただと)~Aria- Vedrò mentr'io sospiro(溜め息をついている間に)

(サイモンはスケッチ・ブックを取り出し、ハミングしながら描き始める。でも明らかに愉快ではない様子。)

サイモン「自分の歌を聴いたり、生で歌ったりするのがどんなに苦痛か…わからないでしょうね。」
司会「みなさんは、もちろん生で、この作品を聴くチャンスがありますよ、次のシーズン、サイモンはここで何回も公演しますからね。」

サイモン「そう。この作品(フィガロ)は大好きですよ。モーツァルトはもう、10年、12年近く歌ってます。
私の声には適していました。なぜなら私の声は少しずつ(peu à peu)ものになってきたので、当時は小さなリリックな声だったですから…これは普通のことなのでこの点に関しては言い訳しません。ただ単に古いやり方なのです。(※1)
最近のやり方では、若いもんはやり過ぎなぐらい(大声を張り上げて)歌うのがいいってされてるからね。だからこそ、僕はモーツァルトを歌うのです。「魔笛」を歌っていて退屈だと思ったことは一度もないし、いつも初めて歌うかのように新鮮に感じられる。ダ・ポンテの脚本は曰く言い難いぐらいすばらしいものですし。」

ドン・ジョヴァンニ
司会「今でもモーツァルトをよく歌ってますか?」
サイモン「えぇ。コシ・ファン・トッテはもうやらないけど。」
司会「でも、「フィガロ」と「魔笛」のパパゲーノはやると。」
サイモン「パパゲーノ。そう。「魔笛」とか…」
聴衆「ジョヴァンニ?」
サイモン「ジョヴァンニ、そうですね。これはあまり多くはできません。ジョヴァンニを歌うのはちょっと無理をしますから。だから4ヶ月も続けてこの復讐劇を演ってたらね、僕はいっぱいいっぱいになっちゃう。2ヶ月でいいかなと。」

聴衆「何年か前に、アッバード指揮のジョヴァンニのCDを買いました。タイトルロールはサイモン・キーンリーサイドが歌っています。どうしてアッバードはあなたを選んだんですか?」
サイモン「偶然ですね。ブリン(ターフェル)は僕の親友でよく一緒に仕事をしていました。ブリンはパンテオンの若手のスターでした。それでアッバードが僕を聴いて、OKを出したんです。」
司会「ジョヴァンニも聴きましょう!」

サイモン「でも、僕はこの録音は気に入ってないのです。僕のパートはひどいもんだ。この当時は10日間で7回も公演していました。まったく馬鹿げたことです。新しい「ドン・ジョヴァンニ」像を作る必要なんてない、細かい部分や、考え方や、概観などにおいて、ほかのものを持ってくるだけ。でもこの「ドン・ジョヴァンニ」漬けの中では、どうして新しい試みができるでしょう。その、10日間に7回の公演の合間に、3日間は、僕らは、一日に6時間も缶詰にされてレコーディングですよ。僕は、もう死にそうでした(死んで椅子から落っこちる真似)。」
司会「その話、さもありなんですよ。」
サイモン「そうだろ。」

サイモンとワイン
司会「さてドン・ジョヴァンニの話になったところで、赤ワインの登場ですよ。」
サイモン「やった!」
司会「ドン・ジョヴァンニでは、ワインを飲んだらすぐに死んじゃうから酔っ払っても問題ないから実際に舞台で本物のワインを飲めるとあなたはおっしゃっていましたけど、パパゲーノは、ワインを飲んでもまだまだ歌わなくっちゃいけないわけで、ちょっと困りますよね。」
サイモン「そう。それが僕が言いたかったこと(笑)。」
司会「だからパパゲーノにはワインはせいぜい1杯か2杯で我慢してもらわないと。」
サイモン「パパゲーノには…ぼ、僕にはたった1杯でけっこうです。」
(グラスをカチンと鳴らす)
司会「でもきょうはパパゲーノを歌うわけじゃないから2杯許可します。」
サイモン「そうするよ!あとでレストランでね。それで一晩中歌ってやる(笑)。」
司会「でも明日はドイツで一番高い山に登るんじゃないの?」
サイモン「そうだった。」

イタリア・オペラとフランス・オペラとドイツ・オペラ
司会「イタリア・オペラとフランス・オペラとドイツ語のオペラでどれが一番好きですか?」
サイモン「いい質問ですね。僕はパパゲーノを演じるのが大好きです。歌うのは難しくない、でも俳優としていい訓練になるし、僕にとってはドイツ語の勉強にもなる。すばらしいよ。モーツァルトは…、アルマヴィーヴァ伯爵は、歌うのは難しくない。高くもなく低くもなく、中間の音程だ。でも出ずっぱりで演技しなくちゃいけない。ところが、「タンホイザー」や「ドン・カルロ」では完璧に自分を律しなくちゃいけない。どっちがいいとは言えない。緑色か黄色か、雨の日か晴れているかという違いであって、いずれにせよすばらしいのです。」
司会「(今イタリア語とドイツ語のオペラの話ししか出なかったので)でもフランス語のオペラも好きでしょう?」
サイモン「もちろん!大好き! ペレアスはセ…(c’est)(いきなりフランス語になる)ちょっと(=un peu)特別な作品。「トーリードのイフィジェニー」は演じ甲斐があるよ。好きですね。」

司会「それは、言い換えると、すごく演技をして作り上げていかなくてはいけない役に、特に魅かれる、ということですね?」
サイモン「興味ありますね。僕の最初の役はパリアッチでした。Piero Cappuccilliと仕事をするのはとても楽しかった。若い頃、です。彼を大好きでした。彼は僕に言いました。“イタリア・オペラをやらないでほっとくと手遅れになるよ。”最初僕は反対の意味に取りました。“イタリア・オペラをやるには15年歳をとってからだ”と。
「でも、どうしてですか?」
先生「君はイギリス人だから、15年以内にイタリアオペラを始めるのはすごく大変だろうから。」
始めるのでさえです。でも先生は正しかった。今でも正しい。でも彼はこうも言った。「演じるということは、イタリアの古い諺にもあるように、prima la voce(歌う前に)まず演じなくてはいけないのです。

学生の頃にはわからなかった。そんなの、つまらないイタリアのやり方で、ただ歌えばいいんだと思っていた。僕はなんてバカだったんだ。先生はいつも僕にこう言っていた。
「いつも君の声で演じなさい。」
それがようやくわかったんです。今ようやく!

偉大な詩人がいて、詩を読む時には、聴衆の前で、奇をてらう必要はありません。僕らにも同じことが言えるのです。

たとえば「ドン・カルロ」のロドリーゴはそんな役です。ステージの上では特に何もやることはありません。でも、声は出来うる限りのあらゆる色彩を帯びなくてはいけない。これは、ますます僕を虜にします。」

ファウスト
司会「さて、もうひとつ、フランス語のオペラの音源があるんですが…、「ファウスト」は最近ロンドンで放送されました。」
サイモン「うっ!」
司会「ヴァランタンのアリアです。どうぞ。」
サイモン「マイクのあるとこで、油を売ってたわけじゃないんだけど。スタッフが来て、ロベルト(アラーニャ)を見に来たようだったから。僕の前にマイクがあったなんて。録音されてたなんて知らなかったよ。」

♪“Avant de quitter ces lieux”
(サイモンは絵を描き始める。)

聴衆「そう悪くないと思うけど。そんなにしなくても。」
サイモン「実におもしろい…じゃなくて面白くない! マイクが生きてないんじゃないの? 強弱の違いがないじゃない。切れ目がないよ。(性急で余韻がない。)不満だね。」

司会「じゃあ、(サイモンが不満顔なので)この歌劇場ではうまく歌えてるフランス・オペラもあると言っておきましょう。ペレアスとか。」
サイモン「ペレアスは大好きだ。愛してるよ。」




Part3へ続く





An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Japanese translation index

HOME


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ in Japan





TV放送情報
▼Opera
ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ in Japan
  Vincenzo La Scola in Japan
  2005年11月27日 21:00~21:55 BS フジ









Index
HOME


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )