Shevaのブログ
サッカー、テニス、バレエ、オペラ、クラシック音楽 そのほか
 



サイモンのインタビューPart3




An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
Part 3


「タンホイザー」のヴォルフラム
司会「比較的新しいオペラの文献で読んだのですが、あなたは商業主義や、スターダムには背を向けて、ひたすら探求心を持っていて、演出家の実験的な作品は好まないと。」
(聴衆も大きく賛同。)
司会「みなさんも同意ですよね。例えば、この劇場の「タンホイザー」のような、ある程度演出家の実験的な作品と言えるものを歌うのはどうなんですか?」

サイモン「ほかのタンホイザーは知らないから…」
司会「これしか知らないって?」
サイモン「まぁ。」
司会「あなたが出演したこの(オールデン演出)版だけしか?」
サイモン「そうだよ。」
聴衆「まぁ、かわいそうに(= infelice)。」
(サイモン、笑)
司会「なんですと?」
サイモン「黙らっしゃい(=Stumm)(笑)。でもどうしようもないだろ?これしか知らないんだから。でも、この役は難しかった、だってヴォルフラムは理解しがたい人間だから。他の多くの天才たちと同じように、ワーグナーも、モーツァルトと似ているところがあって、例えばモーツァルトにとって、「コジ・ファン・トッテ」のグリエルモがそうであるように、ヴォルフラムはワーグナーの精神状態を象徴するものだと思うんです。ヴォルフラムは完璧な人間ではないし、あんまり共感できない。」
司会「そうですね。」
サイモン「彼を演じてると、なんか、最初から終わりまでモノクロームの世界にいるようで、4時間も、もたない感じがするんですよ。」
司会「それは(出番が1幕の後半からで)1時間半も待たされてからの出番だからじゃなくて?」
サイモン「いや、そういう意味ではなくて、最初から…」
聴衆「盛り上がんない?」
サイモン「いや、うん、いいや…」
聴衆「展開がない?」
サイモン「その通り。それだ。」

聴衆「でも火曜の公演を見たら、このオペラは「タンホイザー」から「ヴォルフラム」に名前を変えたほうがいいんじゃないかって思いますよ。」
司会「それこそさっき僕が引用した評にも書かれていたことです。」
聴衆「どうやって役作り(=アプローチ)したのですか? 特別な教師についたとか?」
サイモン「舞台の上でアプローチしました。」
(聴衆、笑)
サイモン「ほんとですってば。この役を実際に演じる、生きることで、いつも発見があります。これは僕なりのやり方だから、間違ってると、人は思うかもしれませんね。でも僕は本やなんかでは学べない。舞台上で演じないと。(それ以外のやり方は)僕には意味がない。」

聴衆「マスコミは、あなたはこの役のコンセプトにすごく合ってるって書いていましたね、それはヴォルフラムという男は、通常は、誰よりも高尚な、自信に満ちた人物像として描かれるからなんです…」
サイモン「僕が?まさか。」
聴衆「いや、あなたではなくヴォルフラムが、ですよ。この作品では、ヴォルフラムはほんとにみすぼらしいですよね。」
サイモン「はい。」
聴衆「このレビューでは、あなたはベルント・ヴァイクルよりもヴォルフラムらしかったと書いてます、ヴァイクルは巨漢ですからね。それではヴォルフラムらしくない。あなたの方がこの役のコンセプトには合っていたと。」

サイモン「でも言わせてもらえば、ベルント・ヴァイクルはすばらしいアーティストで、ヴォルフラム役を何回も演じているし、この役をよく知っている。おそ、おそらく僕も50歳、55歳ぐらいになればそうなるかもしれないけど。つまり、ジョヴァンニを歌うことは僕にとって僕自身であること、これはもう自家薬籠中の物になっているけど、ヴォルフラムはジョヴァンニのようにはできないんだ。ベルント・ヴァイクルは、ヴォルフラムに関して、僕がまだ理解していない部分もわかっているだろうし、こう言うだろう。「君のはヴォルフラムじゃない。ヴォルフラムは誇り高く、威厳があって、弱々しくない。」でも僕はただオールデンが言ったように演じた。「ヴォルフラムは、こわれもののように繊細な人物だ。」だからそう演じなければならないんだ。

聴衆「でも、あなたはここでドン・ジョヴァンニを歌うことになるかもしれない。ジョヴァンニもかなり貧相ですよ。」(笑)
(観客は会場にミュンヘンのジョヴァンニのプロダクションを説明。
司会「私達のジョヴァンニはきっとあなたにぴったりですね。」
(観客「…最後には、彼(ジョヴァンニ)は完全に狂って這いずり回らなきゃ
いけないんです」)(※2)

サイモン「はい…はい…そうですね…なんておっしゃいました?誇り…でしたっけ。それはまったく退屈なことですね。僕にとってほんとにおもしろいのは、人間の弱い部分、傷つきやすい部分だからです。

One Hamlet
興味深いことですが、イギリスの大学時代の古い知り合いのインタビューを受けたことがあります。サイモン・ラッセル・ビールというすごいシェークスピア役者で、私達は二人ともハムレットを演じていた。私はアンブロワーズ・トマのフランス語のオペラでハムレットを演じ、彼は、(ロンドンの)サウスバンクの劇場ですばらしいハムレットを演じていた。
僕は彼に尋ねた、「ねぇ、サイモン。いったいどうしたらいいんだい? 人生でいったい何パターンのハムレットを演じればいいのかな?」
彼は笑って、こう言った、「ひとりの役者につき、ひとりのハムレットだよ。オテロだってそうだよ。」

このインタビューの後で、こう考えた。
「落ち着け!」
どうせ、2種類以上のパパゲーノはできないんだから…
鳥人間だったり、爺いだったり、おバカだったり、それほどおバカじゃないやつだったり…
するかもしれないけど…

ジョヴァンニも同じさ! もうこれ以上いろんなジョヴァンニはできない。
でもいいのさ、偉大な役者がお墨付きをくれたんだから。
「ひとつで充分。」
ジョヴァンニをやる時はそのプロダクションにあったものを演じようとがんばりますけど、ほんとはほんとに違うものなんてできないんですよ。」
聴衆「でも衣装とかメイクで変えられる部分もありますよね。」
サイモン「えぇ、もちろんやりますとも。新しいかつらをかぶればいいんでしょ(笑)。」

ジークムントとベックメッサー
司会「今のところワーグナーのレパートリーはヴォルフラムだけですか?」
サイモン「そうです。」
司会「ほかの役はやりたいと思いますか? もうそういう予定があったりとか?」
サイモン「まだないですね。やりたいのは「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のベックメッサーかな。今のところ。すばらしい作品だし、いい役ですよ。
あと、こんなバカなことも考えてます。「ワルキューレ」のジークムントをコンサートで歌いたい。ぜひやってみたいんです。指揮は友人のフランツ・ヴェルザー=メストでね。(クリーブランド・オーケストラの指揮者)だからアメリカで。」
司会「そんな遠くまで行けないです。ここでやってくださいよ。」
サイモン「もちろん、アメリカまで来ていただきます。フランツはコンサートで「ワルキューレ」の2幕をやろうって言ってるんですよ。これはいい考えです。(注:2幕はジークムントがブリュンヒルデと出会い、殺されるところまで。)
これがうまくいったら1幕もできるよねって。(注:1幕はジークムントが出ずっぱりで歌いまくる。)
こういうことだと思います。僕は20年前に陸上をやっていて、400メートル走の選手と、800メートル走の選手では違うことがわかっています。400メートル走の選手は、800メートル走れないわけではありません。走れますが、準決勝、決勝と勝ち残ってはいけません。そういう両者の違いがあるんです。そのように、高音部を歌えるリリック・バリトンと、ヘルデン・テノールの違いがあるのです。ジークムントを1回は歌えますが、3週間も5週間も歌うのは難しい。毎回ヘルデンにはなりきれません。共演者にも申し訳ないし。」

聴衆「それに、テッスィトゥーラ(=tessitura;最高音と最低音を除いた歌唱可能声域)も高いでしょう?」
サイモン「いえいえ、ジークムントのテッスィトゥーラはそう高くありません。ただ、毎日6時間、4週間も公演するのは無理だと言っているのです。」

プライベート
司会「この文献にはこうも書かれていますね、
『キーンリーサイドは、この歳にしてはほかの歌い手と比べても多くの役を歌ってきたが、そこはかとない孤独感を漂わせている。キーンリーサイドは、ハンプソンが喜んで受け入れるものから、逃れようとしている。』
これは事実?」
サイモン「なんだよ、それ!」
(顔をしかめて、笑う)
サイモン「確かに、こういうとこに座っておきながら、自分はプライベートな人間だなんて言ってるのはへんだよね。でもそういうことなんだ。マスコミに自分のすべてを語るなんて僕はしたくないし、それはそうなんだ。」
(聴衆、拍手)
サイモン「ご声援ありがとう。」


Part 4へ続く。






An interview with Simon Keenlyside
at Bayerischen Staatsoper July 2004
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「ドン・カルロス」





間違って買っちゃった「ドン・カルロス」フランス語ヴァージョン。
いや~でもよかった~ 感動。
マイヤーのアリアがサイコーです。
キャストがすべて演技派ですばらしいですわ。

フェリペ2世を見ていると、どうしてもブッシュ大統領が頭に浮かんでしまう。「世界の半分を統治している、」とロドリーグが言うように。
そしてその統治してない半分は王の敵なのだ。
エボリはコンドリーザ・ライス国務長官で、
ロドリーグは、コリン・パウエル元国務長官。
大審問官は、ラムズフェルド。
もしくはカール・ローブ?

彼を心の中では裏切っている妻、エリザベートは、フランスの大統領。
カール5世はパパ・ブッシュ。
ではカルロスは??


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Winterreise D.911






冬の旅。
このクソ陰気な歌曲集を聴きながら、思っていた。どうして、ノイマイヤーはこれを作品にしたのか?
その答えはCDの解説書にあった。
D.911
Winterreiseは911だったのだ。
ノイマイヤーは911を、ナチスのガス室と結び付けていたが、明らかにあの歴史上の分岐点である、2001年の9月11日を意識していた。
それはともかく、このノイマイヤーの作品を見るときに勉強不足だった自分を呪うし、恥じる。




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