『何故官僚問題が大騒ぎされるのか』
昨今のマスコミによる官僚叩きを見ていると『日本は官僚社会』との認識は正しいとは言えないのではないか。?、との根本的な疑問が湧いてくる。
本当に日本が官僚が主導する社会なら、今とは全く逆の『官僚(公)の力の失墜』とか、『官僚(公)の権威が失われる問題点』とか、『官僚(公務員)が少なすぎる』等がマスコミ各社によって大々的に宣伝(報道)されるはずです。
マスメディアでは、電気按摩椅子を買ったとか野球の道具を買ったとか余りにも下らない話まで出てきて、20年前の中曽根時代の国労組合員の色々な問題報道(国鉄潰しのキャンペーン)を思い出す。
しかし日本では何年も前から『公務員が多すぎる』とか『公務員が悪い』とか『公務員が無駄遣いしている』とか『公務員を減らせ』との大々的なマスコミのキャンペーンが続いているが、日本は欧米に比べて公務員数は三分の一から半分程度の少なさで、今一番問題になっている社会保険庁にしても国民全部の年金行政を1万人に一人の割合で一手に引き受けているが、色々の問題点(消えた年金)の最大の原因は人数の少なさですよ。
年金の紙の元帳を電子化する時には最低でも現状の何倍も必要だった。
この様な事は、年金行政の専門家による地道な手作業しかないんですよ。
人数が少な過ぎるのである。あれでは間違って当然です。
日本の一般公務員は最低でも今の二倍、アメリカ並みすれば失業問題は自動的に解決するし、キャリアの力(利権とか権限)をフランス並みにすれば天下り問題も即時に解決する。
官僚叩きに便乗して大阪府の橋下知事が公務員削減を公約して当選するが大阪府の公務員の四分の三は警察官と教員である事を知らなかったらしい。
確かに、今のキャリア官僚が「お手盛り」で良い目をしているのは事実ですが、今の日本を根本的に悪くしたのは官僚でしょうか。?
どうも、その様には思えない。
日本の今の実体をもう一度冷静に見つめて欲しい。
官僚の為に崩壊しかかっているのか。?
それともそれ以外の原因で大混乱に陥っているのか。?
優秀な官僚達がいたお陰で、日本は未だに崩壊せず、この程度の酷い有様で止まっているのではないか。?
逆噴射する機長(橋本竜太郎や森、小泉首相とかの政治家)だけなら、とうの昔に日本機は海上に真ッ逆さまに墜落していたのではないか。?
官僚は決まった事柄を守るだけで自らは何も決めません。決めるのは政治でこれが日本では根本的に腐っている。
『官僚制度の弊害』
マスコミや識者による日本の官僚制度の問題点を要約、単純化すれば、官僚主義が日本経済の20年の停滞を招いた、というものであろう。
官僚主義の問題として、当然のことながら『天下り』に触れないわけにはいかないだろう。
『天下り』こそが、官僚の業界への裁量主義的介入を可能にすると同時に、その成果(果実)でもあるからだが、しかしこの問題は官僚制度から派生した『利権問題』ではあっても最大、最重要問題ではない。
この事実(主か従か)は見過ごされやすいが重要なので注意が必要です。
『日本の法律の問題点』
外国人から見ると、日本の法律は実に奇妙に見えるようです。
一言で言うと、役所(官僚)にとって『都合の良い法律』なのである。
日本の法律の多くは、罰則を背景とした義務や禁止事項を課すことにより、市民や企業などの自由を制限している。
これ自体は別に悪いことではないが、お役所の行動となると、お役所(官僚)の裁量にゆだねられることが多くなる。
そして、お役所がしなければならないことについては、罰則規定がほとんどない。
そのため、日本の法律の多くは、国民については『○○をしなければならない。○○をしてはいけない』となっているのに対して、お役所(官僚)については『○○ができる』となっている例が多い。
お役所の行動規範としての法律が曖昧であればあるほど、お役所(官僚)は気分しだいで動いたり動かなかったりすることができる。
したがって、法律がお役所(官僚組織)のためにできているのであれば、お役所(官僚)の介入を制限するためではなく、なるべく柔軟に、介入する義務はないが、いつでも介入できるような書き方になっている方が好都合である。
行動するかどうかの裁量の余地が残されるだけでなく、その裁量の行使について市民がクレームをつけることが難しくなり(明確な規定がなければ、義務違反をなかなか指摘できない)、行政行為に関する責任の所在が不明瞭になるというメリットもある。
国民に対して、『アレをするな、コレをしろ』と命じ、違反に対しては罰則をもってする法律が、役人に対しては、『コレはできる(コレをしなければならない、ではないことに注意)』と裁量権を保障し、罰則もない。
つまり、『できる』ということは(気分しだいで)『してもよいし、しなくてもよい』ということに他ならず、まさに『裁量』以外の何物でもないわけだ(これを『役人にとって都合が良い』と言わずになんと言おう?)。
上記の法律観(法律は役所にとって都合がよいように作られる)から得られる帰結の一つが、『法律は、お役所の権限と威厳のためにある』ということだ。(不定期更新 思索日記から一部抜粋)
『現行の法律の条文から見えてくる事実』
日本が世界的に見ても、稀に見る中央集権の社会(国家)で有るということだろう。
このことは地方分権で自給自足が原則の封建制時代だった江戸時代にまで遡り、当時国際都市だったアムステルダムやパリやロンドンよりも日本の江戸の人口の方が多く、100万人を超えた世界最大都市だった。
封建制制度では諸侯の治める『国』(藩)は半独立国状態で、人的な全国的移動は制限されているが、首都江戸の人口の四分の一は地方から参勤交代で来ている武士(サムライという名の官僚?)で占められていた。
この時代から首都の風俗や文化は、即座に日本国中の地方に持ち帰られ全国に広められた。
武士だけではなく元々小さな漁村だった江戸を首都にする目的で、全国から大工や職人が集められたため江戸時代初期は男女比が四対一の極端なアンバランス状態で、一対一程度に正常化するのは幕末期になってから。日本独特の単身赴任の悪しき伝統はこの頃から始まっている。
日本の場合、この『極端な中央集権』(一極集中)と、明治維新や敗戦後の民主化など、常に民主主義の導入が上(外部)から行われていたので『官尊民卑』のお上任せ、大勢順応的な姿勢が、『日本型官僚主義』を生む土壌が用意されていた。
日本の官僚制度を語る上で、この『極端な中央集権』(一極集中)と『官尊民卑』の二つの特徴は欠かせない。
『赤いニシン』(a red herring)
今マスコミが行っている『官僚』に対するマスコミ報道は間違いではない。
日本のキャリア官僚には色々な問題が有り、特に『天下り』は許せない。
私を含め、多分国民の大多数が同意見でしょう。
何故その様になったか。?
すべてのマスコミ(特にテレビなどの時間的な制約がある映像、電波メディア)が年金や医療や公共事業でのキャリア官僚の問題を集中的に取り上げ報道していたからでしょう。
ですから粗すべての日本人が、『日本の最大の問題点は官僚制度問題で有る』と思っている。
ここで当然の疑問が湧いてくる。
官僚制度に問題が有るのは事実のようだが、はたして『優先順位』としてどのような程度なのか。?
日本にとって最大の問題か?
其れとも実はもっと大事なものを隠蔽する為の赤いニシン『a red herring』 ではないのか。?
政治用語に『スピン・ドクター(Spin Doctor)』というモノが有るが、
スピンドクターとは『ボールにスピン(回転)を与え、曲がらせる技に優れた広報専門家』のことで、特に政界でメディア相手に事実をうまく自分の側に有利に広報する専門家をいう。
時の政権を揺るがす事象が発生すると、なぜか都合良く世間の好奇心をひくような事件が起きて、世間の関心はそちらに集中してしまう。
そのような情報操作を『スピン』というが、一年前の米軍に因る不祥事(女子中学生に暴行した米国海兵隊員)や、漁船を沈めたイージス艦あたごが大問題になった直後に20年も前の逮捕状で何度も訪米している三浦和義をサイパンで逮捕して見せたり、日本国中を疑心暗鬼にした耐震建築偽装隠しのためにライブドアのホリエモンを逮捕するとか見え見えのあざとい事件は数知れない。
日米の軍隊の不始末や耐震偽装は、どちらの事件も『証拠隠し』ぐらいは出来ても、今更無かったことにする『隠蔽工作』無理です。
無かったことには出来ないが、赤いニシンを使えば事件の社会的影響力を薄めることは簡単に出来る。
『官僚が問題になりだした時期』
みなさん。少し思い起こしてください。何時ごろから今の様な『官僚が日本の最大の問題』との考えをお持ちになられましたか。?
10年前ですか。?15年前ですか?20年前ですか?30年前ですか。?
20年以上前なら素晴らしい先見性、洞察力ですが、10年以内からなら自分の考えに何が一番影響を与えたかをもう一度考えてみて下さい。
何故かと言うと、其れ以前は今とは正反対に世界的に見て日本の官僚の優秀さが言われていた。
10年前まで、日本の政治(政治家)や経済(財界人)は二流三流だが官僚だけは『世界一』『超一流』だと言われていた。
しかし、それ以降は手の平を返したようにマスコミや、知識人、文化人や政界すべてによる官僚叩きが始まっています。
この節目になった時は、日本に本格的にアメリカ製の新自由主義グローバリズムが導入され、日本が根本的に作り変えられだした時期と一致します。
この頃から日本の数々の隠されていた欠陥があらわになってくる。
明らかにされた『欠陥』の根本原因は日本の『官僚制度』や日本独特の『終身雇用制度』や『年功序列』、『系列』や『護送船団方式』に問題が有るとされたが、果してそうだろうか。?
本物のペテン師は嘘では騙しません。嘘で人を騙す詐欺師は二流以下で少数の人を短時間だけ騙すことが出来る。
しかし、『真実で人を騙す』と多くの人を長い間騙すことを可能とするのです。
真実の断片の一部を『真実全体である』と錯覚させて騙すわけです。
そしてスピン・ドクター(世論誘導)の本場はアメリカです。
『報道統制』で情報を操作していた63年前の日本の事を良く知っている日本人は、北朝鮮や中国のやり方は批判出来るが、アメリカのように情報の大波(洪水)で世論誘導(情報操作)する方法には免疫が無く簡単に引っかかります。
昨今のマスコミによる官僚叩きを見ていると『日本は官僚社会』との認識は正しいとは言えないのではないか。?、との根本的な疑問が湧いてくる。
本当に日本が官僚が主導する社会なら、今とは全く逆の『官僚(公)の力の失墜』とか、『官僚(公)の権威が失われる問題点』とか、『官僚(公務員)が少なすぎる』等がマスコミ各社によって大々的に宣伝(報道)されるはずです。
マスメディアでは、電気按摩椅子を買ったとか野球の道具を買ったとか余りにも下らない話まで出てきて、20年前の中曽根時代の国労組合員の色々な問題報道(国鉄潰しのキャンペーン)を思い出す。
しかし日本では何年も前から『公務員が多すぎる』とか『公務員が悪い』とか『公務員が無駄遣いしている』とか『公務員を減らせ』との大々的なマスコミのキャンペーンが続いているが、日本は欧米に比べて公務員数は三分の一から半分程度の少なさで、今一番問題になっている社会保険庁にしても国民全部の年金行政を1万人に一人の割合で一手に引き受けているが、色々の問題点(消えた年金)の最大の原因は人数の少なさですよ。
年金の紙の元帳を電子化する時には最低でも現状の何倍も必要だった。
この様な事は、年金行政の専門家による地道な手作業しかないんですよ。
人数が少な過ぎるのである。あれでは間違って当然です。
日本の一般公務員は最低でも今の二倍、アメリカ並みすれば失業問題は自動的に解決するし、キャリアの力(利権とか権限)をフランス並みにすれば天下り問題も即時に解決する。
官僚叩きに便乗して大阪府の橋下知事が公務員削減を公約して当選するが大阪府の公務員の四分の三は警察官と教員である事を知らなかったらしい。
確かに、今のキャリア官僚が「お手盛り」で良い目をしているのは事実ですが、今の日本を根本的に悪くしたのは官僚でしょうか。?
どうも、その様には思えない。
日本の今の実体をもう一度冷静に見つめて欲しい。
官僚の為に崩壊しかかっているのか。?
それともそれ以外の原因で大混乱に陥っているのか。?
優秀な官僚達がいたお陰で、日本は未だに崩壊せず、この程度の酷い有様で止まっているのではないか。?
逆噴射する機長(橋本竜太郎や森、小泉首相とかの政治家)だけなら、とうの昔に日本機は海上に真ッ逆さまに墜落していたのではないか。?
官僚は決まった事柄を守るだけで自らは何も決めません。決めるのは政治でこれが日本では根本的に腐っている。
『官僚制度の弊害』
マスコミや識者による日本の官僚制度の問題点を要約、単純化すれば、官僚主義が日本経済の20年の停滞を招いた、というものであろう。
官僚主義の問題として、当然のことながら『天下り』に触れないわけにはいかないだろう。
『天下り』こそが、官僚の業界への裁量主義的介入を可能にすると同時に、その成果(果実)でもあるからだが、しかしこの問題は官僚制度から派生した『利権問題』ではあっても最大、最重要問題ではない。
この事実(主か従か)は見過ごされやすいが重要なので注意が必要です。
『日本の法律の問題点』
外国人から見ると、日本の法律は実に奇妙に見えるようです。
一言で言うと、役所(官僚)にとって『都合の良い法律』なのである。
日本の法律の多くは、罰則を背景とした義務や禁止事項を課すことにより、市民や企業などの自由を制限している。
これ自体は別に悪いことではないが、お役所の行動となると、お役所(官僚)の裁量にゆだねられることが多くなる。
そして、お役所がしなければならないことについては、罰則規定がほとんどない。
そのため、日本の法律の多くは、国民については『○○をしなければならない。○○をしてはいけない』となっているのに対して、お役所(官僚)については『○○ができる』となっている例が多い。
お役所の行動規範としての法律が曖昧であればあるほど、お役所(官僚)は気分しだいで動いたり動かなかったりすることができる。
したがって、法律がお役所(官僚組織)のためにできているのであれば、お役所(官僚)の介入を制限するためではなく、なるべく柔軟に、介入する義務はないが、いつでも介入できるような書き方になっている方が好都合である。
行動するかどうかの裁量の余地が残されるだけでなく、その裁量の行使について市民がクレームをつけることが難しくなり(明確な規定がなければ、義務違反をなかなか指摘できない)、行政行為に関する責任の所在が不明瞭になるというメリットもある。
国民に対して、『アレをするな、コレをしろ』と命じ、違反に対しては罰則をもってする法律が、役人に対しては、『コレはできる(コレをしなければならない、ではないことに注意)』と裁量権を保障し、罰則もない。
つまり、『できる』ということは(気分しだいで)『してもよいし、しなくてもよい』ということに他ならず、まさに『裁量』以外の何物でもないわけだ(これを『役人にとって都合が良い』と言わずになんと言おう?)。
上記の法律観(法律は役所にとって都合がよいように作られる)から得られる帰結の一つが、『法律は、お役所の権限と威厳のためにある』ということだ。(不定期更新 思索日記から一部抜粋)
『現行の法律の条文から見えてくる事実』
日本が世界的に見ても、稀に見る中央集権の社会(国家)で有るということだろう。
このことは地方分権で自給自足が原則の封建制時代だった江戸時代にまで遡り、当時国際都市だったアムステルダムやパリやロンドンよりも日本の江戸の人口の方が多く、100万人を超えた世界最大都市だった。
封建制制度では諸侯の治める『国』(藩)は半独立国状態で、人的な全国的移動は制限されているが、首都江戸の人口の四分の一は地方から参勤交代で来ている武士(サムライという名の官僚?)で占められていた。
この時代から首都の風俗や文化は、即座に日本国中の地方に持ち帰られ全国に広められた。
武士だけではなく元々小さな漁村だった江戸を首都にする目的で、全国から大工や職人が集められたため江戸時代初期は男女比が四対一の極端なアンバランス状態で、一対一程度に正常化するのは幕末期になってから。日本独特の単身赴任の悪しき伝統はこの頃から始まっている。
日本の場合、この『極端な中央集権』(一極集中)と、明治維新や敗戦後の民主化など、常に民主主義の導入が上(外部)から行われていたので『官尊民卑』のお上任せ、大勢順応的な姿勢が、『日本型官僚主義』を生む土壌が用意されていた。
日本の官僚制度を語る上で、この『極端な中央集権』(一極集中)と『官尊民卑』の二つの特徴は欠かせない。
『赤いニシン』(a red herring)
今マスコミが行っている『官僚』に対するマスコミ報道は間違いではない。
日本のキャリア官僚には色々な問題が有り、特に『天下り』は許せない。
私を含め、多分国民の大多数が同意見でしょう。
何故その様になったか。?
すべてのマスコミ(特にテレビなどの時間的な制約がある映像、電波メディア)が年金や医療や公共事業でのキャリア官僚の問題を集中的に取り上げ報道していたからでしょう。
ですから粗すべての日本人が、『日本の最大の問題点は官僚制度問題で有る』と思っている。
ここで当然の疑問が湧いてくる。
官僚制度に問題が有るのは事実のようだが、はたして『優先順位』としてどのような程度なのか。?
日本にとって最大の問題か?
其れとも実はもっと大事なものを隠蔽する為の赤いニシン『a red herring』 ではないのか。?
政治用語に『スピン・ドクター(Spin Doctor)』というモノが有るが、
スピンドクターとは『ボールにスピン(回転)を与え、曲がらせる技に優れた広報専門家』のことで、特に政界でメディア相手に事実をうまく自分の側に有利に広報する専門家をいう。
時の政権を揺るがす事象が発生すると、なぜか都合良く世間の好奇心をひくような事件が起きて、世間の関心はそちらに集中してしまう。
そのような情報操作を『スピン』というが、一年前の米軍に因る不祥事(女子中学生に暴行した米国海兵隊員)や、漁船を沈めたイージス艦あたごが大問題になった直後に20年も前の逮捕状で何度も訪米している三浦和義をサイパンで逮捕して見せたり、日本国中を疑心暗鬼にした耐震建築偽装隠しのためにライブドアのホリエモンを逮捕するとか見え見えのあざとい事件は数知れない。
日米の軍隊の不始末や耐震偽装は、どちらの事件も『証拠隠し』ぐらいは出来ても、今更無かったことにする『隠蔽工作』無理です。
無かったことには出来ないが、赤いニシンを使えば事件の社会的影響力を薄めることは簡単に出来る。
『官僚が問題になりだした時期』
みなさん。少し思い起こしてください。何時ごろから今の様な『官僚が日本の最大の問題』との考えをお持ちになられましたか。?
10年前ですか。?15年前ですか?20年前ですか?30年前ですか。?
20年以上前なら素晴らしい先見性、洞察力ですが、10年以内からなら自分の考えに何が一番影響を与えたかをもう一度考えてみて下さい。
何故かと言うと、其れ以前は今とは正反対に世界的に見て日本の官僚の優秀さが言われていた。
10年前まで、日本の政治(政治家)や経済(財界人)は二流三流だが官僚だけは『世界一』『超一流』だと言われていた。
しかし、それ以降は手の平を返したようにマスコミや、知識人、文化人や政界すべてによる官僚叩きが始まっています。
この節目になった時は、日本に本格的にアメリカ製の新自由主義グローバリズムが導入され、日本が根本的に作り変えられだした時期と一致します。
この頃から日本の数々の隠されていた欠陥があらわになってくる。
明らかにされた『欠陥』の根本原因は日本の『官僚制度』や日本独特の『終身雇用制度』や『年功序列』、『系列』や『護送船団方式』に問題が有るとされたが、果してそうだろうか。?
本物のペテン師は嘘では騙しません。嘘で人を騙す詐欺師は二流以下で少数の人を短時間だけ騙すことが出来る。
しかし、『真実で人を騙す』と多くの人を長い間騙すことを可能とするのです。
真実の断片の一部を『真実全体である』と錯覚させて騙すわけです。
そしてスピン・ドクター(世論誘導)の本場はアメリカです。
『報道統制』で情報を操作していた63年前の日本の事を良く知っている日本人は、北朝鮮や中国のやり方は批判出来るが、アメリカのように情報の大波(洪水)で世論誘導(情報操作)する方法には免疫が無く簡単に引っかかります。
世界中の抱える問題をつきつめていけば、問題解決を阻んでいるのは、どこの世界も公務員だ。
安倍は勝手に憲法無視してるなら公務員を解雇するべきだ。
都合のよい部分は憲法を厳守し、都合が悪い部分は無視する・・・・・・こんな幼稚な精神障害者を総理にしてる日本の恐怖。
また、TPPでアメリカの要請で軽四の増税したと言うが、アメリカは軽四枠をなくせと言っていたのに増税だけでアメリカが納得したことが不思議。
TPPに便乗して日本の公務員がやりたかったことを、さもアメリカの要請で行ったように偽装した詐欺としか思えない。
公務員には理解できないだろうが一般世界では仕事には責任が発生する。
どんなに失敗しても責任を取らない公務員は「遊んでる」と言われても仕方が無い状況。
遊んでカネを盗んでる公務員は有害・・・・・・なのに公務員が駆逐されないのは権力をかさにきてるから。
ギリシャだって国を潰した本人がいい生活を続けてる。
後進国では市民の不満の反政府側は認められることが多いが先進国では即刻テロ扱い。
はっきり言ってうんざりです。
今の先進国は完全に公務員帝国化してる。
それ以前に、ネット世界ではダブルHNは厳禁であり、見つかれば即座にアクセス禁止にするのが普通の常識ですよ。
中学生程度でも、その程度は全員が知っているのです。
今回の私の処置は、多分読者諸氏の多くは『生ぬるい』と感じているはずですよ。
我慢の限界なのです。
自分の行った行為の、『何が問題であるか』が理解出来ないとは・・・絶句するしか有りませんね。
公務員など直接には無関係だが、ダブルHNは、私でなくとも誰もが怒るのですよ。
そもそもブログのコメント欄とは、ブログの記事を読んだ人が書くものですよ。
記事を1行も読まず、自分勝手な思い込みを書かれてもお互い不愉快なだけですよ。
民主主義社会では、どれ程不道徳で不思議でグロテスクな内心でも、
『個人の内心』は思想信条の自由とか信教の自由の原則によって、聖域として保護すると言うのが建前なのですね。
内心は科学的真理とは大きく違い、一つではなくて個人個人別々であるところに値打ちがあるのですよ。
客観的真理とか科学的事実は逆で、別々では値打ちが無い。正しい事実は一つだけなのです。
そして『逝きし世の面影』では、個人の内心には何の興味も無い。
私が興味があるのは科学的な客観的事実だけです。
そしてこのブログに書いている記事の8~9割は単なる事実の羅列程度であり、残りの1~2割の独自の見解なるものも客観的事実から自動的に導かれる代物です。
①『世界中の抱える問題をつきつめていけば、問題解決を阻んでいるのは、どこの世界も公務員だ。』
と言う見解は初耳です。
②『安倍は勝手に憲法無視してるなら公務員を解雇するべきだ。』
はもっと初耳。
結論らしい③『今の先進国は完全に公務員帝国化してる。』などは、
私は知る範囲では今まで誰も主張していないユニークすぎる主張なのですから、当然そう判断した『具体的な事実』が何かあるはずなのですが。・・・・
ところが、残念ながら何一つも書いていない。
それでは個人内心ではあるが、それ以上でもそれ以下でもないのですよ。
『公務員が嫌いだ』以外には中身が何も無いが、
何故『公務員がきらいか』さえ何も無い。
私企業の労働者と、公共企業の労働者とを区別する理由が何も書いていない。
教員は今でも働きすぎで心身に障害を起こしているのに『もっと働け』と言いたいのでしょうか。
それとも消防や警察を民営化しろとの主張なのでしょうか。
それとも国家公務員の半数を占める自衛隊の民営化か廃止を要求しているのでしょうか。
個人の内心は聖域で有り、幾ら間違っていようが妄想であろうが、私には無関係であり何の興味もありません。
次回も同水準なら他の読者の迷惑になるのでコメント投稿は御遠慮下さい。