逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

第一次世界大戦から100年、日露戦争から110年、日清戦争から120年

2014年06月30日 | 社会・歴史
『第一次世界大戦勃発100周年』

1914年6月28日、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件が発生。1ヵ月後の7月28日にはオーストリアがセルビアに宣戦布告。欧州大陸はドイツ、オーストリア、オスマントルコ(同盟国)対、イギリス、フランス、ロシア(協商国)に真っ二に分かれて人類史上初めての総力戦に突入する。各国は総動員令により桁違いの軍隊の動員が行われて、飛行機や戦車や潜水艦、毒ガスなどの大量破壊のための新兵器が開発され、お互いの産業(工業力)や国民の大量消費を行う未曾有の犠牲が生み出される。
大多数の国民は平和を望んでいた。
各国の指導者も『誰も世界大戦をやろうと思っていなかった』とされている。誰一人も考えていなかったのだが、『成り行きで、よろめき入って仕舞った』、欧州を焼け野原にして旧体制を根本的に破壊した以外は、大戦に参加した『国家』にとっては意味が無い悪い戦争だったのである。

『欧州各国が「悪い戦争」に突入した原因は集団自衛権だった』

最初にセルビアに宣戦布告したオーストリア帝国以外の国は、自国に対して直接的な脅威を感じた訳では無い。
ドイツもイギリスもフランスもイタリアもロシアも『自衛の戦争』(軍事同盟による集団自衛権)を口実に、得る物が無い不毛な戦争に自ら参加する。
第一次世界大戦は欧州大陸の大戦であり、本来は遠く離れた極東アジアの日本は無関係だった。
1914年8月23日に大日本帝国も日英同盟(集団自衛権)を口実にして、(イギリスが参戦は不要と止めたのに)火事場泥棒的にドイツ帝国へ宣戦を布告し連合国(協商国)の一員として参戦。中国青島のドイツ軍を攻撃しサイパン島などの南洋諸島を植民地として獲得する。
『売られてもいない喧嘩を、わざわざ買って』戦争に突っ走った日本ですが、日清戦争で獲得した中華民国山東省遼東半島(青島)をロシア・フランス・ドイツの3国が、『中国への遼東半島の返還を勧告』した(三国干渉)での失地回復(再占領)を行ったのだろう。
第一次世界大戦直前(1913年)のドイツの工業生産は世界シェアの20・6%(オーストリア3・4%)であり欧州大陸では断トツの一位だった。
イギリスが世界一の工業大国だったのは産業革命後の一時期の短期間だけで、当時のドイツ一国だけでもイギリスの11・8%、ロシアの3・5%、フランスの1・9%の合計額よりも大きかったのである。
しかし同盟国も協商国も国力が接近していたので勝敗が付かず塹壕線の戦線は膠着して犠牲だけが増え国力を失って、各国には厭戦気分が蔓延していた。

『第一次世界大戦の結果を決定付けたアメリカの参戦』

第一次世界大戦ですが、お互いに国力を消耗した欧州諸国は、朝鮮戦争のように『勝敗なし』(引き分け)で停戦し、多少ドイツ有利の戦後処理が行われた可能性が一番高かった。
アメリカは第一次世界大戦に対して、『それはわれわれと何ら関係のない戦争であり、その原因もわれわれには関わりがない』(ウィルソン大統領)と、中立国として大戦参加国双方に物資を売り莫大な利益を上げていたが、一方では英仏に借款の供与を行っていた。アメリカの参戦は自分が貸した『借金の取り立て目的』(英仏のデフォルトの回避)との下世話な動機も考えられる。
世界大戦は陸上では若干ドイツなど同盟国側が押していたが、逆に海軍力ではイギリスなど協商国が有利であり、総体的に見れば敵味方の戦力が均衡していた。
双方は国力を消耗して戦争の継続が出来なくなりつつあったので停戦は目の前にあった。
ところが開戦から3年目の1917年に、突如ユーラシア大陸の東の端の日本よりも、もっと世界大戦に無関係なアメリカが協商国側に立って200万の大部隊で参戦する。(世界大戦の戦死者以上の被害が出たスペイン風邪は、このときアメリカ軍がヨーロッパに持ち込んで世界に広まったとの説が有力)

『漁夫の利を得たアメリカの参戦、瓢箪から駒というより「歴史の必然」のロシア革命』

『売られてもいない喧嘩を買いに行く』アメリカの習性は大昔からなのである。
アメリカの参戦と同じ1917年のロシア革命に続き、1918年にはオーストリアやオスマントルコでも革命が起きて帝国が崩壊、ドイツも11月にキール軍港での水兵の反乱をきっかけに革命が起きて帝国が崩壊し、4年以上続いた第一次世界大戦も無意味に欧州全体の人やモノを物理的に破壊しただけでなく、既存の秩序(体制)を根本的に破壊して1918年11月11日に終結する。
欧州にとっては未曾有の大災難であり、カタルシスでもあった第一次世界大戦だが、視点を変えてアメリカから見れば覇権国家として大躍進した『大成功した良い戦争』だったのである。
アメリカですが、他人の喧嘩(第一次世界大戦)に3年遅れの後出しジャイケンで介入して文字通り『漁夫の利を得た』のである。
同じことが我が国にも言えて、第一次世界大戦後の日本は国際連盟の理事国として、それまでのアジアの新興国から世界五大国の一つに大躍進している。
欧州とは大違いで、自国が戦場とならなかった日本もアメリカも『戦争の恐ろしさ』が自覚できなかったのである。(第二次世界大戦で唯一地上戦が行われた沖縄と本土の意識格差と同じ)

『カタストロフィ(大激動や戦争)を予感させる「甲」と「午」(きのえうま)』

60年で一回りする干支は日本人や中国人にとって意味があり、今年2014年は『甲午』(きのえうま)で、甲午戦争(日本名・日清戦争)が勃発した1894年と同じ。
中国にとっても日本にとっても100年前の第一次世界大戦の意味よりも、120年前の日清戦争(甲午戦争、あるいは第一次日中戦争)の意味の方が比べられないほど遥かに重いのである。
『甲』(きのえ)は、『草木の芽が殻を破って頭を出す』という象形文字で、かぶとやよろい等の武具の意味も持っている。
物事の始まりを意味し、『旧体制が破れ革新が始まる』。今までの十年間に通用していたものが通用しなくなる事を表すとされる。
『甲』(きのえ)は、殻を脱ぎ新たな芽が出始める年である。実践的には、『陋習(ろうしゅう、悪い習わし)を破って、革新の歩を進めねばならぬ』ということになる。
甲午(きのえうま)の『午』(うま)とは、杵の形をした呪器の象形文字で抵抗・対抗を意味する。
『午』は五行で火を表し陽の極致にして太陽が最も高くのぼる正午。『午』には激しく動いて抵抗する意味がある。
『甲午』(きのえうま)ですが、戦争とか革命的な出来事が起きる激動の年なのです。

『日本では日清戦争だが、中国では甲午戦争(第一次中日戦争)と呼ぶ120年前の戦争』

120年前に朝鮮の南西部の全羅道で甲午農民戦争(東学党の乱)が発生し、この農民の武力蜂起は瞬く間に全国に波及して大混乱に陥る。
その後、朝鮮国内の内乱(甲午農民戦争 東学党の乱)に介入した日本と中国(清)との戦争に発展して、結果的には500年も続いていた朝鮮王朝は崩壊し植民地化される。
1894年の日清戦争を契機に日本は帝国主義路線を驀進し、早くも10年後の1904年には旅順港や仁川沖のロシア軍艦を奇襲攻撃して日露戦争に突入する。その10年後の2014年に欧州で第一次世界大戦が勃発すると迷わず日本も参戦して『漁夫の利』で勝利しているが、69年前の1945年8月15日の敗戦で終わっている。この間、ほぼ一直線なのである。それなら120年前の『甲午』(きのえうま)の日清戦争の歴史的意味は日本にとって『一番大事だった』との結論になる。

『西欧にとって最大の戦死者を出した100年前の第一次世界大戦(WWⅠ)』

太平洋戦争(WWⅡ)で第一次世界大戦の1万倍以上の天文学的な損害を出した日本人の『常識の盲点』の様な話なのですが、実は全世界の人口の2・5%5000万人以上もの犠牲者を出した第二次世界大戦より、西欧世界にとっては100年前の第一次世界大戦(犠牲者数1500万人)の方が数倍も被害が大きい。
WWⅠとは、とんでもなく大きな意味を持っている大戦争なのである。
首都ベルリンの攻防戦を含めドイツ全土が地獄の地上戦の戦火に晒されたので、ドイツだけは第一次世界大戦よりも第二次世界大戦の損害の方が大きいが、逆に他の西欧諸国はWWⅡはWWⅠの数分の一の損害に収まっている。西欧では、第一次と第二次との関係が、逆転現象が起きているのですから面白い。
フランスやイタリアにとっては100年前の第一次世界大戦のほうが、史上最も犠牲者が多い第二次世界大戦よりも4~5倍も戦死者が多いのです。
圧倒的に強い敵に対しては必死に戦わず、潔く降服するのが国家にとっても国民にとっても一番良い選択肢なのかも知れない。
第二次世界大戦で人口の20%1000万人を動員して、最初から最後まで必死で戦った風に装っているイギリスも、実は100年前の第一次世界大戦のほうが遥かに犠牲者数が多い。
ちなみに勝った協商国側の戦死者は600万人で、負けた同盟国側は400万人が戦死している。
最近日本(関東軍)が大敗したノモンハン事件では、戦死者数ではソ連軍のほうが多かったので日本が勝っていたとの説が出ているそうですが、そんなことを言えば第一次世界大戦はドイツなど同盟国側がイギリスなど協商国側に勝ったとの馬鹿話になります。
第一次世界大戦では負けたドイツよりも、はるかに勝った英仏の損害の方が大きかったのです。
日本もドイツも同じで、WWⅠでもWWⅡでも戦場は国内では無くて、ほとんど国外で戦っていた。(地獄の本土決戦が沖縄だけだった日本と、全土で経験したドイツとの決定的な差が、戦後の戦争責任の追及の曖昧さの原因となっている)

『何故かマスコミが誰も報道しない、110年前の日露戦争』

我が日本国ですが右傾化が極度に進行していて、最早『病気である』としか思えないほど悪化していて、12年前から続く北朝鮮バッシングに続き二年ほど前からは嫌韓嫌中の風潮が蔓延。今では書店の店頭に見るに耐えない過激な表題のヘイトスピーチ紛いの書物が山積みされている有様である。
国家の安全保障にとって最も大事なのは自国周辺の近隣諸国との友好関係の構築なのですが、平和日本は逆に周辺諸国との緊張感を目いっぱい煽っている。
それなら当然、反ロシアの風説が流布されて当然な成り行きであり、今年は丁度日露戦争開戦(1904年)の110年目である。右翼が大宣伝しても少しも可笑しくない。ところが産経新聞を見ても嫌韓嫌中の記事はあっても反ロシアが見当たらない。(今の世界では、反ロシアキャンペーンで頑張っているのは、アメリカのケリー国務長官程度)

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6 コメント

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第一次大戦 (ましま)
2014-06-30 06:50:52
この大戦は日本にとっても大変大きな画期だったとと思うんです。
戦争参加のありかたもさることながら、日本は日清・日露の犠牲の大きさを、この戦争で取り戻そうとした、国民の一部にもその心情があったということ。
戦後の対華21ヶ条要求、バリ・ベルサイユ条約やロンドン条約での突っ張りぶりなど、マスコミはヨーロッパのことが中心で、日本に焦点をあてた解説が少なすぎます。
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西欧にとっては、第二次世界大戦よりも犠牲が大きかった第一次世界大戦 (宗純)
2014-06-30 14:59:11
ましまさん、コメント有難う御座います。

『マスコミはヨーロッパのことが中心で、日本に焦点をあてた解説が少なすぎます。』は全く同感です。
ただ、戦争を考える上では矢張り自国民の犠牲者の数が大問題で、第一次大戦とはイギリス、フランス、イタリア等にとっては間違いなく未曾有の大戦争だった。
これ等の国では、歴史上一番沢山死んだ戦争であり、その意味では日本は数百人程度なので、記憶に薄い。
所詮第一次世界大戦は欧州の戦争であり、無関係なのです。
歴史的に見ても日本の運命なら、第一次世界大戦の意味は小さい。
ところがフランスやイタリアにとっては第一次世界大戦のほうが、史上最も犠牲者が多い第二次世界大戦よりも4~5倍も戦死者が多いのです。
西欧では、第一次と第二次との関係が、逆転現象が起きているのですから面白い。
圧倒的に強い敵に対しては必死に戦わず、潔く降服するのが国家にとっても国民にとっても一番良い選択肢なのです。
1000万人を動員して、最初から最後まで必死で戦った風に装っているイギリスも、実は第一次世界大戦のほうが遥かに犠牲者数が多い。
死傷者数から見れば第二次世界大戦とは、ドイツのソ連に対する戦争だった。
ドイツ軍の3分の2以上がソ連領内の東部戦線に投入されていて、
いわゆる米英連合国は第一次世界大戦時の後出しジャイケンで漁夫の利を得たアメリカ軍と同じ作戦で極力自国の損害を回避して国力を温存して、
終戦後の覇権を手に入れるとの二番煎じの戦略で大成功しています。
日本の歴史では、日清・日露の犠牲の大きさが注目されているし、
、第二次世界大戦は桁違いのべらぼうな犠牲者を出しているので、もっぱらこれ等だけが注目されるが、物事は犠牲者数だけでは無い。
そういえば日本軍が大敗したノモンハン事件では、戦死者数ではソ連軍のほうが多かったので日本が勝っていたとの説が出ているそうですが、
そんなことを言えば第一次世界大戦はドイツなど同盟国側がイギリスなど協商国側に勝ったとの馬鹿話になります。
第一次世界大戦では負けたドイツよりも、はるかに英仏の損害が大きかったのです。

日本ですが、日本軍の犠牲者ゼロの江華島事件1875年(明治8年)の方が、日本の外交方針を決定した大事件ですが、誰れも取上げない。
朝鮮 の首府ソウルを流れる漢江の河口に位置するのが江華島ですが、明治維新から7年後、アメリカの東インド艦隊のペリー提督来航からなら22年後に、何とアメリカの真似をして露骨な砲艦外交(武力行使)で無理やり不平等条約を朝鮮に押し付けているのです。
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WWIIの発端も集団的自衛権の発動? (海坊主)
2014-07-04 06:40:48
ナチス・ドイツによるポーランド侵攻は当国と相互軍事援助条約を締結していた英仏双方の参戦を招きました。これも集団的自衛権の発動でしょう。

アメリカのモンロー主義は他国との関係において軍事的に独立している点で孤立主義で、当時の社会情勢においては特異な存在だったのでしょうが、自動参戦義務を保険に掛けなければならないほど欧州内の軍事的緊張は常態化していた事を伺わせます。

増大する国防費を賄うためメフォ手形を乱発したナチス・ドイツ。国家予算財源の半分を赤字国債で賄う日本。ナチス・ドイツの進んだ先はメフォ手形の踏み倒しとしての開戦でしたが、日本もその同じ道を進むのでしょうか。少なくとも道自体は7月1日に開かれたように思えます。

特定秘密保護法が放射性物質による作物・土壌・河川・地下水への汚染実態の風評被害化と被爆民の健康被害の隠蔽のためにあるでしょうが、隠しきれない所まで事態が深刻化した先にあるのは、原発事故補償の踏み倒しとしての開戦、もあるのではないでしょうか。
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集団自衛権で自動参戦しなかった日本 (宗純)
2014-07-04 15:02:16
海坊主さん、コメント有難う御座います。

WWⅠでは、宣戦布告の言い出しっぺの一番最初のオーストリア以外、日本の日英同盟を根拠としての参戦のように、すべてこの『集団自衛権』による、『自衛の戦争』を主張して参戦しています。
ですから、その意味では分かりやすい戦争なのですが、
『WWIIの発端も集団的自衛権の発動』と言えるかとなると、これが一筋縄ではいかない。
そもそも日本がドイツに宣戦布告した理由は日英同盟の義務からでは無くて、純粋に自国の国益なのですよ。
これは日本だけでは無くて、英仏もイタリアも同じ、別に同盟を結んでいたから、自動参戦したわけでは無くて、日本と同じで、矢張り国益の為に参戦したと考えるべきでしょう。
ですから最初のWWⅠの時も、集団自衛権は口実(名目)であり、参戦の本当の理由ではない。
WWⅡですが、日独伊三国同盟を結んでいたが、ドイツと英仏が戦争状態に陥っても参戦していないと言うか、順番が逆で、開戦の26日後に集団自衛権の条約を結んでいるのですから無茶苦茶。
基本的に出鱈目なのですが、ドイツ軍がソ連に攻め込んでも、矢張りソ連には参戦しなかったのですね。
ソ連とドイツが死闘を演じていた時に日本は国境付近に50万人もの大量動員で演習を行って、今にも戦争をするぞとは見せかけたが、とうとう最後まで動かなかった。
基本的に集団自衛権なるものは見掛け倒しで偽者なのですが、最後は逆にソ連軍に攻め込まれて無条件降伏しているのです。
日本ですが、本来なら集団自衛権でドイツと戦争中のイギリスやソ連と開戦するべきだったのですよ。
ところが開戦しなかった。
1939年にWWⅡが始まっているのに、日本は見てみぬふりの傍観者だったが、開戦から2年も経ってから1941年末に突如として中立国のアメリカを奇襲攻撃して、大戦争に雪崩れ込む。
アメリカですがWWⅠで11万人が戦死している。
WWⅠの終結から21年後にWWⅡが始まるが、矢張りWWⅠと同じで国力で上回るドイツにイギリスが勝てない。
しかしアメリカの助けが無いと、このままではイギリスが負けることが分かっているのだが、ルーズベルト大統領は『戦争反対の世論』によって当選しているのです。
米軍の参戦無しにはイギリスが負けると分かっていても、開戦できないのですが、放って置くとイギリスを失ってしまう。
国民世論を戦争反対から180度逆の開戦に大転換しないといと無理なのだが、時間が経てばイギリスの敗北は確実なのですがアメリカとしては何も出来ない。
絶対に解けない難問中の難問を一挙に解決したのが、アメリカのハルノートを最後通牒と受け取った日本軍の真珠湾奇襲攻撃なのです。
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理解できました。 (海坊主)
2014-07-05 09:39:46
宗純様

コメントありがとうございます。

一つ教えて頂きたいのですが、WWIIでアメリカに奇襲攻撃して開戦に至った日本ですが、わざわざしなくても良いナチス・ドイツがアメリカに宣戦したのは日独伊間の集団的自衛権の締結による自動参戦だったのでしょうか、それともナチス・ドイツ自身に別の利益があったのでしょうか。
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「愚者は経験に学ぶ」の見本的な判断 (宗純)
2014-07-06 11:08:31
海坊主さんコメント有難う御座います。

日本とは大違いで、WWIIでは奇襲で開戦した日本に対して、ドイツは集団自衛権を理由にして自動参戦しているのですね。
日独伊三国同盟を結んでいても、一向にイギリスにもソ連にも参戦しなかった日本を助ける為に参戦する義理はドイツにはない。
ところが『日独伊間の集団的自衛権の締結による自動参戦』したのですから、何か別の思惑があったと判断するべきでしょう。
WWIIですが、これは単独の戦争では無くてWWⅠと一繋がりの大戦であり、第一次第二次と呼ぶよりも、前期後期と呼ぶ方が、戦争の実体に即しているのです。
アメリカですが基本的に欧州列強の覇権争いだった汚い第一次世界大戦は、部外者なのですが、3年間の全面戦争で欧州諸国が疲弊して国力を失った段階で、突如参戦して文字通りの『漁夫の利』で勝っている。
日米開戦では、日独伊三国同盟があるのですから、アメリカの参戦は第一次世界大戦の時よりも、もっと確実なのです。
もしも、何かの間違いでドイツがソ連に勝ったとしても、国力を使い果たしていて余力がまったく残っていない。
この時にアメリカが参戦するとドイツが予測したので、それなら最初からアメリカに宣戦布告して少しでも叩く方が有利と判断したのでしょう。
アメリカの戦略ですが第一次の時の汚い作戦を、やっぱり第二次世界大戦でも採用しているのですね。
第一次でも第二次でも同じで、アメリカが本格的にドイツを攻撃するのは参戦から3年目で、ドイツがソ連との死闘で国力をほぼ使い果たした後だった。
アメリカですが、やっぱりWWIIでも文字通りの『漁夫の利』で勝っている。
自動車王国のアメリカではストックカーレースとかドラッグレースとかの独自の競技があるのですが、一番盛り上がるのは、決められたフィールド内で車を激しくぶつけあい、最後まで走っていたら勝ちという自動車のサバイバルゲームがあるのですが、勝つコツは、まさに第一次第二次世界大戦での後出しジャイケンようなやり方らしい。出来る限り最初は消耗を防ぎ、ライバルたちが疲弊するのを待つ作戦。アメリカの言う史上最大の作戦などは、ドイツ軍がソ連軍には敗北して、大戦の勝敗が決定してからの後出しジャイケン。勝って当然なのです。
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