渡辺京二著『逝きし世の面影』という本がある。
これは幕末から明治にかけて日本を訪れた異人(欧米人)が、当時の日本および日本人をどのように見ていたのかということを、それらの異人が残した膨大な証言録の中から拾い出し、当時の日本の姿を浮かび上がらせようとした本である。
この本の中で浮かび上がってくるかつての日本の姿は驚くべきもので、 この本に登場してくる異人たちは、皆ではないが、ほとんどの者が当時の日本の「優しい文明」に惹かれている。
異人たちは、自分たちが惹かれたものの本質まで見極め切れてはいない。だが、紛れも無く惹かれている。
このブログ名は、渡辺京二氏の名著『逝きし世の面影』から借用したもので、この本は膨大な資料から150年前の日本及び日本人の、今では忘れられた実像を描いたものです。
150年前なら、普通の一般市民が誰でも知っていた事実が、今では全ての人々に忘れられた(書き換えられた歴史)を丹念に拾い上げた名著です。
このブログの趣旨も同じで、この本と同じような観点から物事を取り上げようと考えています。
150年前ではありませんが、数十年前の普通の日本人なら誰でも知っていた事実や知識。
しかし今では忘れ去られている半世紀前の真実を、いくらかでも此処に書き残したい。
良い記事を見つけたので、お知らせします。
ご迷惑っだたら削除して下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/ryuuzei/29363614.html
ですが、
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正当な業務に対し、刑事責任を問うには、よほどの過失があった場合に限るべきではないのか。人間のやることである以上、ミスは起こりうる。
それに逐一、刑事責任を問い犯罪者にするというのなら、なにも学ばずなにも修練せず、あるいは責任のある仕事はぜず、あるいは金儲けのような欲のみを追求する者たちの方が得をする社会となるだろう。
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に共感しました。
しかし、外国では航空機事故では、関係者が自分の刑事責任を追求されるなら本当の事を言わない恐れがあるので、先ず最初に関係者全員を免責して事故調査を行う。
この二つの対処方法の違いには、処罰が優先されるのか。?
それとも事故の再発を防止する事を、全てに優先するのかの、根本的な考えかたに大きな違いがあるようです。
この記事ではなく『23年目の日本航空123便墜落事故 (社会・歴史 / 2008年08月12日 )
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/f566ffc18f12a6fe832eb8be32afa5a4
の方がコメントとしてはピッタリだったようですね。