『日本人4人、ノーベル賞受賞』
日本人はこれで16人が受賞、内訳は物理学賞7人、化学賞5人、生理学・医学賞1人、文学賞2人、平和賞1人、経済学賞0人。
日本人は湯川博士の例にも見られるようにノーベル賞には特に思い入れが有るが、其の選考過程には胡散臭い部分も垣間見れる。
極端な欧米偏重。
今から考えれば当然受賞しそうな北里柴三郎が選考対象にもならなかったり、今でも英語に翻訳されていないものは極端に不利になったりと決して公平ではない。
特に科学アカデミーではなくノルゥエー国会が選考する平和賞は問題が多い。
受賞理由が日本の非核三原則の佐藤栄作は、沖縄への核の持込の例外規定や米軍による核の通過持ち込みを密約していた秘密協定が受賞直後に露見して平和賞の権威に泥を塗っている。(当時の日本では佐藤栄作の受賞は趣味の悪いブラックジョークと言われていた)
『ノーベル経済学賞はインチキ臭い』
経済学賞は銀行創設300年を記念してスウェーデンの銀行が勝手に後からノーベル賞の権威を利用してでっち上げた代物。
ノーベル自身は経済学に賞を送るとは言っていないし、今まで送られた連中はシカゴ学派が殆どで今の世界で起こっている金融崩壊の仕掛け人といっても良いようなトンデモナイ人物ばかりが目立つ。
スタンフォード大学教授だったマイロン・ショールズ氏と、ハーバード大学教授だったロバート・マートン氏という2人の経済学者が金融デリバティブの理論を解明し、デリバティブの評価基準や新商品を作りやすくした。
現在のアメリカを中心とした金融破綻の大元、金融界の大量破壊兵器(デリバティブ)の生みの親ともいえる存在である二人。
其の二人が参加して1994年設立されたヘッジファンド(LTCM)ロングターム・キャピタル・マネジメントは95年96年に40%以上の高率の運用配当をあげるも98年には十数兆円の空前の損失を出して倒産する。
しかしLTCMが倒産する前年1997年に『金融デリバティブの理論を解明した』功績によりノーベル経済学賞を2人で受賞している。
『合法的金融犯罪』
昨今の金融崩壊を見ていると日本人でノーベル経済学賞受賞者が一人もいない事は有る意味で素晴らしい出来事だと思います。
フリードマン等のシカゴ学派の連中は『高度な金融工学』と称して怪しげた金融派生商品(デリバティブ)を次々に作り上げ、一部の投資家達だけが大儲け出来る仕組みを作り上げる。
社会とは大勢の人々で構成されていて、極一部が儲かる仕組みは大多数が損をし結果的に今回のように社会的に大損失に陥ると言う社会常識が欠落していた。
今回の金融破綻のきっかけを作った、契約した人が必ず破綻する事が約束されているサラ金並みのサブプライムローンやその証券化などの犯罪的な行為は、今までの真面目な経済学者では思いつきもしなかったでしょう。
『レーガノミックス』
米国のレーガンやブッシュ・ジュニア(英国のサッチャー日本の小泉、竹中平蔵)の主張の根本は、金持ちや大企業に対して減税を行えば行うほど反対に政府の税収は増えると主張する手品か詐欺商法或いはブードゥー経済学とも言える『レーガノミックス』でその理論的な大黒柱がフリードマンを教祖とするシカゴ学派である。
勿論新自由主義の教組フリードマンもノーベル経済学賞を受賞している。
今株式市場で最高値の16000ドルが『株価が半分になった』『大暴落だ』と騒いでいますがブッシュが9・11直後に無謀なアフガン進攻を始めた01年当時の株価は今の半値のたったの4000ドルですよ。
『7年間で4倍は完全なバブル』
アメリカは無茶な勝ち目のない侵略戦争で国家財政を食いつぶし財政収支も経常収支も大赤字である。
しかも実体経済は良くないのに株価だけがどんどんウナギノボリに上がっていく異常状態が長く続いていた。
経済学者ならずとも少しの常識が働けば誰であれ今度の破綻は有る程度は最初から予見できた。
株価が急激に上昇する勢いに連動して実体経済からかけ離れて金融資産が増え続け世界のGDP合計額の4倍にも膨れ上がり、この膨大な資金の一部が石油や穀物市場原材料市場に流れ込み、これ等の値段が史上空前の高値になり実体経済をも左右する由々しき事態になっていた。
『金融と投資の分離、グラス=スティーガル法』
特に良くないのは大恐慌の経験から銀行と証券会社の分離を決めていた銀行法(グラス=スティーガル法)を改悪して骨抜きにしたことで破綻の規模を最大限に拡大した事であろう。
この銀行と証券会社の垣根を取り払う愚行を、アメリカ国内だけに止まらず金融ビッグバンとかグローバルスタンダードとか規制緩和の美名の下で世界中に押し付けて経済崩壊が世界規模で起こるように仕向けていた。
『預金から投資へ』
日本でも『金融立国』とか『構造改革』とか『規制緩和』の美名の下に小泉、竹中らが銀行と証券会社の垣根を取り払い『日本人の持っている個人金融資産は資産構成の偏っている』ので『預金から投資へ』変えていく必要が有るとして、危険な投機(博打)の世界に国民を誘導しようとしていた。
現在起こっている事態は、今までの自国の特殊で異常な経済モデルをアメリカが世界に押し付けた事から起きた事件で「起こるべくして起こった」当然の事態である。
『必ず破綻するねずみ講経済』
アメリカ型経済をカジノ経済と評する考え方も有りますが、金(証券)を遣り取りするだけで実体経済からは離れているのでアメリカ型経済の実体は必ず破綻する事が確実なねずみ講経済あるいはマルチ商法(ネットワークビジネス)経済ですね。
今のアメリカはネズミ講と戦争ビジネスが合体した史上稀に見る腐敗した経済システムです。
其のどうしようもない程に腐敗した経済システムと日本は日米同盟という名で組み込まれているので実質経済が幾等マトモでも日本も有る程度の被害は免れないでしょう。
資本主義の下で、住宅証券や金融派生商品がちゃんと管理されずに無節制に流通してしまった事が原因ですよね。
又、投機的資金運用の問題を抱える金融資本主義に対し、「金融商品や株式に対して、適切な規制をかける改革」
が実行されなければ、株式市場そのものの信用が損なわれる可能性もあると考えます。
さらに、このような事態を招いた各金融機関の経営責任者達の責任が追及されるべきですが、難しいのでしょうか?( 1998年、2003年の株価の暴落の際にも、同様の議論がありました。)
ちなみに、今年のノーベル経済学賞の受賞者は、グローバル経済が持っている危険な罠について、とても批判的です。(もしかすると、今年の選考に、影響があったのかもしれません。)
(ところで、日本人のノーベル化学賞は5人、生理学・医学賞は1人です。)
『規制緩和』の錦の御旗を押し立てて例外を認めず『全ての規制を撤廃して市場原理という見えざる神の手に委ねる』という市場原理主義(新自由主義)の行き着いた先が現在の金融崩壊ですね。
今年のノーベル経済学賞の受賞者のクルーグマンは今回の金融崩壊を予測していた。
クルーグマンによるとこれから長く険しい道のりを辿りそうです。
日本のバブル崩壊時にも近経の経済学者でも金子勝の様に少数ですが存在していた。
何時の世の中でも世の中が見えている人はかならずいます。
しかし今の日本ではちゃんとした経済学を教えず、単なる会計学や経営学を経済学と誇大表示して教えている。
経済のほんの少しの知識が有れば決して引っかからないだろうネズミ講やマルチ商法に大学生などが大勢騙されている。
金をあちらにやったりこちらにやったりぐるぐる回している間に段々大きくなりみんなが儲かると錯覚させるのがネズミ講ですが、今のアメリカ型金融経済はこの仕組みにソックリですよ。
正しい経済に対する知識が有れば今回の金融崩壊はクルーグマンならずとも誰でも簡単に予測できた。10000万ドル超えあたりから何時来るか何時くるかと思っていたがとうとうバブルが弾け飛んだ。
『見えざる神の手』(市場原理)は良くて安い商品は悪くて高い商品に勝てるようにごく小さいミクロな範囲では有効だが、もっと大きいマクロな資本の倫理には当てはまらず、これには完全な規制が必要です。
マクロな資本の倫理では良い悪いの判断ではなく如何にして利益を上げるかしか有りません。
個人個人には倫理は有りますが資本には倫理は有りません。単に資本自体の自己増殖本能(儲け)だけの判断しかない。
言葉を変えると欲望が全てに優先する世界ですね。これは野放しにするとトンデモナイ事が起こって当たり前です。
規制は、市場の入り口で参加者を規制して違法な事が起こらない様にする方法と、市場の中でそれぞれの取引を監視して違法を取り締まる方法が有るが、新自由主義では『市場の解放』の合言葉で入り口規制を撤廃してしまう。
入り口を開放したら中での監視を強めないと物事は上手く行かないが個々の監視はトンデモナク手間暇がかかるので常です。
内も外も全くフリーなら悪事が堂々と行われるようになるのも予め予想された出来事です。
正直言って、現在の米国の経済学は「自由放任主義、市場至上主義」の市場原理主義に毒されていると思います。(弱肉強食の社会観) 私がかつて親しんでいた Marx, Engels, Keynes などのリベラルな考え、すなわち「社会が成熟することで、人権、平等、博愛が実現する」という Hegel 風の社会進化説とは正反対の考え方です。
米国人と話をすると、強いものがますます強くなり、弱いものは退散するのは仕方が無いことであり、欧州流の社会民主主義では社会が衰退すると考えている米国人が多数派である、ということが実感されます。 しかし、むしろ話は逆であり、自由競争が平等な社会の避けられない権利であるとすると、競争の負け組を以下に救済し、社会のお荷物にならないようにするかということこそが、政治の役割であるということです。
私は、個人的にも、あの Francic Fukyyama の「歴史の終わり」の考え方は大嫌いです。 社会の変化変遷の前に、勝手に「最終的な自由民主主義」なる絵を描いている。 まあ、今回の金融危機、米国型金融資本主義の失敗に学んで、米国が良い方に替わってくれる事を祈りたいです。
其の新自由主義を賞賛する米国人は数年先しか見ていません。数十年先では欧州方式の方が良いのは誰にでも解るはずです。
こんな簡単な事が分からない米国の経済学は、単なる経営学や会計学を経済学と詐称しているだけで経済学に値しませんね。
以前に経済学部門でこけた事が有るそうですが其れは当たり前なんですよ。あれは簡単な事を如何に難しく説明するかに値打ちが有るのです。誰にでも判ったら其の時点で失敗なんですよ。
単なる簡単なネズミ講を、なるべく難しく複雑なシステムに見えるように作り上げて、さも高等な金融工学に見せかけるのが連中の技術ですね。
アメリカの経済システムとか金融工学とは大金持ちの為に作った複雑なネズミ講です。
酒飲みが2人で商売をしようと酒樽を担いでお花見の場所に行く話。
後棒が、酒の誘惑に負けて有り金の10文で酒を湯飲みで一杯飲んでしまう。
その後、受け取った先棒がその10文で自分も一杯だけ飲む。
その次は後棒が受け取った10文で飲む。これを繰り返している内に酒樽が空になり、大儲けしたと喜んで金を勘定するが、何とたった10文しかない。
今のアメリカの金融崩壊は落語の花見酒です。
株価の大暴落は単なる結果で、一番の問題では有りません。
金が動いている間は誰も気が付かなかったが実体は落語で、高度な金融工学と称して、落語の花見酒をアメリカが真面目くさってやっていた。
アメリカとも有ろうモノがマサカ落語の花見酒をやっているとは誰も思わないので、世界中がだまされみんなが参加してしまった。
何もモノを造らず動かさず、単に金や証券、信用保証を業者間であっちにやったりこっちにやったり、彼方此方に回している間に何倍にも価値が膨れ上がる錬金術を金融工学の名前で呼んでいた。
会員の間でお金を遣り取りしている間に何倍にも膨れ上がるネズミ講やマルチビジネスとソックリなアメリカ経済。其れをグローバルスタンダードと称して世界中に広めた。
小泉や竹中平蔵の金融立国とはネズミ講国家のことで、確かに最初は儲かるが必ず最期には破綻が約束されている。
世界の実体経済の4倍にも膨れ上がった金融バブルは元々の大きさまで縮小する筈で、これは日本で経験済みのことです。
http://psychological-jp.com/analysis2/p6.html
今回の米国流の金融資本主義と金融派生商品におけるより大きな問題は、小さなバブルを何倍も何十倍にも膨らませてしまう危険性があるという点でしょう。 しかも、それらの金融資本主義と金融派生商品は、巨額の金額を動かせる金持ちや資本だけが直接関与できるものなのです。 日本で起きた株/不動産のバブルは、基本的には日本だけの問題でしたが、米国の住宅バブルは、証券バブルとなり、世界中の金融機関に打撃を与えてしまいました。
結局、金融資本主義と金融派生商品は、実体経済を全て金融商品化するに留まらず、小さなお金でより大きい金融商品を扱えるようにした大博打の仕組みに過ぎません。
http://news.biglobe.ne.jp/economy/jc_081018_7077131897.html
特に自分で大会社を経営するとか株式や証券に投資するとかの場合には特にそうです。
チュ-リップバブルの話は資本主義以前の欲に目がくらんだ単なる投機(賭博)のバブルで今回の先例にはならないでしょう。
其れよりも1929年の大恐慌の先例の方が良く似ていて役に立ちそうです。
株価の大暴落が直接実体経済に波及して銀行が大量に倒産した教訓から金融(銀行)と投資(証券会社)を厳格に分離する銀行法がルーズベルトによって33年に制定される。
証券会社の扱う株のような投機市場は基本的に賭博で、ひと様の預金を預かり企業に貸し付けて其の利ざやを稼ぐ銀行業務とは本質的に違いが有る。
この法律(規制)によって80年近くも資本主義社会の大恐慌は避けられて来た訳ですが、ところが近年規制緩和と市場原理主義の新自由主義がもてはやされ99年に証券会社と銀行の垣根が取り払われる。
しかも悪い事に金融ビッグバンとかグローバルスタンダードとかいってこの危険極まりないアメリカモデルを世界中に強制的に広めてしまう。
規制緩和と自由化のお陰でメリル・リンチのの様な証券会社だったものが投資銀行となって史上空前の利益を上げた結果、世界中のみんながわれもわれもとこの騒動に参加してしまう。
今までビバレッジ等で大儲けしたのですから逆に大損する現在の事は『起こるべくして起こった』事件で幾等でも事前に予測できた事柄です。