『菅生(すごう)事件』1952年6月2日
57年前の今日、大分県直入郡菅生村(現在の竹田市菅生)で起こった警察自身による駐在所爆破事件を装った共産党に対する謀略事件である。
犯人として日本共産党員が現行犯逮捕され有罪とされたが、後に警察による自作自演の『でっち上げ事件』であることが発覚し無罪となった。
この事件は、朝鮮戦争の真っ最中に、共産党などの反戦運動を弾圧する憲法違反の諜報組織としての公安調査庁の設置の根拠となる破壊活動防止法の国会成立の為に重大な貢献?をしたと思われる。
警察に嵌められた日本共産党は壊滅的な打撃を受け、当時持っていた国会議席が回復するのは20年後の70年代になってからだった。
爆破実行犯の現職巡査部長は有罪が確定するも刑を免除され復職したばかりでなく昇進して警視長や警察大学校の重要な幹部にまでなり、ノンキャリアとしては最高の出世をした後に警察関連団体に天下りする。
『陰謀論談義の滑稽さ』
現在ネット空間では『陰謀論』なる言葉が安易に飛び交っているが歴史上、政治・経済の世界では怪しげな国家テロ、陰謀や謀略事件の絶えたためしは無い。
インターネットは便利ですが、便利な分、インチキも多いし軽薄でもある。
『陰謀論』などと言う言葉が謀略や企て、謀ごとのまかり通る政治や歴史の問題で語られる例はネットだけであろう。
中学生程度の子供の議論ならいざ知らず、リアルな現実の言論世界では有り得ません。
『この世は善意で出来ている』と信じている無邪気な子供でもあるまいし、いい大人が『陰謀論』などを平気で使える感覚が判らない。
人前で平気で喋っていて恥ずかしくないのでしょうか。?
彼らは、『国家(組織)による陰謀・謀略』の見本のような46年前のケネディ暗殺や57年前の菅生事件、9・11事件ソックリの経過を辿る60年前の下山、三鷹、松川三大謀略事件の存在を知らないのでしょうか。?
少しでも歴史を知っていれば、自分の語っている言葉の恥ずかしさに悶死するはずなのですが多分『すっかり忘れている』か『全く知らないか』の何れかでしょう。
何れであるにしろ、大人の知の劣化現象で本当に困った事です。
『事件概要』
52年6月2日午前0時頃、菅生村の巡査駐在所でダイナマイト入りのビール瓶が爆発し、建物の一部が破壊された。
警察は事前に情報を得たとしてあらかじめ100人近い警察官を張り込ませ、現場付近にいた日本共産党員2人を現行犯逮捕、その他3人の計5人を逮捕する。
新聞記者も待機しており、各紙では日共武装組織を一斉検挙したと報じられた。
破壊活動防止法は7月4日可決成立したが、この報道は違憲が濃厚な超法規的弾圧法案成立の為の絶大な追い風になった。
逮捕された共産党員2人は自称『市木春秋』に呼び出され駐在所近くの中学校で面会、直後爆発が起きた。』と冤罪を主張。
55年7月の大分地裁は5人全員を悪質と断じて実刑(懲役10年)とする。
『警察の関与が発覚』
報道機関により自称市木春秋が、国家地方警察大分県本部警備課の現職の巡査部長である事が発覚する。
地方紙も取材を進め、警察による謀略の可能性も指摘されたが、警察側は巡査部長は事件とは無関係であることを主張し、また彼は退職して行方不明であると説明した。
各報道機関の調査により、警察の『退職した』とか『行方不明』との説明は嘘で、市木巡査部長が現在も国家地方警察本部の警備課に『戸高公徳』の名前で勤務している事が暴露される。
爆破事件後に戸高公徳巡査部長が警察の庇護を受けて福生市いた潜伏していた事、其の後警察大学校に潜んでいた事等が露見した。
1857年春には共同通信社会部の記者が当時は佐々淳一の偽名を名乗る戸高公徳巡査部長の東京都内歌舞伎町の潜伏先を突き止め犯行を認めさせる。
『政府(国家警察)、関与を認める』
この結果、法務大臣や国家公安委員長はこの事件が警察の日本共産党に対する「おとり捜査」(国家警察の指示・命令)だったと公式に認めるに至った。
公判で戸高巡査部長は、上司の命令でダイナマイトを運搬したことを認めたが、爆破実行については否認する。
共同通信記者や巡査部長の証言、また鑑定でダイナマイトは室の内部に仕掛けられたとして5被告は1958年に福岡高裁で無罪が言い渡される。
ところが恥知らずにも検察側が控訴するが最高裁判決でも無罪が言い渡され確定。
この時警察による自作自演の「おとり捜査」(でっち上げ事件)も認定されている
『テロ犯人が異例の出世』
其の後、戸高公徳巡査部長はダイナマイトを運搬した罪(爆発物の取り扱い違犯)で起訴されたが(上司の命令であったとして)一審無罪となるが二審では有罪となった。(爆破を命令した上司は最初から起訴されていない)
しかし、なんと驚く事に刑を免除されたばかりでなく3ヶ月後には巡査部長から1階級昇進して警部補として警察に復職させる。
のちに戸高はノンキャリア組で出世の限界とされる警視長まで昇任した(警察大学校術科教養部長を最後に退職)。
さらに、退職後は警察の共済組織たいよう共済、続いてやはり警察出身者が多数を占める危機管理会社日本リスクコントロールに天下りした。
いずれも抜きん出て優秀な警察官であったとしてもノンキャリアとして異例の厚遇で、ましてや犯罪歴のある警官の例は考えられない。
『消えた警察官』菅生事件の真相
管生(すごう)事件は、モノスゴイ事件である。
ただの誤判や冤罪の事件ではない。
その性質、その規模、その悪魔性において、ナチスドイツの国会放火(偽装)事件、満州事変の口火を作った柳条溝事件の、日本国内版とでもいうべきものと思われる。小型ではあるが、手はもっと混んでいて、かつもっとインケンである。
日本のジャーナリズムの一部は、当初から、この事件の隠謀性を嗅ぎつけていたにちがいない。
それを暗示した1952(昭和27)年6月3日の毎日新聞(西部版)の社会面の記事がなかったら、この事件は永久に闇の中にほおむり去られてしまりたであろう。
本書の著者が、毎日新聞の記事によって、本件がおそるべきデッチ上げ事件であることを直感し、直ちに大分拘置所に被告人たちを、訪問したことに対して、私は人類の一員として絶大の敬意を感ずるものであるが、その意味深長なる一文をものした和田毎目記者にもまた、無限の感謝を感ずるのである。
戦前であったならば、こういった事件は、すべて掲載禁止であり、官憲の不正は徹底的に隠蔽された。
社会正義と言論の自由とが、不可分の関係にある証拠である。
ともかく、今日の日本国民は、旧大日本帝国の臣民ではない。また今日のジャーナリストは、東条英機に恫喝されたジャーナリストではない。
東京の新宿で、仮面の(元)警察官(偽大学生)戸高公徳を発見したのは、共同通信社の6人の若き記者諸君であった。
これは、まことに痛快な出来ごとである。
6年間、犯人を隠匿し、犯罪の証拠隠滅をはかって来た本件の検察当局に、われわれ弁護人たちは社会正義の保障を托することが出来ようか。
戸高公徳ならびに、その背景をなす官憲は、本件の検察官と結托して、偽証をつづけ、裁判所と世間とをダマそうとするだろう。おそるべき国情である。
(正本ひろし弁護士 )
警察はドロボーをつかまえるものだ。
犯罪を予防し鎮圧するものだ。みんなが、そう思っている。
ところが菅生事件では、そうでない。
駐在所爆破の現場には、ダイナマイトを装てんしたピールビンが1本おいてあった。
そのピールビンにあるべきはずの指紋はない。
つかまったG君かS君がこのビールビンを持っていたのなら、指紋はいっぱいついていたはずであり、それを消す機会は全くなかった。
ピールビンはG君たちを罪におとすために捏造された証拠であり、そのビールビンをそこに置いた真犯人の指紋は隠滅されている。
S君のポケットから警察官が取り出したという40Wの電球にも指紋がない。
現場にはマッチのもえ残りの軸がすてられていたのに、現場附近にもG、Sのポケットにもマッチの箱がない。
真犯人がうっかり持ち去ったもので証拠捏造の手抜かりだ。
GやS君たちは、この手抜かりだらけの捏造された証拠によって有罪の判決を受け控訴中である。
市木春秋の書いた駐在所にたいする脅迫文と、かれの逮捕されたときの現場の写真は、検察官の手の中で行方不明になっている。
ダイナマイトを手に入れた市木春秋は、騒在所の爆破以後、警察の手でかくまわれ、まる5年近くも行方不明である。
わかってみると、市木春秋その人が警察官であった。
少年や精神薄弱者にたいして供述が強要され、それと捏造証拠とで、無実の人が栽判にかけられる。
昭和27年春から、当時の政府が要要望しながら議会で難行していた破壊活動防止法を成立させるための政治的陰謀に警察が一役買ったのではないか? それがこの事件について私のいだく疑問である。
駐在所の爆破現場には、報道班までが偶然に(?!)動員されていて、即座に鳴物入りで日共の爆破と大宣伝されたというものも、全くあつらえむきすぎる。
警察の機構と力が政治に利用された見本は昔の特高警察だ。
それ以上のものが復活されようとしている気配が、いたるところに感ぜられる。
国鉄労働者10万人のクビキリをはじめとする定員法実施のための陰謀として計画された疑いのある昭和24年夏の三鷹事件や松川事件いらい、私たちは警察および検察の政治化に強く反対している。
そこにも証拠の隠滅があった。
そこにも証拠の捏造があった。
そこでも無実の人々が苦しめられている。
警察および検察の政治化は、国民の信頼を裏切るものであり、限りなく、おそるべき犯罪をうむ、と私は思うのである。
(岡林辰雄弁護士)
『冤罪を嗅ぎ付けた報道機関』
爆破事件翌日の6月3日の新聞各紙には現行犯人として2人の「日共党員」が逮捕されている写真が載っていたが、毎日新聞の西日本版社会面の記事には、『死ぬ気で頑張った。神に祈る大戸巡査の妻』と言う見出しで、『私は爆弾が投げ込まれるのを知っていた』と前置きした大戸三郎駐在巡査の妻みち子さん(当時23歳)は妊娠6ケ月の身重で語るという、警察のでっち上げ(謀略)事件である事を推察される以下の談話が掲載された。
★『死ぬ気で頑張った。』神に祈る大戸巡査の妻(私は爆弾が投げ込まれるのを知っていた)
『派出所が襲われる事を主人から聞いた時は唯ぽう然となりました。』
『しかし!逃げたり騒いだりすると犯人に察知され折角皆さんが一生懸命になっているのに申訳ないと思い主人と一緒に死ね気で頑張っていました。』
『主人はすぐ飛び出せる様に靴をはいたまま裏口に頑張り、私は奥の4畳半に万一を願って布団をかぶり待機しましたが、此の時程死を賭けた職業の美しさに打たれた事はありません。』
『耳が破れる様にガーンと響いた時は目の前が真っ暗に感じられ主人が犯人を追跡するのを感知しうまく捕える様にと祈っていまた。』
何処の国も日本の公安警察のような政治警察を持っていますが、其の悪事が暴かれる事は有りません。
どれ程非合法な活動でも、普通はみんな『合法』を装っていて闇に隠されている。
ですから57年前の菅生(すごう)事件のように犯人が現職警察官であった事がばれて有罪に成る(刑を免除)などは氷山の一角どころでない稀な事柄で、例外中の例外ですよ。
しかも暴いたのが新聞社や通信社などマスコミの記者たちです。
事件直後の毎日新聞の報道で事実を単に報道しただけで新聞には『おとり捜査』との見出しは有りませんが、読んだ読者には爆破事件が共産党に対する『警察のおとり捜査』であった事が理解できる仕組みに成っています。
思えば、当時の新聞記者達は、『真実を報道する事』の大事さや『真実を報道する』使命感、『真実を報道できる』記者としての喜びを、誰よりもよく知っていたのでしょう。
7年前の1945年以前の嘘を付き続けた報道機関の戦争責任を誰よりも知っていた。
ところが60年以上経ってマスコミと権力が癒着する恐ろしさをすっかり忘れ果て、今ではインチキ臭い大本営(政府からのリーク情報)の横並び報道がまかり通る先祖がえり状態です。
そして何時の間にか警察も昔の特高警察が、公安警察と名前を変えて中身を変えずに復活していて昔と同じ事を繰り返している。
昔の事が、『済んでしまった大昔の事』といえないところが情けないですね。
公安警察は勝共連合と癒着しており、自民党の政策そのものが統一協会の主張そのものを反映しており、統一協会=自民党、公安警察は自民党の政治警察、反共防波堤の一環としての国家暴力装置と断定しています。
彼らは、一体となって癒着しいいように日本の戦後政治を牛耳ってきたといっても過言ではありません。
公安警察の根拠たる破壊活動防止法が菅生事件を策動して成立せしめた歴史的事実、スパイ防止法制定のために緒方盗聴事件にいきついた事実などをふまえて、本当の犯罪組織である公安警察を批判していくことが重要だと考えています。
もっと声を公安警察にあげていきましょう。
済んでしまった大した事のなかった昔の三無事件より、つい最近の大掛かりな白色テロ事件で、『拉致被害者を救う会』の西村慎吾が最高顧問だった刀剣友の会の引き起こした建国義勇軍・国賊征伐隊・朝鮮征伐隊の数十回の銃撃事件の方が組織的で回数も多く大掛かりだったのですが、なるべく小さく解決するように政治決着したようです。
この事件では、西村真悟と石原都知事と尖閣列島無許可上陸事件とかも関連しているらしいし、人脈的には歴史教科書をつくる会とか日本会議とか生長の家や霊友会、立正佼成会などの右翼系の新興宗教団体とか統一協会系や拉致被害者を救う会までと日本の中の極右系の顔ぶれが一通り勢ぞろいしています。
しかも勢ぞろいした変わり映えしない同じ顔ぶれの役者達が、今でも同じ様に現役で活躍しています。