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「今しか見ないファッショ社会」の危機 毎日新聞6月26日特集ワイド 「接触8割減」にツッコミなしの衝撃 無視された教訓
この国はどこへ コロナの時代に 歴史学者・與那覇潤さん 議論収縮、失った未来
文体が小気味よく比喩の巧みな歴史学者、與那覇(よなは)潤さん(40)は3年にわたる闘病を終え、精力的に執筆活動を続けている。重度のうつ状態を経た人にとって「コロナの時代」はどんなふうに映るのだろう。
「新型コロナウイルスの騒動を経て感じるのは、私たちは過去と未来の双方を喪失したということです。一番ショックだったのは、コロナ流行の9年前の3月に日本をパニックに陥れた、東日本大震災の教訓が生かされなかったことです」
(有料記事なので以下省略。簡単に概要だけを要約すると、)
教訓とは何か?
未曾有の核事故3・11フクシマ以前「原発は安全・安心。何の心配もない」と言い続けた原子力専門家が東日本大震災後テレビで、自信たっぷりに堂々と胸を張って「震度7の大震災でも原発は安全に停止した」「やはり日本の原発技術は世界最高」という後ろのテレビ画面で東京電力福島第一原発1号基が大爆発する光景を目にしたのである。(★注、当時のマスコミに連日連夜登場していた、この原発安全神話を垂れ流すインチキ原子力専門家の東大特任教授とは、原発メーカーの元広報宣伝部長だったのと腹立たしいオチ)
「権力に隷属せず自分の頭で判断すべきだ、ということが原発事故の最大の教訓だった」はずなのに、
9年前の放射能汚染での住民避難や「鼻血」騒動、その後の除染や被災住民の帰還など、常に議論百出(★注、専門家の意見が一致するどころか、立場によって180度正反対)だったのである。まさに百家争鳴、喧々諤々の大騒動になる。わが日本国で初めての出来事なので当然異論が続出して当たり前。必ず議論が百出する。
ところが、奇妙なことにコロナでは大した議論もなく皆が一斉に自粛(都市封鎖)に流れた。
人類が初めて遭遇する、未知の異常事態「新コロ」騒動なのに・・・まさかの「議論収縮」
(★注、たぶん「死」の不可逆への恐怖感、「存在脅威管理理論」が最大限に暴走してしまい多くの人々は今までの正常な理性や常識、批判精神をほぼ完璧に失って、ひたすら権威や権力に平伏し唯々諾々、「判断を専門家にすべて丸投げ」したので議論が始まることなく最初から一気に終息。
社会的権威や権力を持つ専門家のあまりにも胡散臭い、少しも辻褄が合っていない非科学的な話でも、「すべて正しい」だろうと無条件に信じ込んだ結果、自ら進んで「自由から逃亡」して仕舞ったのですから、驚くやら呆れるやら。まさに「末世」である)
専門家が「人と人との接触機会の8割削減」を言い出した時、あまりに極端だとの疑念が噴き出すどころか「誰もツッコミを入れない衝撃」(唐突に挙国一致になって、世間には関東大震災時の自警団を連想する「自粛警察」まで出現。まさに悪夢の再現である)
「8割」「8割」と煽る政府の態度は怪しく思えたが、国民は黙って従うムードで、専門家やメディアに対する批判意識がまったく高まっていない。最悪42万人死亡との北海道大学・西浦博教授が先走ったが、日ごろ「事実確認の大事さ」を主張していたはずの人々が唯々諾々、実に大人しかった。
データを隠して「家にいろ」「営業するな」と国民に命令した政府(専門家)
緊急事態宣言前に、実はコロナはピークアウトしていたとの統計は後になって示されたが、じゃあ、全員が大迷惑した過激な「自粛」は何だったのか。
2月までは『桜を見る会』の招待名簿の廃棄問題で盛り上がり、野党やメディア、有識者など全員が一斉に情報開示で騒いでいたのに、コロナ自粛には何も言わず従う様子には唖然とする。(★注、専門家だからと「事実を吟味せず、丸ごと信じてはいけない」との教訓を完璧に失念していた日本人。過去の歴史を失っているが、これでは「未来」も失っているのである)
今しか見ない社会 危惧
「歴史学」とは過去を自分たちに都合よく勝手に解釈するこではなく、正しく過去を認識することでしか、自分たちの未来を正しく予測することが不可能なのである。だから不都合な過去を忘れるもの(過去が無く今しか見えないもの)には自動的に未来もない。
日本や欧州の大学で歴史を基礎に置く人文系学部が減ったのは過去の軽視が一因でもある。ネット検索で何でも表面的に分かるため、資料を集めることも記憶することもなくなり、若い世代は短期記憶が落ちたとの説もある。忘れっぽさや歴史の軽視は日本に限らず、世界の傾向だが、過去を知らなければ未来を見通すことは出来ない。
マインドフルネス(うつ病のリハビリに似ている今の日本)
「今、この瞬間だけ」な生き方は出来ない反面、そうしないと生きられない苦しさもある。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは日本の地下鉄車内を見て「日本は社会全体がうつ病だね。皆うつを紛らわすために、必死になってスマホをいじっている」と語る。
うつの時に何が一番つらいかと言うと病気になる前の自分と今を比べるときなんですよ。今の日本人は、昔を振り返れば過去の栄光しか思い出さない。それならもう忘れて、今だけ考えましょうという方が生きやすい。
ただし、うつ病のリハビリ「過去を忘れる」(今の瞬間だけを感じるマインドフルネス)とは今まで長年積み重ねてきた科学的知識や教訓の軽視(客観的な正しい現状認識からの逃亡)なのですから、遭難時の極限的サバイバルにとっては一番避けなければならない危険な行為だった。(★注、SARS2の危険性がそれほどでもないなら良いが、リベラルメディアが言うような都市封鎖が必要なほど危ない強毒ウイルスなら一発アウトの大失敗)命がいくらあっても足りない。
日本人だけでも350万人もの尊い命で贖った75年前の教訓どころか、たった9年前の出来事(未曾有の核事故が終息せず今も続く、3・11フクシマ)まで丸ごと忘れ「無かったことにする」今の日本人ですが、うつ病時のリハビリ「マインドフルネス」(座禅のように、今だけに精神を集中することでうつ病を克服する米国生まれの黙想法)だったのか。
何とも困った話だが、一番「なるほど」と納得する与那覇潤(うつ病歴史学者)
生きている限り人間は必ず死ぬ「熱が出ても、風邪は家で寝ている」「基本的に病気は自力で治す」とオルタナティブな主張を公言して、今までは「みんなの迷惑だ」と家族に思いっきり嫌がられていたのです。ところが、なんど、今回の人類が未知の新型コロナウイルスで180度天地がひっくり返り政府、専門家会議が同じことを言いだしたのですから無茶苦茶である。まさに末世で、誰も気が付かないうちに静かに敗戦か革命か、ファシズムによるクーデター(「新自由主義」の強制リセット)が粛々と起きているのである。
(赤信号みんなで渡れば怖くない的な)コロナファシズム
対立する意見は示さず、唯一の選択肢を既定路線として世の中に強いる政治はファッショ(束ねる)だと考えます。今回の新型コロナに対して各国が取った選択も科学的エビデンスに基づく説得も十分な説明もされずに、一方的に「新型コロナ感染症はSARS型に封じ込めるもの」という責任の所在が明らかでない決定がほぼ全世界に強制されました。しかし世界中の経済が混乱し、新型コロナ感染症で人類が滅びる訳ではない事が明らかになると、当時一方的に無視された「科学的根拠に基づくまっとうな意見」がぽつぽつと明らかになってきました。(「rakitarouの気ままな日常」6月23日から一部抜粋)
★注、
機械は故障するしパソコンは誤作動する。人間は勘違いするのが当然だが、ただし。別々の無関係な人物が全く同じ間違いを同時に犯している場合には安直な手抜きコピペかカンニングが疑われる。(逆の「正しい」場合には必ず答えは同じになる)
今回、人類にとって未知のウイルス、初めての経験なのに各自てんでんばらばらにならず何故か唐突に挙国一致どころか(人類絶滅の宇宙人の地球侵略でもあるまいし)世界一致、「議論収縮」になる不思議。(もちろん科学的に正しければ何の問題もない。しかし、間違っていれば180度逆の結論になる)
今の不可解な騒動SARS-CoV-2の危険度はインフルエンザと五十歩百歩(都市封鎖は不必要な過剰防衛)だったなら、
厳しい現実からの逃避行動としての世界同時多発マインドフルネス (^_^;)
あるいは、もっと怖い世界同時多発ファシズム「自由」からの集団一斉逃亡
イギリスの産業革命後に生まれた資本主義の究極の搾取形態として生まれたのが「ファシズム」なので、ドイツのヒトラー(ナチス)やイタリアのムッソリー(ファシスト党)、カトリックの権威と結びついたスペインのフランコよりも、近代資本主義の先達であるイギリスこそがファシズムの本家中の本家だったのである。
悪魔の碾き臼「新自由主義」
アメリカが本家の、ヒト・モノ・カネが自由に国境を超える(★注、すべてが「自己責任」の)悪魔の碾き臼「新自由主義」は、近代資本主義の進歩した最終形態であるファシズムの変形というよりも、150年前のマルクスやエンゲルスの「共産党宣言」時代の最も過激で暴力的だった「プリミティブな資本主義」の進化系だったのである。
新自由主義は資本主義の形態として最も効率的で連戦連勝するが、弊害が大きすぎて長続き出来ない。ところが、コロナ騒動以前は世界中で跳梁跋扈。向かうところ敵なしで地球規模で全て例外なく「悪魔の碾き臼」が席巻していた。
恐ろしい「自己責任」の恐怖に耐えられるのはビル・ゲイツやザッカーバーグ、イーロン・マスクなど数人の超エリートだけ
一つの例外もなく全てが「自己責任」の新自由主義は「悪魔の碾き臼」であり、そもそも普通の人間の耐えられる肉体的や精神的、経済的な限界をはるかに超えているのですから恐ろしい。(★注、今回唐突に人々が自ら進んで「自由」から逃亡、ファシズム化するのは当然な成り行きである)
現在の新型コロナウイルスによる「死」の恫喝での強制的な世界同時多発ファシズム(世界一致での「自由」からの逃亡)は偶然ではなくて必然だったことになる。
資本主義(民主主義)の進化した「最終形態」としてのファシズム国家
科学力や工業力で世界をリードしたドイツのヒトラー(ナチス)は「民族」を、イタリアのムッソリーニ(ファシスト党)は「国家」を全てに優先する「至上命題」アプリオリとして掲げた。
ところが、最も進歩したイギリス型ファシズムのチャーチル(現在に当てはめれば唯一の超大国アメリカ)は国家や民族以上に(もっと自分勝手に解釈が可能な)あやふやな概念である「自由と民主主義」をアプリオリとして掲げて愚かなイギリス人大衆を騙すことに大成功する。(★注、資本主義が発展途上段階だった日本では、完全なファシズムの形成には無理があったので不完全なまま世界大戦に突入して大失敗する)
限界にきた「資本主義」のリセットとしてのWWⅡ
第二次世界大戦では最大の動員力を誇ったのはドイツの最大2000万人(全人口の25%)だったが、実は二番目は最大1500万人(全人口の20%)を動員したイギリスだった。(巷間「根こそぎ動員だった」と言われている日本はたった8%640万人だった)
その第二次世界大戦の前哨戦として戦われたのがスペイン内戦(1936年から1939年までの3年間)ではドイツ軍やイタリアや軍がフランコ側で参戦、生まれたてのソ連は共和国側(人民戦線側)に援助、欧米から「誰が為に鐘は鳴る」のヘミングウェイやジョージ・オーウエルなど知識人や一般市民からなる国際義勇兵が戦ったが、肝心の欧米政府は共和国側を危険視して支援しなかった。
欧米が見殺しにしたスペイン内戦がファシズム勝利で終わったのが1939年、第二次世界大戦が始まったのも1939年。
まったく、同じ年なのである。
実は善良だが愚かな多くの人々が誤解しているが、この時資本主義の最先進国だったイギリス自身が資本主義の最終形態であるファシズム政権であったのである。
資本主義のメタモルフォーゼ(最後の脱皮で大変身)
何故か誰一人指摘するものが無いが大恐慌の後始末が出来ず、資本主義が危機的に疲弊して、崩壊寸前に追い込まれていた1935年の総選挙を最後にイギリスでは総選挙を行っていない。(WWⅡの勃発を口実にして総選挙を10年間も先送り)
しかも、第二次世界大戦の始まりとはドイツの宣戦布告ではなくて、イギリスフランスの対独宣戦布告で始まったが、実は本当の戦争が始まったのは宣戦布告からだいぶ時間が経ってから。WWⅡの開戦当時は戦闘の無い「静かな戦争」と呼ばれていたが、何ともインチキ臭いのである。
(★注、第二次世界大戦の勝利で人気絶頂のチャーチルは前回選挙から10年後、WWⅡの終わった1945年に総選挙を行って、まさかの大敗北「下野」したことは有名な話)
(おまけ)
「明るい北朝鮮」と言われているシンガポールの建国以来一党独裁の強権政治を続けている(イギリスケンブリッジ大学に留学していた)リー・クアンユー(李光耀)の人民行動党のシンボルマーク
イギリスファシスト連合はWWⅡの開戦で解散したが、シンボルマークとしてイギリスの植民地だったシンガポールで生き続けている.(★注、華僑の街であるシンガポールは、マレーシアから追い出させる形で1965年に独立する。開発独裁を標語にしたシンガポールの場合、限り無く、最初からファシズムに近い国家形態をとっている)