2022/01/19 · NHK
「拝謁記」では、戦争の道義的責任を感じ、深い悔恨の念と、二度と繰り返さないよう反省の言葉を国民の前で語りたいと強く望んだ昭和天皇と、それを語ることで再び退位論をよびさまし、戦後復興に水をさすことを避けたいという当時の吉田茂総理大臣の考えの違いが浮き彫りになっています。
開戦の詔書と機関説 天皇の真意は何だったのか
昨年12月8日が旧日本海軍の真珠湾奇襲から80年だったためか、年の瀬には多くの戦争関連番組が放映された。なかでも注目されたのは、再現映像部分で片岡孝太郎が昭和天皇を、橋爪功が宮内庁長官・田島道治を演じたETV特集「昭和天皇が語る 開戦への道」だった。番組では、田島が1949年から記録を始めた天皇との対話録「拝謁記」と、36年から侍従長を務めた海軍大将・百武三郎の日記をすり合わせて、太平洋戦争への道を立体的に描き出していた。
新渡戸稲造の門下生で、有数の銀行家だった田島を、新憲法に合致した改革のため宮中に送ったのは、民主党総裁の芦田均首相であった。芦田の当初の思惑を超えて、田島と天皇との間には深い信頼関係が芽生え、それ故、時に田島は諫言(かんげん)に近い発言をも辞さなかった。その一例が41年の対英米開戦時の宣戦の詔書をめぐる問答である。なお、12月8日正午と午後7時にラジオで実際に流された詔書の音声(アナウンサーの代読は現在NHKサイトで視聴可能)
戦前に統治権の総覧者とされた天皇は、大日本帝国では唯一の主権者でもあったのですから宣戦布告が最後まで無かった日中15年戦争でも、逆に天皇の名前で戦争を宣言した日清戦争や日露戦争。ボロ負けした第二次世界大戦でも同じで、開戦の責任があったのである。そもそも最も難しい敗北中の戦争を止めた1945年「玉音放送」のヒロヒト天皇を思い出せば、誰でも最大の戦争責任が天皇にあったことは法律論としても歴史的事実としても明らか。幾らNHKの絶大な世論誘導の印象操作の力をもってしても今回のように口先だけでは誤魔化されない。
ところが、加藤陽子(毎日新聞1月22日)を加えるとヒロヒトの実像(浅ましい責任逃れ)が明確になる
田島長官や宮内庁の幹部らは、昭和天皇が戦争は自らの本意ではなかったと語ることが責任逃れのように国民に受け止められるのではないかと危惧していました。
これに対し、昭和天皇は「どうして感じがよくないだらう?、私は『豈(あに)朕(ちん)が志ならんや』といふことを特ニ入れて貰つたのだし、/それをいつてどこがわるいのだらう」とか、「実際私ハそうなのだから 私ハあつた方がよいと思ふ」と不満を述べたことが記されています。
お言葉の文言をめぐるやりとりは翌日の拝謁(昭和27年3月11日)でも続き、昭和天皇が「私ハあの時東條にハツキリ英米両国と袂を分つといふ事ハ実に忍びないといつたのだから」と述べたところ、田島長官が「陛下が『豈朕が志ならんや』と仰せニなりましても、結局 詔書ニ書いてある理由で 宣戦を陛下の御名御璽(ぎょめいぎょじ)の詔書で仰せ出しになりましたこと故 表面的ニハ陛下ニよつて戦(いくさ)が宣せられたのでありますから、志でなければ戦を宣されなければよいではないかといふ理屈ニなります」と述べたと記されています。
(NHK「昭和天皇拝謁記」から一部抜粋)
NHKが「昭和天皇拝謁記」から意識的に抜いた核心部分「朕が志ならんや」の「日清、日露戦争開戦時の詔書の決まり文句」を復活して完成させた加藤陽子
加藤陽子の昭和史の扉(1月22日付け毎日新聞)だけでは意味不明だし、大事な記述をわざと抜いたNHK「昭和天皇拝謁記」はもっと意味不明で何が言いたいのかサッパリ分からない。ところが、片方だけでは駄目だが両方を読み比べると田島宮内庁長官の「昭和天皇拝謁記」の意味がやっと明らかになる柔道高段者の「合わせ技」のような超難易度が高い仕組みになっている。これでは毎日新聞読者やNHKの視聴者など善良な一般市民の誰も本当の意味が分からない。
「世紀の誤審」として記憶に刻まれている2000年オーストラリア・シドニー五輪柔道男子100キロ超級の決勝で、開始1分30秒すぎドイエ(フランス)の内股に対し、前年世界王者の篠原信一は内股透かしで「一本」をとってガッツポーズを見せたが何と判定はドイエの有効の大失態。篠原の高度な返し技を審判が見抜けなかったのが原因とされ、国際柔道連盟は誤審だったと発表。オーストラリア大会以後ビデオ判定や審判委員(ジュリー)によるチェックが導入された
奇妙なNHK「昭和天皇拝謁記」の日本語の表記方法
ただし、NHK「昭和天皇拝謁記」の文章は現代人にも分かり易いように「「漢字+ひらがな」になっているが、これは敗戦後に日本を全面占領したGHQの教育改革後の新しい風俗であり、敗戦以前の日本語はブログ記事冒頭に掲げた東京日日新聞のように「漢字+カタカナ」だった。もちろん天皇ヒロヒトの言葉も「漢字+カタカナ」である。
国家ファシスト党による一党独裁制を確立したイタリアのベニート・ムッソリーニは、政権崩壊後にドイツの傀儡国家であるイタリア社会共和国の首相に就任するが、1945年4月28日赤色パルチザンに捕まり愛人とともに処刑され、遺体はガソリンスタンドの屋根に逆さに吊るされる。
不可解な「昭和天皇拝謁記」の誤字
イタリアのベニ―ト・ムッソリーニはパルチザンに掴まり愛人と共に処刑され遺体は逆さ磔にされる。敗戦直前の首都ベルリンでドイツのアドルフ・ヒトラーは自殺後の自分の遺体がムッソリーニのようにならないように焼却・粉砕するように命じている。敗戦したナチスドイツでは将官どころか佐官級の高級軍人でも多数が戦争責任の追及を逃れるために遠く南米ボリビアなど第三国に亡命した。ところが、戦争責任を考えなかったのか日本では司令官や大将級の将軍連中でも誰一人も亡命するものがなかった。
日本人だけでも350万人(侵略された中国人は2000万人)を無駄に死に追いやった侵略戦争の最高責任者である天皇ヒロヒトは、日本語の助詞の「に」を漢数字の「二」に、「は」を漢数字の「八」と誤って表記しているのですから何とも不気味である。(★注、この不可解な日本語の最も一般的な「助詞」の誤使用の頻発は何かの隠された符牒なのか、それとも知恵遅れだった大正天皇皇太子のヒロヒトも若干の知能に問題があったのかは一切不明)
『天皇(現人神)ヒロヒト下血騒動と、マスコミや有識者の「天皇御聖断」(対米戦争を終わらせた天皇)との不思議な関係』
善人も悪人も最高責任者も、死ねば皆ほとけになる無責任国家、不思議な日本国。
1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇死去。
日本がバブル経済に浮かれる(バブル崩壊が迫る)1988年末から1989年にかけて昭和天皇の下血騒動が連日メディアに取り上げられて、これに対して共産党は世間の動きとは180度正反対に機関紙赤旗紙上で連日昭和天皇の戦争責任のキャンペーンを連載記事で書いて真正面から対向する。
当時の共産党は、今とは大違いで選挙の度に議席が倍増する勢いだった。 明治憲法下では条文を読めば誰でも分かるように、大日本帝国の唯一の主権者は天皇ただ一人だったのです。
戦争終結に果たした天皇ヒロヒトの功績が全てのマスコミで大宣伝されるのですが、それなら(天皇のお蔭で戦争が終わったのが事実であるなら)、自動的に戦争の開始にも責任があるとの共産党の主張には論理的な整合性があり正しい。
(★注、WWⅡが1945年8月15日に「終わった」との文科省検定の歴史教科書の記述は明らかな間違いで正しくは「終わらせた」である。「終わる」や「終わった」なら自然現象で「終わらせた」なら誰かが無理やり努力した結果なので、天と地ほど歴史の意味が違ってくる)
『責任者には責任が無い、日本国の不幸』
そもそも未曾有の国難をもたらしたアメリカとの戦争(第二次世界大戦)は軍部が勝手に始めたものではなくて、まさに天皇の御聖断(勅令)で始まったのですから、(戦争責任を問われて絞首刑になった)優秀な軍事官僚程度の東条英機以上にヒロヒト天皇には開戦した責任がある。
ところが、そんな論理的な『責任論』は日本人には馴染まない。
それどころか例え大悪人であろうと無かろうと関係なく今現在、目の前で死につつあるものに対する責任追及は日本人的道徳観からは反感を買い、政治的にマイナスにしかならない。
善人も悪人も『死ねば皆ほとけ』になる無責任国家日本では以後長い間共産党は低迷期に入って仕舞ったのである。これはヒロヒト天皇の呪いか祟りですね。
本来責任をとるのが責任者の役目なのだが我が日本国に限っては世界基準とは正反対に、『責任者には責任が無い』のである。
それならヒロヒト天皇のような『最高責任者にはもっと責任が無い』となるのであるから無茶苦茶。
世界の常識(論理的思考)の180度正反対の無茶苦茶が、日本だけは平気で罷り通るのであるから恐ろしい。(1945年8月15日の現人神ヒロヒト『玉音放送』を聞いた当時の人々ですが、最悪なら責任をとって自決するか、最低でも『退位する』と思ったらしい)2019年08月06日 | 軍事、外交 最初で最後のウラン型原爆リトルボーイ
去年末のNHK(政府自民党?)傍若無人なやりたい放題のお馬鹿ヤラセ
「五輪反対デモで金銭」確認せず番組で字幕 NHK謝罪
NHKは9日、昨年12月に放送したBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」で、五輪反対デモの参加者という人物について、金をもらい動員されたと不確かな字幕説明を付けていたと発表した。
制作に当たった大阪放送局はデモ参加を確認できていないとし、「(NHKの担当者の)思い込みによるもので、関係者、視聴者の皆さまにおわびします」と謝罪した。
9日夜にはBS1の放送で経緯を説明し改めて謝罪した。
(抜粋)
NHK字幕問題で島田監督に謝罪
NHKがBS番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」で、五輪反対デモに参加した男性が金銭で動員されているとする、事実と異なる字幕を付けた問題で、NHKは24日、記者会見で誤解を与える説明をしたとして、番組で密着取材した五輪公式映画スタッフで映画監督の島田角栄さんに謝罪したことを明らかにした。
19日の記者会見でNHKは、番組放送前に事実確認を指示された担当ディレクターが、字幕の内容の一部を島田さんに確認したと説明したが、島田さんは事実確認はなかったと抗議していた。
これに対し、NHKは事実確認はしておらず、会見での説明が「誤解を与えるもの」だったと訂正した。