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『リーダーは善人が良いのか?』
近頃困ったことに何とも不思議な理解できない遭難事故が報道されている。
皆さんは、テレビで繰り返される屈強な若者二人が『ファイト!イッパ~ツ!!』と言うあのコマーシャルを如何思われますか。?
二人で危険な地帯を通過中に一人が落ちるが、もう一人が片腕一本で墜落者を救助して事なきを得るのですが、・・・・幾らなんでもあれは駄目でしょうが。無茶苦茶です。
現実世界では、あれは二人とも確実に死にますよ。
大人と小さな幼児のように体重や実力に大きな差があれば助けることは可能なのですが、同等の力量であれば一人が危険な状態なら、それ以外の人も危険なのだと判断するべきなのです。
ですから『助けられない』のですよ。人を助ける前に『自分の命を自分で守る』責任があるのですよ。
奥秩父での4重遭難で日本テレビ社員の2人が水死するのですが、あれは間違いなく一人が水に落ちて溺れ、残ったもう一人がテレビコマーシャルを真似して『ファイト!一発!!』を行った為に二人とも溺れて水死したのですね。
二人同時に落ちて溺れる可能性は低すぎるので、どちらかがもう一方を助けようとした為に二重遭難したのです。
トムラウシの大量遭難でも低体温症で一人が倒れた時に、それ以外の十数人のメンバー全員が1時間半も暴風雨の中に無駄に立ち止まっていた為に全員が低体温症で大勢が死ぬ羽目になる。
どちらの多重遭難事故でもリーダーが『無能』で『善良』であった為に起こった無駄に人が死んだ悲劇なのですね。
この場合には、『無能』で『善良』とは、最も良くない最悪の組み合わせなのです。
まだしもリーダーが丸太同然の無能でも、善良ではなく悪党で最初の犠牲者を見殺しにすれば、最悪の結果の大量死はおこらないのです。
メンバーの無能は許せても、リーダーの無能は『許すべきでない悪』そのものであるのです。
無能で善良なリーダーとは『最悪』であるのですから、日本国の最高責任者としての無能な菅直人は『最悪』そのもので、決して『善良である』からと許してはならないのです。
『菅直人と小沢一郎の違い』
マスコミ報道でのこの二人の大きな違いは、金権疑惑の小沢と、それが無い菅の相違なのですが、考えてみれば保守与党の政治家にとっての金権度とは、自動的にその政治家の実力の有る無しの目安(実力度)と同じ種類のものなのですよ。
営利企業である株式会社が、政策決定に影響力があると思う政治家に献金するのであり、その逆の政治家には献金しても無駄金になるので誰もしないので『清潔な政治家』が生まれる仕組みです。
ですから小泉純一郎の金権疑惑が無かったのも当たり前で、唯一の例外はあの『人生色々』の落選して浪人時代に個人的に小泉家と懇意な社長の善意から偽装社員として面倒を見てもらっていたことぐらいなのですね。
小泉純一郎は、菅直人と同じで、政治家としては全くの無能で政策決定では何の影響力も無く大企業としては『献金しても無駄金になる』と知っているのですよ。
ですから、
菅直人が『金権疑惑が無く清潔である』とは、『政治家として無能である』とほとんど同義語なのですから困ったことです。
菅と小沢の実力差ですが、実力があるので『自分で政治をやる小沢』と、
実力が無いので『他人の言うとおりに政治をやる菅』の違いでもあるでしょう。
ですから菅を取り巻く人脈しだいで『よい政治』も出来ればその逆で『悪い政治』にもなる。
元々政治スタンスとしては、菅と小沢に決定的な違いが無いのですが、菅直人の場合は話を聞く経済ブレーンが悪すぎるのですよ。
経済学の基礎知識が理解できない為に大阪大学の小野善康なるペテン師モドキに完全に騙されて意味不明の『一に雇用、二に雇用、三に雇用』と口移しで喋っているのですから日本は助からない。
『構造改革とケインズ政策を越える第三の道?とは』 小野善康(内閣参与)
この小野教授ですが、小泉竹中路線の構造改革と公共投資重視ケインズ政策の二つの路線を超える第三の道として『幾ら大衆増税しても雇用を創出すれば経済は良くなる』『日本経済はデフレと言う名のバブル(ハイパーインフレ)』などと主張しているのですよ。
幾らなんでも、バブル経済とその正反対のデフレ経済を混同するようでは・・・トホホの極みで世も末です。
到底ニセ科学などと呼べる水準ではなくて単なる悪質な破壊的カルト宗教の妄想程度ですね。
これがあの消費税10%増税と法人税減税のオウンゴール発言なのですね。
それにしてもこの阪大ですが、東大京大に次ぐ名門国立大学の筈なのですが中身が大違い。
常温核融合に成功?した教授や、メタボ基準で世界中とは正反対の男子の腹囲が女性より小さい数字を出す医学部教授や、天安沈没の韓国軍調査団発表並みの9・11事件のアメリカ政府報告書に対する疑問を全て陰謀論であるとして退治しようとするニセ科学批判教教祖の菊池誠物理学教授など奇人変人が大勢生息する。
名門国立大学というよりも三重苦で目も耳も喋ることも不自由なヘレンケラーの悲劇のようで可哀想でもあり、色とりどりのニセ科学の宝庫のようでもあり、水木しげるの描く妖怪世界で魑魅魍魎の跋扈するお化け屋敷か珍獣動物園そっくりですね。
こんなブードゥー教モドキの水準で日本の政治をやられたのでは国民が大迷惑する。
菅直人首相の経済政策のブレーンとして知られる大阪大社会経済研究所長の小野善康教授(59歳)
(お笑い小野善康語録其の一)
>『日本はデフレというバブル状態。脱却するには雇用と需要を創出することが重要だ』<
何と言ってもお笑い小野語録の真打はこれで決まりでしょう。
20年間続いている世界的に珍しい日本のデフレ経済ですが、悪性インフレであるバブル状態(ハイパーインフレ)であると認識しているらしいのですから言葉を失います。
これでは到底社会科学(経済学)などと呼べる水準ではなく、レーガン大統領が信じたブードゥー教経済学である『金持ち減税をすればするほど税収が増える』、『富める者が富めば、貧しい者にも金が落ちてくる』(トリクルダウン理理)などのレーガノミクスが、まだマシに見えてくるから不思議である
まさに絶対に動かない森が動き、死者は生き返り、白いものは黒く、死者が生んだ敵の為に死ぬシェークスピアの三大悲劇のマクベスに出てくる不吉な三人の魔女の予言ですね。
後半部分だけなら正しいのですが、ただ『デフレの脱却に雇用と需要の回復が重要』程度なら中学生でも知っています。
日本経済の雇用と需要が回復しないから→デフレから脱却出来ないのですよ。
(お笑い小野善康語録其の二)
>『消費税を2%引き上げると、5兆6000億円の財源が確保でき、約160万人を年収350万円で雇用できる。それができれば、失業率は2・8%に下がる』<
何とも非科学的であり歴史も何も全てが無茶苦茶な机上の空論で、この主張は可也悪質であり、何の目的で行っているかが興味をもたれる。
何としても日本経済を破壊して日本のゼロ金利の余剰資金がアメリカに流れる仕組みを維持したいのでしょう。
いま経済学などの社会科学が自然科学に大きく立ち遅れている原因は、科学で一番大事な客観的な検証作業が困難であることに因るのですが、この消費税2%増税は既に日本国で1997年に実施済みで、どうなるかの検証作業も既に結論が出ているのです。
13年前の97年は日本経済や世界の経済事情は今とは大きく違い、比較的良好であったのですが、消費税のたったの2%の増税の影響は凄まじく、全ての経済指数が劇的に悪化して税収増どころが正反対になったのです。
影響は経済だけには止まらず社会不安からの犯罪や自殺件数が劇的に増えて3万人の自殺件数はこれ以来今まで十三年間も続いているのですから消費税増税の影響は恐ろしいですね。
(お笑い小野善康語録其の三)
>『現在の経済政策は、発展途上型社会を前提にしています。例えば高度成長期の日本です。そのころはテレビや冷蔵庫は普及前でほしい物がたくさんあり、作ればどんどん売れました。だから景気がよく、高度成長しました。それで、ほしい物がそろって成熟社会となった。物への需要が増えれば物価は上がります。でも、ほしい物がなくなりお金がほしくなれば、物価は安定し、株価や地価が上がり出す。これがバブルです。数年前までのアメリカも同じ状況でした。だが、それは危機の寸前だったのです。』<
飲み屋の酔っ払いの戯言ではなく、これが自称マクロ経済学者の言葉かと耳を疑うレベルの話で真底がっかりさせられる話ですが、世界の資本主義が成熟期を過ぎ曲がり角に来て健全さが無くなり頽廃から制度的に腐敗しつつあるのだとの理解なら有る程度は賛成させられるが、『物価の安定がバブル』とは、やっぱりこれではマクベスの不吉な魔女の予言と同じで、正常な神経では耐えられないですね。
サブプライムローンに代表されるねずみ講とサラ金の合体したような悪質な住宅バブルが進行していたアメリカと、其の反対のデフレ不況下の日本の経済を同列に置くこの態度は不真面目の極みである。
(お笑い小野善康語録其の四)
>『グラフを見てください。バブル経済が本格化する86年まではお金の量(ハイパワードマネー)と消費者物価は比例しています。消費者はお金を手に入れると物を買い、企業は投資したので、物価も上がっていきました。それが86~89年はきれいに物価が上がらなくなった。でも、土地や株式だけは値上がりしたのです。次いで、バブル崩壊で一時的に物価が上がりましたが、大不況となった92年からまた真横です。それからは日銀がいくらお金を発行しても、物価が上がりませんでした。「物はもういいや。土地や株はこりごり」だからお金を握りしめる状況になりました。これが私の言う成熟社会です。』<
1992年のバブル崩壊まで戦後日本経済が一貫してインフレ基調で賃金も物価も上昇していたことは誰でもが知っている事実です。
銀行の貸出金利が7.8%で大手銀行連合の作った住宅ローン専門会社の金利は今のカードローン並みの11%もの高利だったのですよ。
それを幾らなんでも『それが86~89年はきれいに物価が上がらなくなった。』などと嘘も休み休みに言え。
バブル期以前に物価が下がっていたとか今と同じデフレ経済であるとかの奇怪な主張は世界広しとはいえこの小野善康唯一人で、余りにも現実離れした妄想である。(92年のバブル崩壊までは一貫して毎年物価も賃金も上昇するインフレ状態)
上のグラフから誰でも分かることは、
バブル崩壊以後の1992年以降全く物価上昇が完全に止まって僅かではあるが徐々に下がっているのです。
それなら、普通の日本以外の資本主義では構造的に3%以上の物価上昇は必ず起きるのですから日本はデフレ経済であることが誰にでも分かります。
この人物は目の前の事実に目を瞑り、バブル崩壊以後(1992年以後)の日本経済が基本的にデフレ基調(マイナス成長)であり、其の反対にバブル経済崩壊までの日本が基本的にインフレだった事実を如何しても認めたくないのですよ。
今の1%以下の日本の国債金利ですがバブル以前の最高金利は9%だったのですよ。定期預金の金利でも6~7%もあったのですから日本経済のインフレ率はそれ以上の大幅な上昇率であったと考えられるのですよ。
[マネタリーベース]
マネタリーベースとはハイパワードマネー(強権貨幣)ともベースマネーとも呼ばれ、『日本銀行が供給する通貨量の総額』のことで、現金通貨(日銀券、補助貨幣)と、民間金融機関の法定準備預金(日銀当座預金)を合計で基本的に日本銀行が管理しています。
(続く)
普通なら政府日銀ともこの状態から必死に抜けだそうとするはずですがなぜか見てるだけという信じられない事をやっていますね。
アメリカ様の借金減らしの協力に必死なのでしょうか?
景気を良くして税収を増やそうという普通の考えの無い財務省といい、わざと日本を沈没させたいのかもしれません。
金融機関の貸し渋りや貸し剥がし、日銀が量的緩和政策をやると同時にその日銀が当座預金残高目標を引き上げるこれでは貸し出し成長によりインフレ方向へ行くという事も絶対にないですね。
金融機関の貸し渋りや貸し剥がし1992年のBIS規制の時に猛烈で大企業中小企業ともに大量に倒産させられましたが最近でもやっているようですね。
http://president.jp.reuters.com/article/2009/07/09/5699E1FE-614D-11DE-B252-74F83E99CD51.php
日銀ですが、今日本国は殆どゼロ金利であるのですからマイナス何%は無理であるので、これ以上は下げれないのですよ。
(今の様に戦時ではなく平時にこれだけ債務が増えるのは基本的には資産課税を怠ったからですね)
日銀は大きな力を持っていることは事実であるのですが、日銀など中央銀行に出来ることには限りがあり、金利操作と紙幣の発行によるマネタリーベースの増減であるのですが、
上の表にもある様にバブル崩壊の92年以降3倍増しているのですが、一向にデフレは止まらず、
0金利でも円高は進んでいるのですよ。
日銀としては最大限努力したが結果が今の最悪の経済状態なのですね。
政治(経済政策)が最悪なのです。
これが犯人ですね
仰られている『金融機関の貸し渋りや貸し剥がし』ですが、これは自民党政権による政策的なもので所謂『不良債権』処理のもっとも特徴的なやり方であったのですよ。
みなさんご存知のように92年のバブル崩壊で日本の金融機関は大量の不良債権を抱えたのですが、
このときに日本政府(自民党、財務省)は『不良企業には市場から退場してもらう』として意識的に企業潰しを行ったのです。
日本の景気が悪いのは不良債権企業が潰れずに市場に残っているからだ、日本の中の悪い企業が無くなれば、後は良い企業だけになり日本経済は健全化(景気が回復)するとの思惑ですね。
この方針で金融機関が抱える不良債権(企業)を片っ端から処理(倒産)したのですが、不思議なことに不良債権を処理すればするほど、最初の思惑とは正反対に不良債権は減るどころかどんどん増えていったのですよ。
これは実は当たり前であるのです。
確かにバブル期には市場に存在してはいけない悪質な不良企業も存在していたのは確かなのですが、それは商法違反とか別の処理の仕方があるのです。
いわゆる銀行が抱える『不良債権』の殆どは、実は優良企業なのだが日本全体の景気が悪いので業績が悪化して『不良債権』扱いされていたのです。
それなら本来の日本政府による『不良債権処理』とは景気回復であったのです。
ところが、これとは正反対の財務省主導の緊縮財政の財政正常化路線で景気を冷え込ましたので『不良債権』は処理(倒産)が進めば進むほど余計に日本の『不良債権』は増えたのです。
経済学に明るいはずの財務省のキャリア官僚たちには、日本経済に今何が起こっているのかの認識が根本的に間違っていたのですよ。
消費不況によるデフレ経済に苦しんでいる日本経済に対して欧米では主流のIMFのインフレ対策を一生懸命行っていたのですから今のような日本経済がボロボロに成るのは必然であったのです。
寒さに震えている人達に冷水を浴びせ続けたのですから悪くならないはずが無いのです。
菅直人の経済ブレーンの小野善康ですが、デフレとインフレの区別も付かないのですから、菅政権では間違いなく日本を沈没させます。
>日本はデフレというバブル状態。
私はこの観察は間違っていないと思いますけど。間違っているのはむしろ、後半の
>脱却するには雇用と需要を創出することが重要
でしょう。
まず、なぜバブル=デフレなのかです。
これを考えるには、経済を実体経済と金融経済に分けて考える必要があります。
デフレは物価の下落という現象ですが、なぜ物価が減少するのかというと、それは実体経済で流通する貨幣の量が減少するからです。しかし、経済全体で流通する貨幣総量は増加している。では、貨幣はどこへいったのか? 金融経済しかありません。
バブルの定義は
>悪性インフレであるバブル状態(ハイパーインフレ)であると認識
ではありません。金融経済への過度の貨幣流入です。金融経済は所詮は虚構ですから、ここに多額の資金が流入したところでその実体的な裏付けは何もありません。「心理」や「期待」あるいは「欲望」が裏付けになっているに過ぎない。だから破裂する。
バブルがインフレになることも現象としてあり得ます、金融経済で増殖した貨幣が実体経済へ幾分か流れ込むと、インフレになります。いわゆるトリクルダウンです。しかし、それはバブルの副作用として表れる現象でしかなく、バブルの本質的現象ではない。現在日本がデフレになったのは、副作用がなくなったというだけのことです。
>それからは日銀がいくらお金を発行しても、物価が上がりませんでした。「物はもういいや。土地や株はこりごり」だからお金を握りしめる状況になりました。これが私の言う成熟社会です
成熟社会とは、トリクルダウンという副作用がまったく効かなくなった社会のこと。ゆえに小野氏はデフレからの脱却にはトリクルダウンでない「需要の創出」が必要だという。そのために実体経済に課税する消費税と発想するのでしょう。
ですが、これは間違いです。消費税という発想が間違いのなのではなくて、「需要の創出」という発想が間違いなのです。成熟社会では需要は伸びない。これが大前提です。
経済学者のみならず、政治家も官僚も、経済は成長するという「神話」に侵されて思考停止に陥っています。この「神話」の源泉は金利という「信仰」です。金利を取るためには経済は成長しなければならない。
資本主義は金利という「信仰」を活動力の源泉にこれまでやってきたが、それが限界に達したというだけのこと。金利信仰を支えたのは科学信仰ですが、それらもふくめて賞味期限が切れつつある。それだけのことです。
一人を見捨てて他のメンバーを助けるのが善人か悪人か?
一人も見捨てずに全員が犠牲になるのが善人か悪人か?
一人を見捨てれば他の全員が助かったとしても必ず悪人呼ばわりされバッシングに合うでしょう。
アメリカ軍が「一人の捕虜を救出するために大勢の救出部隊を犠牲にする」というのは映画の中だけの世界なんでしょうかね?
まぁ今の日本では、どちらに転んでも死者が出ればリーダーは非難轟々となるでしょうね。
何度も注意したのですが、それにしても困ったことに南北さんは大分前から御自分のブログに悪質なネットウヨが張り付いて延々と罵倒合戦をおこなっていたので精神的に可也荒んでいるので愚樵流の『オズの魔法使い』的なロジックが通用するだけの余裕がまったく無いのですよ。やっては駄目だと注意したのに・・・・今では完璧なネットウヨ状態で如何し様もありません。これほど異常なのは愚樵さんの責任ですよ。(何かの騒動の責任は判断力の無いものには責任はなく、能力がある方の責任であるのですよ)
今回も相変わらずの愚樵節なのですが、その主張はやっぱり駄目ですよ。
現在ですが消費者物価指数はバブル崩壊の92年以後まったく平行線で上がっていないのですよ。
これは普通は経済学的にデフレであると定義されます。
この小野教授は『物価が上がるのは欲しいものがあるからで、それは発展途上型社会』で日本は『欲しいものが無い成熟社会』(だから物価が上がらない)あるとしているのですが、これは資本主義社会を理解していないのですね。
資本主義とは自転車に乗っているのと同じで、徒歩なんか到底比べられないほどの速度(生産力)が出る仕組み(社会制度)なのですよ。
インフレとは社会経済(需要と供給)が拡大することですが、デフレは拡大が止まり縮小することであるのですね。
そして資本主義は二本の足で大地にしっかりと立っているのではなくて、仕組みが自転車なので速度がある程度無いと安定しないのですよ。
バブルとは速度を出しすぎてブレーキやハンドルで制御できない危険な超高速走行状態なのです。
今のデフレ状態ですがこれは一番危険で自転車(経済)が殆ど動いていないので、倒れる危険が十分にあるのです。
今地球が温暖化しているのか寒冷化しているのかも気象学者の内で論争があり定まってはいないのですが、原因は観測点を何処に取るかによって結果が大きく違っているのですね。
今インフレかデフレかも同じことが言えて、困ったことに屁理屈と膏薬は何処にでも付くのですよ。
ですか、これは駄目です。
インフレかデフレ化の一番簡単な指標は矢張り消費者物価指数であり、これが世界的に見て異様な有様で、
バブル崩壊後20年間近くもまったく同じであるのですが、
これを無視しては議論が成り立たないのですよ。
特に問題は実体経済と金融経済が乖離して、リーマンショックの引き金となったサブプライムローンのような非常に腐敗した犯罪的な虚構の金融経済の巨大化は資本主義経済の末期現象を現しているのは事実であるのですが、
だからといって今のデフレ経済の原因がこの腐敗した巨大なバーチャルな金融経済であるとの説は無茶苦茶であるのですよ。
何故なら、それなら金融経済を正常化すれば、自動的に今の実体経済のデフレ経済も解消するとの考え方とおなじだからです。
これでは、金融政策で実体経済のデフレが簡単に解決するとの枡添などのインフレターゲット論と50歩100歩の論なのです。
もちろん金融政策は大きく実体経済に影響するのは事実であるのですが、だからといって金融政策の操作で実体経済のデフレが解消するとの話はバーチャルな世界がリアルの世界に優先するというマトリックスや『心頭滅却すれば火もまた涼し』と同じ観念論論的な宗教の世界と同じですよ。
事実はまったく逆で、リアルな現実世界がバーチャルな虚構世界に対して影響するのです。
図にもあるようにマネタリーベースはバブル崩壊後に3倍増しているのですが全く消費者物価指数には影響していないのですよ。
今の実体経済のデフレの原因は、需要と供給の乖離である日本のGDPの1割程度の50兆円ほどの需給バランスの問題であるのですから金主政策の問題ではないのです。
このデフレ問題は日本では70年ほど前に起こっており、資本主義では定期的に起きる現象で小野教授の主張するような、社会の成熟化などとは本来関係ないのですよ。
今は日本だけの特殊な現象であったのですが、70年ほど前の当時はアメリカを筆頭に世界の資本主義国すべてでデフレに突入したのですが、原因は第一次世界大戦の戦争景気によるバブル現象の反動であったのですから、良く考えればバブル崩壊の92年からの日本の今の状態に似ているのですね。
愚樵さん、その結論部分ですが愚樵さんの説が正しいと仮定すると、これはもうその解決法は世界は資本主義を放棄して以前の自給自足の自己完結型の封建制度に戻す以外には解決法は無いという話になります。
ただ、以前その話は晴耕雨読の早雲さんと『新しい封建制度の構築』でえらく盛り上がり大賛成されて困ったことがあるのですよ。
人という者は誰であれ生活水準を上げることは容易であるのですが、その逆の下がることには抵抗感が大きすぎて無理なのです
奥秩父4重遭難の残酷、千葉法相の無残
2010年08月06日 | 社会
に対して今丁度ピッタリのコメントが入っていたのですが、この問題は考えると実に面白いですね。
10人を助ける為に一人の犠牲ならソロバンが合うが逆に10人を犠牲にして一人の命を救ったのではソロバンが合わずこれは間違いでしょう。
>『アメリカ軍が「一人の捕虜を救出するために大勢の救出部隊を犠牲にする」というのは映画の中だけの世界なんでしょうかね?』<
アメリカとかイスラエルのようにホンモノの戦争をしている国は自軍の一人の兵士を助ける為には躊躇なく大勢を殺すのですね。
イスラエルのレバノン侵攻であるとかガザ侵攻では捕虜一人の命の為に自軍の数十人の兵士の命と現地に住んでいる数千人のアラブ人の命を平気で殺すのですから、これはもう無茶苦茶な話で間違いなく極悪で有ると考えられます。正真正銘の悪党ですよ。
>だからといって今のデフレ経済の原因がこの腐敗した巨大なバーチャルな金融経済であるとの説は無茶苦茶であるのですよ。
その理解はおかしいですね。金融経済バブルと実体経済デフレは同時進行で起っているのであって、どちらがどちらの原因というわけではない。原因は、小野教授の論に従えば「成熟社会」だ、ということ。
ニュース報道などではよく、“資金需要がない”ということが言われます。日銀が金融緩和を行なって潤沢に資金を供給しても、借り手がいない。仕方がないので銀行は、国債へ投資をする――こういうのは良く耳にしますよね? 「成熟社会」とは、こういった民間の資金需要がない状態とほぼ同義だと私は解釈しています。
こうした状態から脱却するのに必要なのは、旧来のケインジアンなら財政出動というでしょう。対して政府介入を忌避するリバタリアンはイノベーションだという。どちらが正しいのか私にはわかりませんが、「成熟社会」が本当なら、財政出動もイノベーションもさほど効果がない。
「成熟社会」とは要するに、実業では儲からなくなった経済社会のこと。少しばかり目新しい商品を開発しても、競争が激しくてすぐに儲からなくなる。投資してもリターンが低いです。だから、投資をしないで虚業に走る。マネーゲームですね。
>もちろん金融政策は大きく実体経済に影響するのは事実であるのですが、だからといって金融政策の操作で実体経済のデフレが解消するとの話は
私はそんな話はまったくしていません。むしろ逆で、「成熟社会」では金融政策(を含めてトリクルダウンと表現した)はほとんど無効になる、と言ったのです。現に「流動性の罠」といわれるような現象が日本では起きているとされる。これは日本が「成熟社会」へ入りつつあるサインだとみることができるでしょう。
>結論部分ですが愚樵さんの説が正しいと仮定すると、これはもうその解決法は世界は資本主義を放棄して以前の自給自足の自己完結型の封建制度に戻す以外には解決法は無いという話になります。
それは話が短絡的に過ぎます。近代経済学のドグマである限界効用説を放棄して、労働価値説に回帰すればよいだけのこと。
(1) バブル崩壊による資産デフレで、消費できる実際の手持ちの資金が減って「買い惜しみ・買い渋り」が横行している
(2) 中堅世代の労働人口が減少し始めて、全体の消費拡大が止まっている
(3) デフレ経済の影響による経済収縮の悪循環が起きている
だから、流通するお金がいくら増えても消費は拡大しません。 あと、多くの国民は買いたいものは沢山あるが、(過去の蓄積により)とりあえずは最低限の消費でもしのいで行ける状態なのでしょう。 これは本当の「成熟社会」ではありません。 従って、公共投資も技術革新も効果があるはずです。 デフレ脱却の解決策の一つとして、必要不可欠な公共投資の前倒し(例えば、社会インフラの老朽化対策)などは積極的に行うべきですし、産業の構造改革によって生産性を上げる(→収入が増える、雇用も増える)ことも不可欠でしょう。
小野善康氏の件ですが、彼はお抱え似非学者であり、非改革派政治家+官僚(この場合、財務省)+大企業+メディア+似非学者の癒着構造の典型例です。 彼らの目的は、消費税増税と法人税減税によって既得利権を守る、ことであると考えられます。
(1)(2)(3)の指摘はその通りだと思います。が、その続きがわからない。
>だから、流通するお金がいくら増えても消費は拡大しません。
これまでの発展途上型社会では、流通する貨幣が増えれば(1)(2)(3)は解消されて消費も拡大する――のではないのですか? また、だからこそ金融政策が有効だったわけでしょう?
実体経済に潜在的な需要があるならば、資金の潤沢な供給(金利の低下)は資金需要を喚起するはず。需要があって資金があれば、企業活動により利潤が生まれて実体経済が拡大して雇用が生まれ、労働者の収入も増え、消費も伸びる。
が、現状は肝心の資金需要がないのです。民間の企業はお金を借りたがらない。消費者に“買いたいものがたくさんある”のは事実だとしても(日本の若者たちは、消費意欲そのものが減退しているといわれますが)、それが企業にとっては需要にならない。市場に商品を供給しても利潤が期待できないからです。
その結果、既存の企業は利潤確保のためにコスト削減に走り、生産コストの低い中国・東南アジア等に産業を移転させていく。そして日本では産業が空洞化し、ますますデフレが進行するという悪循環に陥る。
資本主義という経済活動は、資金を事業に投資して利潤を得ることが目的であり、かつては資金を投入すれば利潤が得られるという暗黙の前提があった。今はその前提が崩れてしまいつつある。それが「成熟社会」。これまでの利潤追求が社会の需要を満たすため動機付けにならなくなってきているわけです。
にもかかわらず、貨幣を増殖させようとする意欲は衰えていない。少し前に「強欲」資本主義が話題に上りましたが、あの「強欲」とは、貨幣増殖欲のことです。資本主義は欲望を肯定しますが、それは欲望が社会を豊かにするエンジンだと認識していたからです。ところが現在は、欲望がそのエンジンとして機能することが出来なくなる一方で、貨幣欲のみが昂進している。それが「強欲」という形で現れているです。
なお、
>小野善康氏の件ですが、彼はお抱え似非学者であり
という指摘には異存はありません。とはいえ、彼だって学者の端くれ。自分なりの理論は持っているでしょう。真性の学者か御用学者の境は、その自分なりの理論を誰のためにどのように使うかにあります。己の利潤のために己の理論を使う学者は真性とはいえませんね。真性の学者は、己の理論を社会のために使うものです。