逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

(続、続、)タリバンに銃撃されたパキスタン少女がノーベル平和賞を授賞

2014年11月03日 | 社会

『キリル総主教 死刑判決を受けた女性キリスト教徒の特赦を パキスタン大統領に要請』


ロシア正教の最高指導者、モスクワ及び全ルーシ総主教キリルは、パキスタンのマムヌーン・フセイン大統領に対し、絞首刑判決を受けたキリスト教徒のアスィヤ・ビビさんの特赦を求めた。

9月16日ラホールの上級裁判所は、すでに下級裁判所で下されていた彼女に対する死刑判決を支持した。ビビさんは、5人の子供の母親で、預言者ムハンマドを冒涜した罪で、すでに長期に渡り収監されている。
キリル総主教は、そのメッセージの中で「ビビさんの処刑は、彼女の家族や親族、近親者にとって補う事の出来ない損失となるばかりでなく、イスラム教徒とキリスト教徒間の対話にとっても巨大な痛手となり、パキスタン及び全世界で両教徒の緊張が高まるきっかけともなり得る」と述べている。
ビビさんの死刑取り下げについては、先に世界教会協議会(WCC)事務局長も、フセイン大統領に求めている。ロシアの声 ・ The Voice of Russia(Japanese)11月1日
(パキスタンでは
1980年代以降にイスラム教の冒涜罪の刑罰が引き上げられて死刑が含まれるようになっていたが、今まで死刑判決は一件も無かった)
4年前の2010年11月に東部のパンジャブ州のキリスト教徒の女性が預言者のムハンマドを侮辱したとして死刑が初めて宣告され、これを批判した地元のパンジャム州のタシール知事やキリスト教徒の現職閣僚であるバッテイ少数民族大臣が相次いで暗殺されている。


『オバハンからの気まぐれブログ』

パキスタン北西部辺境地域で30年以上も女性教育を実践している日本人女性のYahoo!ブログ(パキスタン在住30数年のオバハンが、気まぐれにお届けいいたします!)

パキスタンの人々は狭量ではない』オバハン便り

先の9月、(旧)北方地域ギルギットやスカルドゥへのフライトは殆どなく、ようやく10月に入って順調に飛び出した。メッカへの巡礼に臨時フライトを増やしたので、機体が足りなくなっていたようだ。 ということは来秋からも3年間くらいは、秋のギルギットへのフライトは間引きされる可能性が高い。
犠牲祭が終わり、シーア派の宗教行事までの1ヶ月間、ギルギットも結婚式シーズン。役所でも1ヶ月間の長期休暇は常識・・・まったく仕事にはならない秋だった。 NWA(日・パ アソシエーション)から奨学金を貰って優秀な外科医になったDr.カリームも、この秋、結婚式を挙げた。

ギルギットにいる時、マララのノーベル賞受賞が決まったとTVなどでは随分ニュースになっていたが、パキスタン全体では物凄く冷めて受賞を捉えた人が多かったようだ。騒いでいたのは英米日が中心だったのではないのかしらん?
日本では「パキスタンの保守派がマララを嫌悪している」 あるいは「中間層がマララを嫌悪している」と報道されていたが、パキスタンの人々は狭量のゆえにマララを嫌悪しているのではない。 オバハンが感じたのは自伝「私はマララ」をきちんと読んだ知識層こそがマララを・・・というか、その背後にあるものと、オバハンから見ても反イスラーム的な表現が随所に見られることにパキスタンの人々は嫌悪感を示したのだろうと感じている。

パキスタン人の多くがなぜマララ(その背後にあるもの)に嫌悪をしたのか?
マララが武装勢力に襲われ撃たれた時に乗っていたというスクールバス(トヨタのハイラックス)を、オバハンは実測してみた。
荷台の床から荷台を覆っている幌の最高部までが150㎝、立って乗る人のために幌の天井部分に持ち手が4つ付いているから天井までの高さは実質140㎝。荷台の車幅は140㎝、荷台の奥行きは240㎝で、荷台の面積は畳2畳分よりやや広いくらい。
パキスタンの小中学生が通学に使うスクールバスと称する乗り物は、殆どがスズキの軽トラか、ハイラックスに幌をかけ、ベンチ式の椅子を設置したものだ。 

自伝「私はマララ」によれば、ここに2人の襲撃者が乗り込んで来て、「どいつがマララだ?」と聞き、ピストルを撃ったとなっている。 襲撃者が2人、スクールバスに乗り込んだら、最初に乗り込んだ襲撃者の立ち位置は荷台の真ん中に近く、車の天井までの距離を考えると襲撃者は当然やや屈みこんでいたろうと想う。
マララは真ん中あたりに坐っていたというので、マララの目線は荷台の上で約120㎝くらいだろう。対して襲撃者はやや屈み込むことになっていたろうから目線は約130㎝くらいか。

マララと襲撃者との距離は、顔を接しておりピストルを持った手は伸ばさなくともマララの目の前にあったと想われる。 マララに対する脅迫、あるいは嫌がらせの意味で銃撃をするのであれば車外からでも出来る。大の大人がピストルを握った手を伸ばせば、荷台に乗りこまなくとも、荷台の真ん中あたりに坐っているマララに銃口は50~60㎝の距離にまで近づけられるのだから。
わざわざ車内に乗り込み、マララと顔が触れるほどの距離にまで近づいて3発も撃ったにもかかわらず、「あの程度の傷」で済んだのには、確実に殺そうとする意思はなく、むしろ確実に軽傷にするための至近距離だと知り合いは言う。また他の報道関係者の一人は「マララを撃ったのはゴム弾」であったと言い切っている。
第一、コルト45を至近距離で撃ち、弾が首を通過、鎖骨で停まっていたとは、どんな粗悪なコルト45であり、弾を使用したのだろうか。

パキスタンの人々は、まずスクールバスに乗り込んだという襲撃者2人の立ち位置と、マララの坐っていた位置を想像し、また粗悪すぎるピストルと粗悪な弾に大きな疑問を持ったのだろう。「オカシイ」、これには何か裏がある筈だと。

パキスタンの報道に対する自由度は、ここ10年、北朝鮮と並び世界のワースト10に入っている。ワースト3だった年もある。つい先日も民間テレビ局が、番組に司法を中傷する内容があったとして、高裁が放送禁止を命じている。他にも民間TV局の放送禁止は年初めだったかにあった。パキスタンでは政府や軍部、過激組織を中傷・刺激することは身の破滅に繋がることがあり得るのだ。
今年もパキスタンでは著名な報道関係者や記者が何人か撃たれ亡くなっている。報道関係者たちは、箝口令を敷かねばならなかった病院等々から「裏がある」と各々、理解し、そこに何らかの圧力を感じて正確に報道することを控えたのであろうと、オバハンは勝手な想像をしてみた。

近年のノーベル賞は政治的な意味合いのものが多いので、「政治的」なものであると理解し、マララの果した役割(世界の人々に、未就学児童、特に女児の就学について考えさせたという意味合いで)は、評価される。2014/10/28(火) 

マララの不可思議』オバハン便り

先月末、マララが撃たれた時のスクールバスを実測し、その不可解を書いたが、「車輌の長さなどがバグっている」と知り合いからメールを頂いた。オバハンのブログ上ではバグが見られないンだけどね……

ま、早い話がマララが乗っていたスクールバス(トヨタのハイラックス)の荷台面積は、畳2畳分よりやや大きいと言いたかっただけだ。実測の結果は10月28日のブログを見て欲しい。
パキスタンの小中学生が通学に使うスクールバスと称する乗り物は、殆どがスズキの軽トラか、ハイラックスに幌をかけ、ベンチ式の椅子を設置したものだ。 
自伝では、この畳2畳余のスペースに2人の襲撃者が乗り込んで来て、「どいつがマララだ?」と聞き、ピストルを撃ったとなっている。 マララは真ん中あたりに坐っていたから目線は荷台の上で約120㎝くらいだろう。対して襲撃者はやや屈み込むことになっていたろうから目線は約130㎝くらいか。
わざわざ車内に乗り込み、マララと顔が触れるほどの距離にまで近づいて3発も撃ったにもかかわらず、「あの程度の傷」で済んだのには、確実に殺そうとする意思はなく、むしろ確実に軽傷にするための至近距離だと知り合いの報道関係者は言う。また他の報道関係者の一人は「マララを撃ったのはゴム弾」であったと言い切っている。
第一、コルト45を至近距離で撃ち、弾が首を通過、鎖骨で停まっていたとは、どんな粗悪なコルト45であり、弾を使用したのだろうか。

全パキスタン私学連盟(約15万2000校)のミルザ会長は、自伝の購入を私学連盟は禁止している。「マララに反対しているわけではない。マララは私たちの娘でもある」と述べた上で、マララ自身も自伝の内容に混乱していると指摘していることに注目すべきだ。
マララ自身も自伝の内容が混乱していると表現は優しいが、別の言葉で言うならば、内容は大いに怪しいと言っているのに等しい。出版までには何度も推敲されたであろう自伝、パキスタン以外の人々ならば欺けると考えたものであろうか。
オバハンもミルザ会長と同じように自伝をたんねんに読んだ。現地を良く知っている者たちとしては、どう贔屓目に読んでも怪しいし、英米目線で書かれているとしか思えない。

マララの国連でのスピーチは素晴らしかった。だがマララに振付やスピーチ原稿を書いた「国際機関の人たち」はやり過ぎたと思う。 何事も過ぎたるは及ばざるがごとしという。マララが国連でスピーチをしたとき、故ブット大統領のスカーフを巻いていたという。これなども過ぎたる演出の好例ではなかろうか。おそらくパキスタン以外の人々にとっては印象的なことであろう。 しかし、ここまでの演出、振りつけに、聞き取りをしたパキスタンの人々は「あざとい」と言う。1年前、マララは「私にはノーベル賞を貰う価値があると思う」などと自由闊達に述べていた。本来のパキスタン女性はつつましやかだ、ここにも振付師によって洗脳されたらしいマララが見える。2014/11/2(日) 

『不当表示のノーベル平和賞』

ノーベル平和賞ですが、名称が不適格と言うか『間違い』であり、本来なら、これは政治学賞か情報宣伝とか世論誘導などのプロパガンダ賞ですね。(2007年に地球温暖化で『気候変動に関する政府間パネル』(IPCC)とゴア元アメリカ副大統領がノーベル平和賞を受賞しいているが丸っきりの科学詐欺)
しかも、今度のノーベル平和賞とタリバンなどイスラム教原理主義とは無関係でしょう。もっと言えば、教育さえ無関係かも知れません。
多分3度も全面戦争を繰り返したインドとパキスタンとの和解こそが今年のノーベル平和賞の本命(目的)であり、受賞者がインドは児童労働の人権活動家だった。ところパキスタンではマララさん以外に世界に知られている適当な人材が無かったので仕方なく選ばれたのでしょう。

報道されているものと、報道されないもの』

現地の女性の教育に30年以上努力している日本人女性(オバハン)とか、全パキスタン私学連盟会長とか、地元の報道人の多くが、『私はマララ』の内容が、事実ではないインチキだと思っている。
『現地を良く知っている者たちとしては、どう贔屓目に読んでも怪しいし、英米目線で書かれているとしか思えない。』内容なのです。
知識とか経験がある欧米先進国の善良な普通の人々を騙す目的で書かれている。
マララさんでは無くてパキスタンの事情に疎い欧米人のゴーストライターが書いたプロパガンダの見本の様な胡散臭い話なのです。
プロパガンダの場合には(普通の報道とは違い)マスコミで『報道されているもの』と、『報道されないもの』とが明らかに成っている場合が多い。
今回なら、通常ならある政治家とか報道人が次々と暗殺されるパキスタンの客観的な情勢の報道が無い。マララ銃撃ですが、少しも珍しくない。
パキスタンに限らす多くの国では少数派は常に殺害(ヘイトクライム)の危険性がある。
マララが通学していた学校が普通の公立学校では無く高額の授業料がいる私学であり、しかの父親が経営していた事実をマスコミが決して報じない。
パキスタンのスクールバスなるものが、欧米世界とは大違いでスズキの軽トラックである事実を誰も報じない。(マララの学校は贅沢だったが、それでもトヨタ製の最小のトラック) 

『余りにも出来すぎで、過剰すぎるヤラセ』

パキスタンですが、マララ銃撃の様な卑劣なテロ事件は少しも珍しく無いのである。(マスコミでよく言われる『犬が人を噛んでもニュースにならないが人が犬を噛んだら云々』で、普通ならニュースにならない)
ところが、至近距離から銃撃されて頭に二発、首筋に1発。合計3発の命中弾を受けても死ななかったのはトンデモナク珍しい。(だから今回だけ世界的な大ニュースになった??)
生残る確率はゼロである。
タリバンの銃撃が本物であるなら、誰一人助からない。(助かったのが不思議なのです。)
それなら今回マララさんが助かった原因とは最初から犯人にはマララ殺害の意思が無い。命に影響が無い程度の軽微な怪我を負わせてマララを無事イギリスに搬送することが目的だったとしか思えない。欧米による政治的なプロパガンダそのもの。
欧米の政府やマスコミが主導した、あらかじめ『筋書きがある』胡散臭い政治的なショー(ヤラセ報道のサル芝居)なのである。


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2 コメント

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背後をいうなら (ましま)
2014-11-03 08:06:26
ノーベル賞は、女性教育を説き続けたことにあるので、襲撃されたことではありません。平和賞に政治的目標があるのは当然なことです。

ムスリム全体が「女性に教育は有害」などと考えているわけではないでしょう。どちらかというとタリバンの中でも過激派の考えで、背後をいうならそっちの方を問題にすべきでしょう。

パキスタンで人気のないのは、英国で暮らせるという彼女の恵まれた境遇にあるのでは?。
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報道されているものと、報道されないもの (宗純)
2014-11-03 10:24:34
ましまさん、コメント有難うございます。

ノーベル平和賞ですが、名称が不適格と言うか間違いで、本来なら、これは政治学賞ですね。
しかも、今度のノーベル平和賞とタリバンは無関係でしょう。
もっと言えば、教育さえ無関係かも知れません。
多分インドとパキスタンとの和解こそがノーベル平和賞の本命であり、パキスタンではマララさん以外に適当な人材が無かったので仕方なく選ばれた。
現地の女性の教育に30年以上努力している日本人女性とか、全パキスタン私学連盟会長とか、地元の報道人の多くが、『私はマララ』の内容が、事実ではないインチキだと思っている。
『現地を良く知っている者たちとしては、どう贔屓目に読んでも怪しいし、英米目線で書かれているとしか思えない。』
内容なのです。
普通の知識とか経験がある欧米先進国の善良な人々を騙す目的で書かれているのです。プロパガンダの見本の様な話なのです。
日本では高等教育と初等教育が日本語で行われているのですが、実はこのような国は世界では少ない。
日本国でも大学院の博士論文は英語が多いが、日本語でも受け付けている。
ところが、パキスタンの様な国は義務教育以外は全てが英語教育なのですが、多分マララさんの父親がオーナーの私学は初等教育から英語なのです。このような例はフィリッピンなど多くの国々では当然なのです。
エリートと普通の国民とは、そもそも喋っている言語が違っているのですから、無茶苦茶。
それにしても誰でも自分を標準(物差し)として物事を判断するのですが、マスコミは今回誰もパキスタンのスクールバスがスズキの軽トラックだとは報じない。
マララさんの私学は少し立派だが、それでもトヨタの最小のトラックですよ。
日本とか欧米の市民が『スクールバス』とのマスコミ報道でイメージするものと、本物のパキスタンのスクールバスとの間には超えることが出来無い、断絶がある。
パキスタンの事実に明るい人は、タリバンによるマララ銃撃が真っ赤な嘘だと思っている事実は重いでしょう。
政治的なショー(芝居)なのです。欧米によるプロパガンダそのものですね。
パキスタンですが、マララ銃撃の様なテロ事件は少しも珍しく無いのです。
ところが、至近距離から銃撃されて頭に二発、首筋に1発。合計3発の命中弾を受けて生残る確率はゼロ。
本物であるなら、誰一人助からないのです。
マララさんが助かった原因とは最初から殺害の意思が無い。怪我を負わせてイギリスに搬送することが目的だったとしか、思えない。
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