逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

土用の丑の日と絶滅危惧種ニホンウナギ

2018年07月30日 | 社会

昨年死亡したニホンウナギの二郎

『日本最後の天然ウナギ・太郎が死亡 』 2024年7月29日 虚構新聞News

29日未明、国の特別天然記念物で最後の日本産ニホンウナギ・太郎が死んでいるのを、静岡県うなぎ保護センターの職員が発見した。年齢は推定19歳、死因は老衰によるものとみられる。昨年死んだ二郎に続く太郎の死で日本産ニホンウナギは絶滅した。
ニホンウナギは2014年、国際自然保護連合(IUCN)から絶滅危惧種としてレッドリストに指定、その後、トキなどと同じ国の特別天然記念物に指定され、捕獲規制がかけられたが時すでに遅し。
・・・生き残った2匹は繁殖の機会もなく天寿を全うするのみの生活を送ることになった。
昨年には二郎がエサのミジンコをのどに詰まらせて死亡。最後の1匹になった太郎も29日午前1時26分ごろプールに浮かんでいるところを職員が見つけ、死亡を確認した。
太郎の死がいは解剖されたのち、剥製として展示される予定。余った肉はすり身、臓器は肝吸い、骨はうなぎパイの原料としてそれぞれ関係業者に提供される。
(抜粋)
虚構新聞News

杉村喜光(知泉)三省堂辞典・発売中!‏ @tisen_sugi · 7月11日

今年の夏「土用の丑の日」は7月20日と8月1日の2回。ウナギ絶滅までの加速度2倍!
というワケで「土用の丑の日にウナギを喰おう!と平賀源内が言った」というのは現時点で根拠ゼロ。江戸時代にそんな事を書いた文献は存在しない。
飽食の現代にウナギを食べる意味は無い。

『ワシントン条約でニホンウナギの貿易規制の議論がスタート。規制反対の日本は苦しい状況。』7/19(木)Yahoo! JAPANニュース 勝川俊雄東京海洋大学准教授、 海の幸を未来に残す会理事

土用の丑の日を前に、ウナギの販売促進が活発に行われています。シラスウナギの不漁により、全体的には品薄ですが、高値を付けすぎて在庫を抱えている業者もあるようです。
スイスで開催されたワシントン条約(CIETS)の委員会でウナギの保護を議論され、規制に反対する日本は、崖っぷちに追い込まれています。
ワシントン条約(CIETS)は、絶滅の恐れのある野生動物保護で、貿易規制を行う国際条約で、ヨーロッパウナギは11年前の2007年にワシントン条約の附属書に掲載され2009年から貿易取引が制限され、2018年にCITES事務局はレポートを発表、二ホンウナギについても議論が行われている。
レポートP44 東アジアにおける違法取引について
日本国内のシラスウナギ漁獲量と池入れ量の大幅な乖離から、漁獲量全体の43‐63%が不正・無報告なシラスウナギ漁獲による。2014年から2017年に日本の養殖池に入れられたシラスウナギの57-69%が不正・無報告漁獲もしくは密輸によるもの。 (水産庁調べ)
出所不明が多く存在しシラスウナギの漁獲ライセンス制度が機能していないが、水産庁や業界団体など日本側は、流通の透明化が完全にはかれなくても、養殖場に入れる時点で稚魚の量を把握すれば資源の管理は可能と主張するが説得力が低い。
世界が連携してIUU漁業(違法・無報告・無規制漁業)の撲滅に動いている中、「違法・無報告・密輸が蔓延しているけど問題がない」と開き直るのは、法治国家として情けない。
(抜粋)

杉村 喜光 3月31日
土用の丑の日にウナギを食べるのは正しいのか問題
夏場の土用の丑の日にウナギを食べるというのはよく知られた話です。
ところが年々、ウナギの捕獲量が減っていて「絶滅危惧種」と言われ、もしかしたらウナギが食べられなくなるんじゃないかという事が囁かれています。
しかしそれに反して、年々スーパーやコンビニでは「土用の丑の日セール」で大量のウナギを消費し、さらには売れ残ったウナギを大量廃棄している、という事が問題になります。
そんな状況の中、今年は「春の土用の丑の日」と称して、その時期にもウナギを食べよう!ということがスーパーやコンビニで展開されています。
いやいや、待てよと。
そもそもウナギを夏の土用の丑の日に食べ始めたのは「夏場は体がダルくなるので、精がつくウナギを食べましょう」という話だったんじゃないかと。
ということで、色々調べた所、意外な展開になってしまいました。

諸悪の根源は 平賀源内なのか?
土用の丑の日にウナギを食べ始めたキッカケは「平賀源内」という説が有名で、ウナギ屋が「夏場はウナギが売れねえなあ」と嘆いていたらアイディアマンの平賀源内が店先に『明日、土用の丑の日』と書いたものを掲げたら客が増えた逸話から始まったと言われている。
Wikipediaにも書かれているが、実は出典不明。
もっとも古い平賀源内の記述は100年前の大正2年(1913)の『神田の伝説』が最古。平賀源内が亡くなってから133年後の文献で伝聞の域を出ない。
1971年放送された平賀源内が主人公のNHKドラマ『天下御免』は出て来ないが、1989年の『翔んでる!平賀源内』にはウナギの話が出てくる。
明治29年(1896)に平賀源内の妹の子が収集した資料を基に水谷不倒が書いた『平賀源内』には事細かに交友関係やエピソードが書き記されているが、ウナギも丑の日も出て来ない。
キリンが書いた『平賀源内と土用の丑の日』という文章の中には、平賀源内が「風来山人」という別名で書いた『里のをだまき評』の中に「土用の丑の日に鰻を食べると滋養になる」との文章があると書いているが、ウナギに関しては「深川の地は陽気がよく、牡蠣・蛤・鰻が捕れる」としか出て来ない。
しかもキリンが書いた文章が謎なのは「平賀源内が別名で書いた文章の中に土用の丑の日に鰻をという話が出てくる」と書いておきながら「源内と「土用の丑の日の鰻」の関係については、明記されている史料は存在せず諸説あるようだ。」と平賀源内が土用の丑の日に関して書いたという話は、存在しない、ガセということになる。
平賀源内の「土用の丑の日にはウナギを食べよう」は、死後133年後、第三者によって書かれた『神田の伝説』が最古で、今から百年ほど前の話が近年いきなり浮上して、大宣伝されている。

江戸時代に書かれた「土用の丑の日」に関する文献
「土用鰻」について詳しく書かれている文章は、ほとんどがWikipediaの引用で、江戸時代に土用鰻を食べていたという根拠として、青山白峰が文政時代当時の話題を書いた『明和誌』に「近き頃、寒中丑の日にべにをはき、土用に入、丑の日にうなぎを食す、寒暑とも家毎になす。安永天明の頃よりはじまる。」とか書かれているのが根拠だった。実はキリンの文章も『明和誌』の記述が根拠になっている。
この『明和誌』は国会図書館にあるが、大正時代に江戸研究家の三田村鳶魚(えんぎょ)が江戸時代に発行されたけどほとんど記録されずに消えてしまいそうな文献をまとめた『鼠璞十種(そはくじっしゅ)』に収蔵されたものだった。
「土用ウナギ」の文献として『明和誌』しか名前が出て来ない。大正時代の三田村鳶魚という酔狂な人がいなかったら歴史の中に埋もれていた『明和誌』に「丑の日にうなぎを食す」と一言書かれているのを取り上げて、「江戸時代に土用の丑の日に盛んにウナギが食べられていた」と宣伝しているのが現状。
ちなみに「鼠璞(そはく)」とは、ネズミのような価値のない物の中に璞(磨いていない玉)のように価値を見いだすという意味。

いったい誰がこんな事を言い出したんだろう?
別の説で文政年間に春木屋という鰻屋で「夏に大量注文を受け、子の日、丑の日、寅の日の3日に別けて作り保存した所、丑の日に作ったものだけが悪くならなかった」ということから始まったという話は『江戸買物独案内』に書かれているとされているが、この本も国会図書館で読む事が出来き、そこには「神田和泉橋通 江戸前 丑ノ日 元祖かばやき所 春木屋善兵衛」と書かれている。
確かに”丑ノ日”という文字はあるが、この本は当時の江戸ガイドブックで、店から掲載料金を徴収して店名場所、職種を掲載するだけの本で、前記のようなエピソードを掲載するような本ではない。土用ウナギのエピソードは出て来ない。つまりWikipediaにある”『江戸買物独案内』にある”はウソ
他に文人・蜀山人(大田南畝)のエピソードも記載されており、『天保佳話』に書かれているとするが、その本にもやはり書かれていない。この説も比較的最近出て来たもの。
万葉集
平賀源内よりもっともっと古く、奈良時代に編纂された万葉集にある大伴家持(おおとものやかもち)の和歌に夏場のウナギの起源があるとも言われている。
「岩麻呂に吾申す、夏痩せに良しという物そむなぎ漁り食せ」という歌だが、これは年老いて体力が落ちた吉田石麻呂という人物に対して、心配したというよりからかって書いた句。なんせこの後、もう一首詠んだ歌が「痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を漁ると川に流るな」
夏やせしたって死ぬこたぁない、それよりウナギを漁りにいって川に流されるなよ。と書いている。
奈良時代に「夏にウナギを喰え」と書いた歌があるということから「平賀源内はヒントにして…」と書いている本も多い。
そもそも平賀源内が土用ウナギを広めた証拠もないのに。

土用の丑の日が盛り上がったのはこの数年では?
江戸時代にウナギの事を書いた文献は数多くある。
しかし土用ウナギに関しては本当に資料がほとんど見つからない。
土用ウナギが始まったとされるのが『明和誌』によると江戸時代中期以降となっているが、文化文政時代の曲亭馬琴(八犬伝の人)はウナギが大好きで日記に何度も登場しているが土用ウナギに関しては一切触れていない。
さらにこの時代の詳細な30年に渡る記録(全35巻)で、近代風俗誌の基本文献と呼ばれる『守貞謾稿』の中にも一切登場してこない。
つまり「土用の丑の日にウナギを食べる」は、知られていない『明和誌』ぐらいにしか登場しない「たぶんあったのかもしれないけど」ごくごくマイナーな大正時代に『神田の伝説』という。
記憶の中を辿っても「夏に土用ウナギって騒いでいたっけ?」ぐらいの印象。
大騒ぎを始めたのはバブル崩壊以降。金余りのバブル期、ウナギは高級な食材だったけど騒いでいなかった。「土用の丑の日にはウナギを」は1970年代は言われていたと思うけど、今ほど大騒ぎしていなかったし、そもそもウナギなんて専門店に行って食べる高級品。
スーパーやコンビニなんかで安く売られているような下世話な食べ物じゃなかった。
絶滅危惧種と言われるようになってからの方が、乱獲が進み、安売りを始めたような気がする。
ウナギは50年生き続けると言われているのを、乱獲、密漁でじゃんじゃん殺しているのが現状。
夏場は栄養のあるモノを食べてというのが根拠だとしても、それは江戸時代や大正時代の話で、現代には大量に栄養のある食材は存在している。無理して絶命危惧種と言われているウナギを食べる必要は無い。
(抜粋)
3月31日杉村 喜光  平賀源内に関したTwitterから 

『関西の夏の魚はウナギではなくてハモやアナゴ』

杉村 喜光氏は、『まあ自分の家がそんなに裕福でなかったので食べなかったのかもしれないけど』と書いているが、ウナギなど高級食材は専門店で食うものなので、貧乏だった我が家では子供のころも大人になっても食った記憶が何処にもない。スーパーで安く売られ出してから食卓に上るようになったが、そのころから『ウナギは絶滅危惧種』だと言われ出した。ウナギのかば焼きですが、ほぼ濃厚なタレの味であり元々の食材の風味を損なわない本来の日本料理とは大きく逸脱した代物だった。(養殖マグロで有名になった近畿大学がウナギの代わりに『ナマズのかば焼き』を研究しているらしい)
何れにしろ『土用の丑の日にウナギを食べる』風習は極最近にマスコミによって宣伝され、一般にも云われ出したが、これはバレンタインデーのチョコレートと同種類のマスコミの宣伝力を利用した悪しき商法であろう。

『すき勝手に真実や歴史を書き換える凄まじい「マスコミ」の宣伝力の威力』

同じような例では剣豪の宮本武蔵や美男子だった佐々木小次郎のイメージは敗戦前の朝日新聞に連載された流行作家の吉川英治の新聞小説からで、明治生まれの私の父親によると、新聞小説以前の佐々木小次郎は細身の美男子では無くて大男、物干しざおの異名がある長刀を振り回す恐ろしい身の丈6尺豊か背中には倶利 伽羅紋紋の偉丈夫だったらしい。
高知出身の友人によると坂本竜馬は無名で、地元で有名だったのは土佐勤王党の武市半平太などが以前の歴史で活躍していたらしい。今知られている明治維新の原動力の薩長同盟の坂本竜馬像は歴史作家の司馬遼太郎がまったく新しく創作したものだった。
歴史的な事実とは無関係にマスコミの驚異的な宣伝力によって書き換えられていたのである。

偶々TBSテレビ『この差って何ですか?』を見ていたら、『日本で正座の風習は徳川3代将軍家光が始めた』と放送していたのにはビックリ。これは幾らなんでも無理筋であろう。日本ではマスコミの宣伝力を利用して色々と新しいものが次々と生まれてくるようである。(歴史的に見るとゆったりしていた女性の服装が元禄時代以降に今のようにタイトな和服になったのと正座の風習が広まった時期が一致していた)

杉村喜光(知泉)三省堂辞典・発売中!‏ @tisen_sugi · 7月17日
テレビで「正座は徳川家光が罪人の座りかた危座(きざ)から考案」という話をやっていたけど、確かに昔はあぐらが一般的だったけど、正座は仏教由来で鎌倉時代は征夷大将軍の前での作法になっていたハズ。
それが弓道などの小笠原流礼法に取り入れられ、それが江戸時代に武士作法になったんだと思う。

茶道などでも千利休の時代にあぐらから正座に変わっており、さらに上級者は割座(いわゆる女の子座り)となっている。
「正座」という呼び名はテレビで言っていた通りに明治時代に考案された物だけど、江戸時代は「蹲う:つくばう/おつくべ/端座:たんざ」などと様々な言葉で呼ばれている。

ついでに言うとテレビで言っていた「危座」は正しくは跪座とも書き、これは両膝を地面に付けて踵を上げた状態、いわゆる蹲踞(そんきょ)の姿勢をも指す言葉で、罪人の座り方と特定する言葉では無い。

って、その番組「この差って何ですか」だった。

とりあえず「危座」という単語、ネット上では番組以前に罪人と結び付けて書いている所を見付けられなかった。実際には「跪座」で『跪:ひざまずく』という意味しか無い漢字。
大名行列の際に沿道に膝を付けて座り、かかとは浮かせた状態が跪座。
「危」という漢字にするといきなり犯罪っぽくなる。

ネットで「正座 罪人」辺りで検索すると「江戸時代は正座は一般的ではない/罪人の座り方でもありました」と書いているサイトがあり、それを引用したサイトが「罪人の座り方を強要した」と伝言ゲームしているのを見つけた。
最初のサイトはあくまでも「罪人の座り方”でも”ありました」

手持ち書籍では「面白すぎる博学知識 江戸のしきたり:河出文庫」に”家光の時代に膝を屈することで服従を意味した”という文があるが、それは諸説ある一つで”室町時代に発展した茶の湯で正座が習慣化された”という事も書いてある。
とりあえず番組での「家光→正座強要→罪人→痺れる」は発見出来ず

杉村喜光(知泉)三省堂辞典・発売中!‏ @tisen_sugi · 7月18日
「危座」という語のTwitter初出は2011年12月、その時は「”きざ”で変換すると」という話題。2012年7月に座ることの意味で「危座」が登場。その後もポツポツと登場するが意味はずっと同じ。

犯罪と結び付けて使われたのは「この差って何ですか」放送直後が初。
完全にあの番組が新しいガセを生みだした


(おまけ)

杉村喜光(知泉)三省堂辞典・発売中!‏ @tisen_sugi · 7月15日
ウナギの料理法、関西は腹から、江戸は背から開く。江戸は武士が切腹を嫌ったのでと言われるが、他の魚は平気で腹から開くので、これは後付で言われ始めたのは昭和になってから。
江戸では蒸し焼きにするので形が崩れにくい背開き、関西では素早く作業が出来る効率的な腹開き、というのが本当の理由。

★注、
杉村喜光氏の、『江戸は武士が切腹を嫌ったので云々は、後付けの俗説』との説明ですが、アナゴやウナギのかば焼きとは、魚を開いて骨をとり醤油タレで焼いたものだが、『かば焼き』の語源は諸説あるが、一番有力なのは昔は開かず(骨を取らず)そのままぶつ切りしたウナギを串に刺して丸焼きした姿が『蒲の穂』に似ていたからと言われている。ウナギのような長くてぬるぬると滑りやすい魚を開いて骨を取るのは手間暇と高度な調理技術が必要だった。(欧州など日本以外でもウナギ料理があるが多くはぶつ切り)

『うなぎのかば焼き“食中毒” 190人超で謝罪会見』2018年8月1日 テレ朝news

先月、今治市の産直市の鮮魚コーナー「魚媛」で販売されたうなぎのかば焼きなどにより、サルモネラ菌が原因の集団食中毒が発生しました。魚媛を運営する会社を傘下に持つ愛媛県漁連が先月31日、会見を開いて症状を訴えている患者は190人を超えていて、このうち23人が入院したと明らかにしました。患者数はさらに増える可能性があるということです。原因については、生のウナギを触った手でかば焼きを触るなど何らかの衛生管理上の問題があった可能性が高いとしています。(抜粋)


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3 コメント

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Unknown (たけ)
2018-07-31 12:32:49
こんにちは。
あれですね、これ。マスコミで宣伝されたりするとブームになるという。
ブロッコリーが健康に とTVで話題になると
売れて売れまくるという。
あまり意味がない
となること今度はブロッコリーが以前より売れなくなるという。
ある意味仕方ないかもしれませんが
悪意+意図的
でやっているというのが
私たちは官軍 
歴史書 教科書は私たちが作る 選ぶ
の方々ですね。19〇4の世界かなあ。。。
(あらすじしか読んだことないんでけど)
返信する
Unknown (なか)
2018-07-30 21:01:55
あんなドジョウのデカイやつがなんで値段高いのか?
返信する
恵方巻と同様の広告屋企画 (ローレライ)
2018-07-30 11:01:21
恵方巻と同様の広告屋の企画で鰻が乱獲されてる。つくられた伝統。
返信する

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