逝きし世の面影

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23年目の日本航空123便墜落事故

2008年08月12日 | 社会・歴史

1985年8月12日午後6時56分、日本航空(当時)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(「ジャンボジェット」、機体記号JA8119)が群馬県多野郡上野村の高天原山「御巣鷹の尾根」に墜落した事故である。

死亡者数は乗員乗客524名のうち520名、生存者は4名であった。
死者数は日本国内で発生した航空機事故では最多であり、単独機の航空事故では世界最多である。

事故調査は、
「同機がしりもち着陸事故を起こした後のボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が原因」とする事故調査報告書が1987年6月19日に公表され終了している。

「航空事故調査委員会による結論」は、

当時の乗員・乗客の行動や生存者の証言との矛盾点として、圧力隔壁破壊が発生した場合に起きる急減圧、室温低下などの現象が証言からは発生したことが窺えない点が指摘されている。
それによれば、7000メートルを超す高空で圧力隔壁が破壊された場合、機内の気圧が急激に低下し、減圧症により乗員・乗客が意識を喪失してしまう可能性が高いにもかかわらず、同機では遺書を残したり、機内を撮影した乗客がいることを考えると急減圧が起きていなかったのではないかと推測されるのである。

(実際に、2005年8月14日にキプロス・ヘリオス航空のボーイング737型機がギリシャ北部の山中へ墜落したヘリオス航空522便墜落事故では、与圧装置のモード変更ミスによって同レベルの高高度で上記の「急減圧」が発生し、操縦士が意識を喪失したことが墜落の主原因とされている。救援に向かったギリシャ空軍戦闘機のパイロットが目撃。急減圧が発生すれば人体への影響が大きい事を示している)。

日本航空機長組合、日本航空乗員組合は現在も事故調査結果に納得しない旨、再調査を求める意見をウェブサイト上に掲げている。
しかし、航空・鉄道事故調査委員会は、「現在のところ事故の再調査をする予定はない」と公表している。

アメリカ軍の捜索

『墜落位置の特定』

墜落機の飛行状況は、アメリカ軍(在日米軍)も把握していた。
テレビで放送されたACCの録音テープによれば、米空軍横田基地の管制官は迷走飛行中の123便に対して繰り返し呼びかけていた。

アメリカ空軍のC-130輸送機のパイロットが日本航空123便ボーイング747SR発見し追尾して墜落場所も早い段階で把握していた模様。(この問題に関して輸送機操縦士は20年間の緘口令を指示されている。)
付近を飛行中の別のアメリカ空軍のC-130輸送機が墜落現場付近上空に到着、墜落から直ぐの19時15分 C-130の機関士が墜落機の煙を発見。詳細な現場の位置を測定する

『現場に急行』

その後、米海軍厚木基地から暗視カメラを搭載している海兵隊の救助ヘリコプターが現場に急行。
墜落から僅か2時間で救助態勢が整っていた。
しかし救助のためにヘリから隊員を降ろそうとしたとき、基地の当直将校からすぐ基地に帰還するよう命令された。

『自衛隊の捜索の怪』

防衛庁(現・防衛省)の発表やNHKによる「墜落現場」の報道が二転三転して、おおよその位置しか掴めなかったことも現場の発見を遅らせた。
当日現場に到着したにも拘らず自衛隊側の救助ヘリは、日没の為に救助を諦め帰還する。
事故直後2時間で現場に到着した米軍ヘリよりロープによる隊員降下が行われようとしたが、日本側の要請により、米軍はやむを得ず降下を中止し、日本の航空自衛隊ヘリが現場に到着し交替が行われたが、航空自衛隊は「夜間の隊員降下は自殺行為だ」と称して隊員降下を行わず、ヘリよりのロープによる救出は翌朝に延期され、時間を空費してしまった事実があります。

事故10年後1995年8月27日の米軍準機関紙パシフィック・スターズ・アンド ・ ストライプスは「日航機救難作業の醜態、元空軍軍人証言」「日本は現場到達に12時間もかけた」の大見出しで暴露記事を掲載しました。

墜落現場に向けて動き出したのはあくる13日午前4時前だった。
大半は徒歩で現場まで向かい、付近は険しい地形だったため墜落現場に到着したのは事故から14時間ほど経った13日午前8時半だった。

結局、現場に一番早く到着したのは、日の出とともに登った地元の消防団であった。

自衛隊が援助するからとアメリカ軍の援助を断っておきながら、あきらめて引き上げたことは、結果的に助かる可能性があった人を見殺しにしたことになる。(事故当日直後には翌日に助けられた4名以外の多数の生存者がいた事が確認されている)



日本航空123便(JA8119号機)の事故から22年目の JJ労組連絡会議(日本航空内7労組)の声明 (抜粋)

航空事故の再発防止には、真の事故原因の究明が不可欠であり、それがこれまでの事故で亡くなられた方々の無念の気持ちに報いることにつながります。
私達は123便事故直後から航空事故調査委員会(当時)に対し「123便に、はたして急減圧はあったのか」との問題提起を中心に、再調査すべき5項目の実現を強く要請してきました。

事故調査委員会の推定原因は、垂直尾翼の破壊を「圧力隔壁の破壊によるもの」とするものですが、
フライトレコーダーやボイスレコーダーの解析結果、機内の写真、生存者の証言のいずれを見ても、また、急減圧の発生が明らかな他の事故例(1986.10.26タイ航空機事故、1988.5.28アロハ航空機事故、1989.2.24ユナイテッド航空機事故等)と123便との比較、さらには航空関係者が行った急減圧の実験(1999年4月)でも「123便事故における急減圧の存在」を否定する数々の状況証拠が得られており、事故調査報告書の内容を完全に否定する結果となっています。

私たちは123便事故から22年目を経た今、私達の指摘を踏まえた科学的な再調査が行われるよう、改めて航空鉄道事故調査委員会に求めるものです。
2007年8月12日
日本航空内 JJ労組連絡会議
日本航空労働組合
日本航空機長組合
日本航空先任航空機関士組合
日本航空乗員組合
日本航空キャビンクルーユニオン
日本航空ジャパン労働組合
日本航空ジャパン乗員組合




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8 コメント

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日航機墜落 (恒久)
2008-08-12 12:47:02
この事故原因に関しては様々な憶測が流れていますね。
圧力隔壁の破損が原因で墜落…
私はそんな単純な原因ではないと考えています。
返信する
圧力隔壁の破損が原因でないことだけは確実 (ブロブ主)
2008-08-12 13:13:03
事故直後の墜落原因が特定されていない段階で、早々とボーイング社は自社の行った修理ミス(尻餅事故による圧力隔壁の破損が原因で墜落)を認めて事故責任(賠償責任)を明らかにしています。
刑事事件で犯人が捜査も始まらない段階で自首したようなもので、警察(事故調)としてはこんな楽な話は有りません。
あとは無理やり事実を無視して、自供に基づいて適当に事件の筋書きを書いて終わりにしてしまった。
シンドラーエレベータ事故でも解るように外国企業が事故調査も始まらない段階から、自分の責任の認めるなどありえない話です。
多分もっと大きな責任を回避する為に、真っ赤な嘘の圧力隔壁説を唱えたのでしょう。
返信する
なるほど (カーク)
2008-08-12 19:11:37
>多分もっと大きな責任を回避する為に、真っ赤な嘘の圧力隔壁説を唱えたのでしょう。

米軍とかが絡んでくるんでしょうかね。
なんか、大きな闇があるような気がしてきます。
返信する
自衛隊の動きが (ブログ主)
2008-08-13 17:52:50
アメリカ軍の動きが迅速すぎる。
事故に対して余りにも早すぎるんですよ。
対照的に日本の自衛隊が、・・・・全く動かない。
わざと事故現場に人を近づけないようにしていたとも考えられるほどの不思議な動きをしています。
何の装備もない地元の消防団にも負けるほど間抜けなノロマぶりです。
まあ単に、遊び半分の軍隊モドキの日本の自衛隊が間抜けだっただけかも知れませんが、あれが本当の実力なら、あんな自衛隊は金を食うだけで何の役にも立ちませんよ。
しかし航空自衛隊は通信命令系統に自国語ではなく英語を使っているんですよ。
陸自と違い、航空自衛隊はアメリカ空軍との間で指揮命令系統が統一されているはずです。
アメリカ軍が事故現場をいち早く特定しているのに日本側が知らないはずは有りません。
単に何も知らない間抜けの振りをしていたのでしょう。調べれば調べるほど謎は深まるばかりです。
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あくまで参考ですが (kafukanoochan)
2008-08-14 09:20:37
僕の尊敬する安部穣二様の記事
http://www.abegeorge.net/essay/index.html
の「第62回 『抛っておけない疑問』
に、
>自衛隊の無人標的機ファイアービーがぶつかったという説
が述べられています。
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事故調、ボーイング社、日航、NHK,中曽根康弘、自衛隊 (ブログ主)
2008-08-16 08:08:07
1952年の日本航空もく星号墜落事故と同じで、民間航空機を標的に訓練していた米軍がうっかりしていてロックオンしたままで間違って発射して撃墜したとの噂も有りますね。
52年事件では米軍が遠州灘とか静岡県で機体発見などのニセ情報を盛んに出して捜査の目が伊豆大島の三原山に向くのを何とか防ごうとしていた。
85年でも自衛隊が長野県側と何度も何度も誤報を繰り返し群馬県側に捜査の目が向くのを結果的には妨害していた。
日本の自衛隊は捜査を一日伸ばし、結果的にはアメリカ軍に因る救出も妨害して被害の拡大に大きな成果を上げる。
この事件当日、当時の総理大臣中曽根康弘は目と鼻の先の長野県軽井沢の山荘にいたが、動かざること山の如し。
情報操作では、NHKは隔壁破壊説を大々的に宣伝し乗員組合などの『ありえない』との専門家や関係者の発言はマスコミに触れる事は全く無かった。
正しい情報を隠蔽する方法は、旧日本型のように単に禁止するのではなく、圧倒的な量のニセ情報を流し続けてニセ情報の山の中に埋もれさせるアメリカ型に進歩している。
NHKは今回のインチキ臭いムペンバ効果などとは桁違いに大きい犯罪行為に加担しているようです。






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Unknown (Unknown)
2010-04-03 06:52:43
25年目にして新たな証言
ttp://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY
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残念ながら (逝きし世の面影)
2010-04-04 11:14:32
残念ながら25年目の新たな証言ではないようです。
新たな証拠などよりも、今までの日本側の事故調の資料の全面開示こそが急務でしょう。これが残念ながら満足に行われていないのです。

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