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旧山田村は富山県の中心部から南西に牛嶽山麓に位置し、東は八尾町、南は利賀村、西は庄川町・砺波市
北は婦中町に接する山村だった。
村の40%余りは急峻な山地が占めて、比較的緩やかな地形で山田川と二つの川沿いに23の集落が点在し
ていた。
15世紀末藩政がひかれて加賀藩の領地に属し、16世紀始めに前田家が分藩し富山藩の山田郷と称した。
明治22年市町村制により「山田村」と命名され、25集落に行政を区画して戦後に至った。
その後、都市部での経済成長の中で木炭業の衰退と相まって、人口減少が顕著になり昭和45年に過疎地域に
指定された。
昭和40年代に入り観光開発に力を注ぎ、昭和46年に村営の「牛岳温泉スキー場」を開発し、平成元年に村政
100周年を迎えた。平成2年に健康休養施設として「牛岳温泉健康センター」を開設し、観光客の誘致にも力を
入れてきた。
1996年(平成8)各家庭にパソコンを配置してネットワークで結ぶ「一家に一台パソコン支給」と言う独自案を
出し、年末には国土庁からモデル事業の指定を受けるという内示をもらった。
希望する全家庭325戸(普及率71%)へパソコンが配布された。
1997年(平成9)1月から村内の通信が可能となり、2月からインターネットの接続も始まり、一時「電脳村」として
全国に山田村を届けた。
山田村に限らず全国何処の僻地山村でも、若者の著しい減少傾向が続き、観光誘致に悩んでいる。
昨年春から新年に入っても、コロナウイルスに洗脳され会話が途切れ、先が見えない今日、持続可能な業態を
見つけて180度転換して再開する必要がないでしょうか。
<牛岳温泉スキー場トップ(標高640m)から、山田郷~富山市街(以下2020/11/12撮影)>
<山の中腹に棚田畳に田畑が>
<視界に高岡市~富山市が広がる>
<富山市山田中核型地区センター入口に掛かる石碑>
<富山市山田中核型地区センター前を流れる山田川と集落>
<山田中核型地区センターから4km余り溯ると「谷集落」対岸を2km先「鍋谷集落」>
<コミュニティーバス時刻表>
<谷集落から山田川沿いに3km溯ると、山肌が急峻になり「妙厳峡」と名が付く。
この地域では、若狭・数納、対岸に居舟・深道と4集落が廃村となっている>
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