こやつ(とうちゃん)が私が借りてる大泉学園のアパートにころがりこんできた
「今まで付き合ってきてお前の優しさが、よくわかった。ずっと一緒にいよう。」
私「え、それってプロポーズ?私でいいの?」
私「知ってるよね、子宮内膜症だから子供はできないよ。それでもいいの?」
「できなくても、できても、どっちでもいいよ。気にしてないよ」
数日後、このままずるずると同棲みたいな生活はいけない
結婚するのか、どうするのかはっきりしなさいといわれたそうだ。
「結婚する」と、とうちゃんの家族にはっきりと言ってくれたそうだ。
とうちゃんは、時々泊まっては、時々実家に帰るという生活だった
※仕事(私は観光)で海外へ行き帰ってきたら(合いかぎを渡しておいた)
ストーブと電子レンジが置いてあり、
ピンクのメモ用紙に「愛してる」だって、嬉しかった
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※30年以上前の話。
とうちゃん(ダンナ)にも聞きながら。記憶をたよりに書いてみた。
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このアパートを借りた訳は、
当時、私は某通販会社に勤務していて、広告制作をしていた。
忙しいときは、事務所に泊まることもできた。
それが、広告制作の部署が社長の自宅の二階に移動することに。
実家に帰ることもできたが、夜中まで仕事ができる環境ではなかった。
ネコたちに会いに時々は帰ったが、家と外を自由に出入りしていたので
帰っても会えない日が多々あった。
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ある日のこと、外は大雪で二人してびっくりした。
電車は止まってるし、会社に行くにも移動手段はバスかタクシー。
彼はバスで出勤。私はバスだと反対方向になってしまうので
駅から少し離れたところでタクシーで。
二人共出勤しやすいところへ引っ越さないと。
杉並の永福町のアパートへ
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私たちは1990年5月5日 子供の日に入籍しました。
色々あったけど、私の8年ごしの恋が叶った、最高に幸せ。
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珍しく彼(とうちゃん)から電話
「あのさぁ、式とかしたい?俺、貯金ないから1年くらい待ってくれる」
私「別に式なんてしなくてもいいよ。私もアパート借りて海外で
かなり使ったから、お金ないし。式やると面倒なこと一杯ありそうだし。
身内で食事会でいいんじゃない」