気まぐれネコめくり

家族は3にゃん(娘)、主人、私。

一人旅が好きだった時代

2024年03月18日 08時17分56秒 | バイク、ツーリング、旅の話、散歩

もう順番が、分からなくなったぞ。どうする?たわし~じゃなくって、わたし~。
独身の時は一人旅が大好きだった



これは、北海道。往復はフェリーでゆっくりと。
大きな船だと酔うのを忘れてたぁ~。
帰りのフェリーは大嵐に遭遇し。部屋の中で転げまわった。
ベルトでベッドと自分を結び付け。免許証をポケットに。
死を覚悟した。いざとなると強くなれると自覚した。
3回汽笛がなったら、ベスト着用の合図。3回なった。陸の近くにしばらく停泊
乗務員の人が「大丈夫ですか」と。大丈夫なわけがない。「はい」と返事
「お食事どうしますか」と「ムリーーーー!」と。こんな時に食えるかよ。



東京に帰る時は、虹がきれいだった。



これは、金沢、能登半島、福井の東尋坊まで、夜行列車で二度行った。
川で反物を洗うのを、どうしてもみたかったから。



町並みも古都で情緒溢れている。



兼六園の門に沿って。



兼六園の有名は松の木。



これは、小笠原での帰り。大型の船、フェリーは酔ったなぁ~
小型船は酔わないんだけど、なぜだ?



帰りに一緒になったお友達?が写してくれました。
もしかして、行きも一緒だったかも。ごめんね。忘れちゃった。

↓これはおまけ

 

実家の近所には警察官の独身寮があり
(立て替えてきれいな建物になってます。もしかしてもうないかも?)
大好きな警察官の人がいて、ちょくちょく寮に忍び込み遊んでくれてたっけ。
その警察官の人が新宿御苑に連れて行ってくれました。
その後、結婚して「もういないよ」と。もう一度会ってお礼したかった。


私のオートバイVT250cc

2024年03月17日 05時07分05秒 | バイク、ツーリング、旅の話、散歩


これが、私が乗っていたオートバイ。VT250ccのブラック。
独身時代からの私の心友、いや違う。体の一部とも言えるくらいの愛車。
タンクの形状ラインが、ネコの肩に似ている。
確か23歳の時に、中型自動二輪(400ccまで乗れる)最終試験は半年間ギリギリの日。
教官から「問題児」と言われるほどで。ちゃんとコースも覚えていたのに、
一本橋は一気にいけ! 次、ひだり!次、みぎ!と、教えてくれた(いいのか?)
みごとパスした(当たり前だよ~)



うひょひょー!! これで、一人でいろんな場所へ行ける!! 最高だぁ~
当時の仕事は、東京の高田馬場で某通販会社の電話番
(前出の某通販会社とは違います)
行きは直行、帰りは遠回りして、知らない道を進んで、迷子になって~。
迷子になって~。迷子になって~。迷子になって~。
「ここは、どこ?ありゃ、また同じとこじゃん」の繰り返しそれが楽しいのだぁ。
この会社から、前出の某通販会社に出向することになった。場所は東京の杉並区。
毎朝、同じ道をガンマと張り合う。途中で私は右折。
バイバイと手を振ってピースサイン。
ガンマ君もバイバイと手を振ってピースサイン。また、明日ね~。



立ちごけは年中で、クラッチレバーを何本折ったことか(トホホだよ)。
※立ちごけとは、信号などで止まった時に足が地面につかず、横に倒れることです。
休日は今とは全く違うお台場に行って、ウィンドサーフィンを見てた。
まさか、そこで元カレに会うとは、思わなかった。かなり、ビビった。
その人の仲介でプロのカメラマンさんから
ニコンF2をフル装備で10万で買い、1ガンレフのカメラにはまってしまった。

当時からの私の住まいは、実家(東京の原宿)
→練馬区のアパート(事務所移転のため)
→杉並区の永福町のアパート(結婚したため)
→町田の借家(飼いネコのため)
→杉並区の借家(仕事とネコのため)
→鎌倉市(ダンナの実家が空家になってしまうため。現在に至る) 
まさに、引っ越し貧乏。
町田から杉並に引っ越す時に、VTを手放した(費用がかなり変わるため)
あまりに辛い別れで見送ることもできなかった。ごめんね、私のVT。。。
さすがに、オートバイにもう乗れないし起こせないので、
一昨年に免許は警察に返しました。
ツーリングの話は、またの機会に。写真を見るだけで、ため息がでる。。。

会社で祝ってくれました

2024年03月17日 00時00分00秒 | 日常の雑談

私がまだ会社員(一応は役員でした)で、スタッフ一同と代理店の方々に

入籍をお祝いしてくださいました。スタッフからは、掃除機を頂き。

代理店の方々は、お店を貸し切りにして盛大に祝ってくれました。

とうちゃんの会社では、一部の方々が新居にきてくださり、

鉄板プレートを頂きました。本当にありがたいことでした。


大丈夫かいキュウちゃん

2024年03月16日 03時07分39秒 | うちのにゃんズの話


キュウが、何となくいつもと違う。元気のない空気感。
毎日みてると、微妙な変化さえ見えてしまう。
もう、今年の7月で19歳になる。いつお迎えがきても不思議じゃない。  
夕方に、ウエットのごはんをあげたら、しっかり食べていた。
いつもなら、1階にあるネコ用コタツで寝ているはずなのに。。。
今日は、真っ暗でも2階で寝ている。抱えて1階のネコ用コタツに入れても
少しすると二階へ行ってしまう。不安が一段ずつ増えていく。
人間だと92歳、大往生だ。(まだ、しっかり生きてるけど)



キュウも心配だけど、ひーちゃんも心配。ひよは、キュウを親のようにいつもくっついてる。
ネコは元々単独行動を好むと言われているけど、中には、ひよみたいな子もいる。
キュウを呼ぶと、もれなくひよもついてくる。。。みたいな
後追いがネコにもある。自らごはんを食べなくなり、衰弱していく。
うわ~、考えたら私の方がへんになる。もう、考えないことにしよ。

入籍前のご挨拶

2024年03月16日 00時00分00秒 | 日常の雑談

30年以上前のこと。入籍前のご挨拶にとうちゃんの実家へいったなぁ~。

義父と初めてあった日だったかも。めちゃ、緊張した。

何を話したのかさえ覚えてない。

初めまして、つたない者ですが、よろしくお願いします。

と言ったのはかすかに覚えてる。

義父は、息子の健康を願ってか。

丼ごはんでも野菜をかかさないでください。と言っていた。

ダイヤモンドの指輪を頂いた。確かとうちゃんはお金がなくて

2千円くらいの指輪を一緒にデパートに行き買ってもらった。

困って右手の薬指に。嬉しくて涙ぐんでしまったのを覚えてる。

義母は、この子はこういう事に慣れてないから(慣れてもらっては困るでしょ)

これは、私たちからの気持ちだから。と言っていた。

ありゃ?これって結納みたいなことだったのか?

うち、なんも返してない‼ 今さらだから、いいか。

 

 


なごやかな食事会

2024年03月16日 00時00分00秒 | 日常の雑談

身内だけで集まった食事会なので、式をあげるより和やかでした。

料理の先生をしていた義母が、ウエディングケーキを作ってくださいました。

とうちゃんのご両親が、横浜の高級中華料理のお店で個室を用意してくださいました

もう、30年以上経ってしまったけど。

兄弟で乾杯。

義兄の子から、花束を頂きました。

彼(ダンナ)の家族。

私の家族。


ずっと一緒にいよう。幸せの第一歩。

2024年03月15日 17時12分57秒 | 日常の雑談

こやつ(とうちゃん)が私が借りてる大泉学園のアパートにころがりこんできた

「今まで付き合ってきてお前の優しさが、よくわかった。ずっと一緒にいよう。」

私「え、それってプロポーズ?私でいいの?」

私「知ってるよね、子宮内膜症だから子供はできないよ。それでもいいの?」

「できなくても、できても、どっちでもいいよ。気にしてないよ」

数日後、このままずるずると同棲みたいな生活はいけない

結婚するのか、どうするのかはっきりしなさいといわれたそうだ。

「結婚する」と、とうちゃんの家族にはっきりと言ってくれたそうだ。

とうちゃんは、時々泊まっては、時々実家に帰るという生活だった

※仕事(私は観光)で海外へ行き帰ってきたら(合いかぎを渡しておいた)

ストーブと電子レンジが置いてあり、

ピンクのメモ用紙に「愛してる」だって、嬉しかった

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※30年以上前の話。

とうちゃん(ダンナ)にも聞きながら。記憶をたよりに書いてみた。

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このアパートを借りた訳は、

当時、私は某通販会社に勤務していて、広告制作をしていた。

忙しいときは、事務所に泊まることもできた。

それが、広告制作の部署が社長の自宅の二階に移動することに。

実家に帰ることもできたが、夜中まで仕事ができる環境ではなかった。

ネコたちに会いに時々は帰ったが、家と外を自由に出入りしていたので

帰っても会えない日が多々あった。

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ある日のこと、外は大雪で二人してびっくりした。

電車は止まってるし、会社に行くにも移動手段はバスかタクシー。

彼はバスで出勤。私はバスだと反対方向になってしまうので

駅から少し離れたところでタクシーで。

二人共出勤しやすいところへ引っ越さないと。

杉並の永福町のアパートへ

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私たちは1990年5月5日 子供の日に入籍しました。

色々あったけど、私の8年ごしの恋が叶った、最高に幸せ。

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珍しく彼(とうちゃん)から電話

「あのさぁ、式とかしたい?俺、貯金ないから1年くらい待ってくれる」

私「別に式なんてしなくてもいいよ。私もアパート借りて海外で

かなり使ったから、お金ないし。式やると面倒なこと一杯ありそうだし。

身内で食事会でいいんじゃない」

 


初めての海外へ(メキシコのカンクーン編)

2024年03月15日 03時41分49秒 | バイク、ツーリング、旅の話、散歩



社長もやっと仕事が片付いたようで、
極寒のNYから「メキシコのカンクーンへ行こう」と。
そう言われても全然わからんし
内心「え~!また飛行機にのるの~。ヤダなぁ」と。
カンクーンの税関で、片言の英語(これ私)VS片言の日本語(税関職員)
お互いに何を言っているのかわからず、お互いに笑ってごまかす。
空港のロビーには、機関銃を持った軍人さんが。。。
後ろの席を取っ払ったワンボックスに押し込まれ、
恐怖と緊張で妙な汗が。。。
単純にまとめて、ホテルへ送ってくれただけ。



気がぬけたのか部屋に着いたとたん、
私は号泣してもうた。それくらい、怖かった。
「社長に何かあったら、私はど-すればいいんですか。
ここ英語圏じゃないし。私、英語もまともにしゃべれないし」で、
すぐに電話で明日の飛行機の予約。落ち着いたので、外に散歩へ。
社長は「ここロブスターが安くて美味しいんですよ」と
何回聞かされたことか。。。



帰りは直行便がなく、ヒューストンで乗り換えに。
ところが、負の連鎖なのか?
機内で書く用紙に今日の日付を書く欄に生年月日を書いてしまった。。。らしい。
自分のせいで、両手の指先はスタンプ台で真っ黒に。
二度と海外には行かない。
社長は次回からは、社員を連れていく時は二人にすると言っていた。


初めての海外へ

2024年03月15日 01時58分52秒 | バイク、ツーリング、旅の話、散歩

ニューヨーク、メキシコのカンクーン、もっと写真があったはず
段ボール箱2個をひっくり返して、ダンナにも手伝ってもらいーので。
ありました。NYとメキシコのカンクーン。



確かここは、自由の女神に行く船着き所だったような?

(間違えてたらごめんなさい)



お隣さん、あまりの寒さで固まってます (見事な彫刻です)



クリスマスのツリーの点火式でした。みんな、隣の人とハグしあってハッピー。



どさくさ紛れで、失礼しま~す。

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何より驚いたのは、私は仕事で海外に行くから

いない間に郵便物とか見に来てくれる?

と、合いかぎを作って、た〇〇君に渡しておいたら

ストーブと電子レンジが置いてあり

ピンク色のメモ用紙に「あいしてる」と書いてあったこと

え、なんで。が、頭の中をグルグルと。