風極の岬 えりも 法光寺住職の「善き人々に出逢う旅」

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

慈悲の心とは~大しゃもじに刻印された意味

2016-01-13 19:31:54 | 日記
お正月から大切な方々を見送りました。
人として、正しい道を歩み続け
  智慧と慈悲の心を実践された人生です。
その歩みは決して平坦では無かったでしょうが
  残された子孫にしっかりと伝わっています。

           仏教では「慈悲」の心を「与楽抜苦」といたします。
          「慈」は慈しみの心。楽(安心)を与えることです。
          「悲」は悲しみの心。苦(苦悩)をとりはらうこと


 写真は、拙寺の本堂にかけられた大しゃもじです。
 御本山にまつられているものを、模して
    中国で彫っていただいたものです。

    仏様の慈悲は広大無辺。
    自らを省みず、偏に他を救わんとする願行です。
    古から道を求める人は、利他の願いに生きてきました。
    親は子を育てるために自らはどうなっても構わないと
      一途に子の幸福を願って育てました。
    仏様の慈悲に一番近いのは、親が子を思う心です。
    (昨今では虐待のニュースがしばし報道されますが~)
    ただ、仏の慈悲と親の慈悲は異なります。
    親の慈悲はともすれば我が子のみに注がれます。
    (その為にかえって子を駄目にする場合もあります~)
    それに反し仏様の慈悲は、万人に向けられるものなのです。
    しゃもじは冷たい水も熱いものもいとわず掬い上げます。
    その時、身のありようは考えません。そのように、
    すべての人々が救われない内は、わが身の幸福はないというのです。
    (拙僧には到底出来ないことです~)
    

己が身は水をも火をもいといなく
        すくい上ぐるぞ御佛の慈悲
 写真は、法光寺を開き、この地域の人々を救わんと
  決死の覚悟で本州から渡道された御開山様の木像です。
 力強い智慧と優しい慈悲に溢れたお姿であります。