お正月から大切な方々を見送りました。
人として、正しい道を歩み続け
智慧と慈悲の心を実践された人生です。
その歩みは決して平坦では無かったでしょうが
残された子孫にしっかりと伝わっています。
仏教では「慈悲」の心を「与楽抜苦」といたします。
「慈」は慈しみの心。楽(安心)を与えることです。
「悲」は悲しみの心。苦(苦悩)をとりはらうこと。
写真は、拙寺の本堂にかけられた大しゃもじです。
御本山にまつられているものを、模して
中国で彫っていただいたものです。
仏様の慈悲は広大無辺。
自らを省みず、偏に他を救わんとする願行です。
古から道を求める人は、利他の願いに生きてきました。
親は子を育てるために自らはどうなっても構わないと
一途に子の幸福を願って育てました。
仏様の慈悲に一番近いのは、親が子を思う心です。
(昨今では虐待のニュースがしばし報道されますが~)
ただ、仏の慈悲と親の慈悲は異なります。
親の慈悲はともすれば我が子のみに注がれます。
(その為にかえって子を駄目にする場合もあります~)
それに反し仏様の慈悲は、万人に向けられるものなのです。
しゃもじは冷たい水も熱いものもいとわず掬い上げます。
その時、身のありようは考えません。そのように、
すべての人々が救われない内は、わが身の幸福はないというのです。
(拙僧には到底出来ないことです~)
己が身は水をも火をもいといなく
すくい上ぐるぞ御佛の慈悲
写真は、法光寺を開き、この地域の人々を救わんと
決死の覚悟で本州から渡道された御開山様の木像です。
力強い智慧と優しい慈悲に溢れたお姿であります。
人として、正しい道を歩み続け
智慧と慈悲の心を実践された人生です。
その歩みは決して平坦では無かったでしょうが
残された子孫にしっかりと伝わっています。
仏教では「慈悲」の心を「与楽抜苦」といたします。
「慈」は慈しみの心。楽(安心)を与えることです。
「悲」は悲しみの心。苦(苦悩)をとりはらうこと。
写真は、拙寺の本堂にかけられた大しゃもじです。
御本山にまつられているものを、模して
中国で彫っていただいたものです。
仏様の慈悲は広大無辺。
自らを省みず、偏に他を救わんとする願行です。
古から道を求める人は、利他の願いに生きてきました。
親は子を育てるために自らはどうなっても構わないと
一途に子の幸福を願って育てました。
仏様の慈悲に一番近いのは、親が子を思う心です。
(昨今では虐待のニュースがしばし報道されますが~)
ただ、仏の慈悲と親の慈悲は異なります。
親の慈悲はともすれば我が子のみに注がれます。
(その為にかえって子を駄目にする場合もあります~)
それに反し仏様の慈悲は、万人に向けられるものなのです。
しゃもじは冷たい水も熱いものもいとわず掬い上げます。
その時、身のありようは考えません。そのように、
すべての人々が救われない内は、わが身の幸福はないというのです。
(拙僧には到底出来ないことです~)
己が身は水をも火をもいといなく
すくい上ぐるぞ御佛の慈悲
写真は、法光寺を開き、この地域の人々を救わんと
決死の覚悟で本州から渡道された御開山様の木像です。
力強い智慧と優しい慈悲に溢れたお姿であります。