「パッチギ!」
DVD。
え~、沢尻エリカつながりという(そのまんま(゜∀。)ことで観てみました。
数々の映画賞をもらっている作品なので、いきおいハードルが上がってしまったのですが、観終わって・・・イイ映画ですね。もっと早く観ればよかった。
ネタバレあります・・。
ストーリー的には、1968(昭和43)年の京都を舞台に、日本人の男子高校生と在日朝鮮人の女子高校生の二人の淡い恋を描き、それを軸にして、日本の高校と朝鮮高校との間で繰り広げられる争い、さらには日本と朝鮮との間に横たわる問題も映し出しております・・。
主演で京都府立東高2年生の松山康介を演じた塩谷瞬は私的には初々しく映りましたな・・・。
サッカーの親善試合の申し込みに朝鮮高校へ入った康介は、音楽室で「イムジン河」をフルートで演奏するキョンジャ(沢尻エリカ)に一目惚れします・・。
あれは一目惚れするの解る(+o+)
こういう一目惚れって、たいがいうまくいかないものですが・・・。
ストーリー前半のキョンジャは康介に対して、迷惑そうに「帰ってください」なんて言ったりしとるんですが・・・。
康介はキョンジャ恋しさで、フォークギターを買って、ひょんなことで出会ったヒッピー坂崎(オダギリジョー)の指導の下、「イムジン河」の弾き語りを練習します・・・。
このオダギリジョー演ずる坂崎が、カッコイイっす(オダギリジョー自身がすでにカッコイイじゃんかっちゅう話もありますが)
ストーリーの要所要所に現れて、康介に“考えるヒント”のような言葉や知識を与えるのです。
康介は思い切って、ザ・フォーク・クルセダーズのライブにキョンジャを誘おうと、キョンジャの家に電話(昭和43年ですから、携帯はおろか、「留守電」機能も無い時代です)します・・。
当時はどこかで電話番号くらい分ったんでしょうね~。「ストーカー」などという言葉も無かったこの頃・・・このノスタルジックな感じ・・携帯もスマホもプレステもなかったけれど、現代では無くなってしまった、様々な懐かしい物や出来事、人と人の繋がり方の“温み”なんかを、この映画は映し出してゆきます・・・。
結局ライブには誘えなかったものの、キョンジャの兄アンソン(高岡蒼佑)の帰国お祝いの宴に招待された康介は、その場で「イムジン河」をキョンジャと共演し、宴に参加したのでした。
その時、康介が歌うのを近くで見ていたラジオ局のディレクター大友(大友康平)は、康介に「とてもいい。勝ち抜きフォーク合戦に出てみないか」と、宴に参加してきた・・。
その夜、キョンジャが川原でフルートの練習をしていると、向こう岸から康介が海底人のように川を横切ってキョンジャの前までやって来るという・・・今だったら、「キモイ・・」とか言われそうですが、キョンジャは半ばあきれ顔でも、まんざらでもないようで・・。
しかし、ここで康介の交際申し込みに対して放ったキョンジャの「もし、交際が進んでいって、結婚する際に、あなたは朝鮮人になれますか?」という言葉が、康介に、そして観ているこちら側にも「それまで考えたことのない事物の切り口」となってグサリと刺さってきます・・・。
このセリフは、この作品の「テーマ」であるとも言えると思いました。
この映画は、アンソンと桃子(楊原京子)の間のラブ・ストーリーも描いています。
「フリーセックス」という言葉に乗せられて、アンソンは軽い気持ちで桃子と付き合っていますが、やがて桃子は妊娠します。それをアンソンに言わずに、別れて、自分だけで子供を育てる決意をする桃子の姿勢に、ナースのガンジャ(真木よう子)は胸を打たれます・・。
そして出産費用捻出のために単身打って出たチェドキの突然の死。
その葬儀で康介はチェドキの叔父(笹野高史)から「帰れ!」と怒鳴られます・・・。
チェドキの叔父は搾り上げるような声で、朝鮮からの強制連行や、日本に来てからの苦しみを話し出します・・・。お前たち日本の子供は何を知っているんだ、と・・。
この葬儀のシーン、特に笹野高史演ずるチェドキの叔父のくだりは、インパクトが強いです。この作品のピークがここにあると思いました。
確かに彼が言うように、自分は何も知らないですね・・。二の句が継げません。
この映画で言われているトンネルの工事や、国会議事堂の大理石がどこで切り出されて、どうやって誰が運んだかなど・・しかしそれはほんの一例で・・・。
おそらく朝鮮の人たちの舐めた辛酸は計り知れないくらい酷いものだったのだと思います。この映画を観たのを機に、知る努力をしてみようと思います。
康介は打ちひしがれ、泣きながら橋の上でギターを叩き壊して川に捨てます・・。
ここからのシークエンスに「悲しくてやりきれない」(オダギリジョー・バージョン)がかぶります。
さすがに泣けてきます・・・。
チェドキの家で皆が泣いています。
桃子はバスの車内で破水してしまいます。
アンソンとモトキは川原へチェドキの“弔い合戦”に向かいます・・・。
康介は、出る予定だったラジオ局に半ば放心状態でたどり着き、「歌えない」と言いますが、大友の強い姿勢に押される形で(この辺は脚本が上手いっす(^^♪)「イムジン河」を歌います。
この歌をバックに、川を挟んだ“弔い合戦”が始まります。
まさにこの川が朝鮮と日本の間の、または北朝鮮と韓国の間を流れる
「イムジン河」であるかのような戦いです・・。
そして桃子は男の子を産みます。
チェドキという“家族”を失った日に、新しい“家族”が産まれるという・・。
悲しみに打ちのめされていたアンソンやキョンジャたちに、小さな新しい希望の灯がともった瞬間でした・・。
康介が歌う「イムジン河」は、ラジオを通じてキョンジャへ、そして葬儀に来ている人にも届けられます・・。
ラストは、歌い終えた康介を、ラジオ局の前でキョンジャが待っていて・・・。
という感じです。
脚本がとてもよく出来ていて、シリアスなテーマを扱いながらも、笑えるシーンも随所にあるという・・。
とても素敵な映画でした(^^♪。
ひきばっち的満足度★★★★★
つらい腰痛・肩こり・頭痛など、スタッフが全力でサポートします。
癒しの森整体院
丸ノ内線 新中野駅 徒歩3分
DVD。
え~、沢尻エリカつながりという(そのまんま(゜∀。)ことで観てみました。
数々の映画賞をもらっている作品なので、いきおいハードルが上がってしまったのですが、観終わって・・・イイ映画ですね。もっと早く観ればよかった。
ネタバレあります・・。
ストーリー的には、1968(昭和43)年の京都を舞台に、日本人の男子高校生と在日朝鮮人の女子高校生の二人の淡い恋を描き、それを軸にして、日本の高校と朝鮮高校との間で繰り広げられる争い、さらには日本と朝鮮との間に横たわる問題も映し出しております・・。
主演で京都府立東高2年生の松山康介を演じた塩谷瞬は私的には初々しく映りましたな・・・。
サッカーの親善試合の申し込みに朝鮮高校へ入った康介は、音楽室で「イムジン河」をフルートで演奏するキョンジャ(沢尻エリカ)に一目惚れします・・。
あれは一目惚れするの解る(+o+)
こういう一目惚れって、たいがいうまくいかないものですが・・・。
ストーリー前半のキョンジャは康介に対して、迷惑そうに「帰ってください」なんて言ったりしとるんですが・・・。
康介はキョンジャ恋しさで、フォークギターを買って、ひょんなことで出会ったヒッピー坂崎(オダギリジョー)の指導の下、「イムジン河」の弾き語りを練習します・・・。
このオダギリジョー演ずる坂崎が、カッコイイっす(オダギリジョー自身がすでにカッコイイじゃんかっちゅう話もありますが)
ストーリーの要所要所に現れて、康介に“考えるヒント”のような言葉や知識を与えるのです。
康介は思い切って、ザ・フォーク・クルセダーズのライブにキョンジャを誘おうと、キョンジャの家に電話(昭和43年ですから、携帯はおろか、「留守電」機能も無い時代です)します・・。
当時はどこかで電話番号くらい分ったんでしょうね~。「ストーカー」などという言葉も無かったこの頃・・・このノスタルジックな感じ・・携帯もスマホもプレステもなかったけれど、現代では無くなってしまった、様々な懐かしい物や出来事、人と人の繋がり方の“温み”なんかを、この映画は映し出してゆきます・・・。
結局ライブには誘えなかったものの、キョンジャの兄アンソン(高岡蒼佑)の帰国お祝いの宴に招待された康介は、その場で「イムジン河」をキョンジャと共演し、宴に参加したのでした。
その時、康介が歌うのを近くで見ていたラジオ局のディレクター大友(大友康平)は、康介に「とてもいい。勝ち抜きフォーク合戦に出てみないか」と、宴に参加してきた・・。
その夜、キョンジャが川原でフルートの練習をしていると、向こう岸から康介が海底人のように川を横切ってキョンジャの前までやって来るという・・・今だったら、「キモイ・・」とか言われそうですが、キョンジャは半ばあきれ顔でも、まんざらでもないようで・・。
しかし、ここで康介の交際申し込みに対して放ったキョンジャの「もし、交際が進んでいって、結婚する際に、あなたは朝鮮人になれますか?」という言葉が、康介に、そして観ているこちら側にも「それまで考えたことのない事物の切り口」となってグサリと刺さってきます・・・。
このセリフは、この作品の「テーマ」であるとも言えると思いました。
この映画は、アンソンと桃子(楊原京子)の間のラブ・ストーリーも描いています。
「フリーセックス」という言葉に乗せられて、アンソンは軽い気持ちで桃子と付き合っていますが、やがて桃子は妊娠します。それをアンソンに言わずに、別れて、自分だけで子供を育てる決意をする桃子の姿勢に、ナースのガンジャ(真木よう子)は胸を打たれます・・。
そして出産費用捻出のために単身打って出たチェドキの突然の死。
その葬儀で康介はチェドキの叔父(笹野高史)から「帰れ!」と怒鳴られます・・・。
チェドキの叔父は搾り上げるような声で、朝鮮からの強制連行や、日本に来てからの苦しみを話し出します・・・。お前たち日本の子供は何を知っているんだ、と・・。
この葬儀のシーン、特に笹野高史演ずるチェドキの叔父のくだりは、インパクトが強いです。この作品のピークがここにあると思いました。
確かに彼が言うように、自分は何も知らないですね・・。二の句が継げません。
この映画で言われているトンネルの工事や、国会議事堂の大理石がどこで切り出されて、どうやって誰が運んだかなど・・しかしそれはほんの一例で・・・。
おそらく朝鮮の人たちの舐めた辛酸は計り知れないくらい酷いものだったのだと思います。この映画を観たのを機に、知る努力をしてみようと思います。
康介は打ちひしがれ、泣きながら橋の上でギターを叩き壊して川に捨てます・・。
ここからのシークエンスに「悲しくてやりきれない」(オダギリジョー・バージョン)がかぶります。
さすがに泣けてきます・・・。
チェドキの家で皆が泣いています。
桃子はバスの車内で破水してしまいます。
アンソンとモトキは川原へチェドキの“弔い合戦”に向かいます・・・。
康介は、出る予定だったラジオ局に半ば放心状態でたどり着き、「歌えない」と言いますが、大友の強い姿勢に押される形で(この辺は脚本が上手いっす(^^♪)「イムジン河」を歌います。
この歌をバックに、川を挟んだ“弔い合戦”が始まります。
まさにこの川が朝鮮と日本の間の、または北朝鮮と韓国の間を流れる
「イムジン河」であるかのような戦いです・・。
そして桃子は男の子を産みます。
チェドキという“家族”を失った日に、新しい“家族”が産まれるという・・。
悲しみに打ちのめされていたアンソンやキョンジャたちに、小さな新しい希望の灯がともった瞬間でした・・。
康介が歌う「イムジン河」は、ラジオを通じてキョンジャへ、そして葬儀に来ている人にも届けられます・・。
ラストは、歌い終えた康介を、ラジオ局の前でキョンジャが待っていて・・・。
という感じです。
脚本がとてもよく出来ていて、シリアスなテーマを扱いながらも、笑えるシーンも随所にあるという・・。
とても素敵な映画でした(^^♪。
ひきばっち的満足度★★★★★
つらい腰痛・肩こり・頭痛など、スタッフが全力でサポートします。
癒しの森整体院
丸ノ内線 新中野駅 徒歩3分