「いまを生きる」
この作品は20年前、渋谷の映画館で某Y氏と観て以来である。
原作はナンシー・H・クラインバウムの「Dead Poets Society」。
映画の原題も「Dead Poets Society」である。劇中では「死せる詩人の会」という和訳になっている。
「いまを生きる」という邦題は、劇中でロビン・ウィリアムス演じる英語教師キーティングが生徒たちに、「人は必ず死を迎える・・だから、若者よ、Seize the Day・・(いまこの時を生きるのだ)・・」
という最初の授業でのキーティングの言葉を引用したのである。
物語りの舞台は'59年のバーモント。名門進学高校ウェルトン・アカデミーである。
新学期、新しい英語教師として赴任してきたジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムス)は、型破りな授業を始める。
英語詩の教科書の「概要」部分を破って捨てさせたり、
「言葉は何のために発達したか解るかい!?女を口説くためだよ!!」
など、学校側は眉をひそめていた・・。
キーティング自身も同校の卒業生である。そんな彼が在学中に「死せる詩人の会」
なるものを主催していた事を、ニール(ロバート・ショーン・レナード)が古い年鑑に見つけた。
真夜中に森の洞窟に集まり、皆で好きな詩を朗読したり、自分の詩を発表したりする集まりであった。「今は学校側が許可しないだろう・・」キーティングは学生たちに言った・・。
しかし、毎日抑圧され続けている17才の青年たちは、有志を募って「死せる詩人の会」を復活させるのであった。
全寮制の名門男子校・・。生徒たちの肩には親や教師の「期待」が支えきれないほど重くのしかかっていた・・。
そんな彼らに新任教師キーティングの一言、一言が自由な風を送り込んだ・・。
ノックス(ジョシュ・チャールズ)はクリスという女性に恋をした・・。
トッド(イーサン・ホーク)は自分の言葉で表現することを学んだ・・。
ニールは俳優を志し、「真夏の夜の夢」の舞台に立った・・。
しかし若者たちの夢は、「親の言う通りに生きなさい」の一言で、悲しい結末をむかえてしまう・・。
私事で恐縮ですが、私も学生の頃(ウェルトン・アカデミーのような名門校ではなかったっすが)、親の期待が煩わしくてどうしようもなかった時期がありましたね・・。
親の期待と学校の方針でがんじがらめになって、「自分が本当にしたいこと」が判らなくなったですね・・。感覚が麻痺するというか・・。
まぁ、私の場合は「自分が弱かった」、の一言ですが・・。
そんなこともありまして、この作品は人ごとだとは思えないのです。
キーティングは全責任を負って、学校を去っていきます。
「Seize the Day」・・今を生きろ!私は今でも時にこの言葉をかみしめています・・。
この作品は20年前、渋谷の映画館で某Y氏と観て以来である。
原作はナンシー・H・クラインバウムの「Dead Poets Society」。
映画の原題も「Dead Poets Society」である。劇中では「死せる詩人の会」という和訳になっている。
「いまを生きる」という邦題は、劇中でロビン・ウィリアムス演じる英語教師キーティングが生徒たちに、「人は必ず死を迎える・・だから、若者よ、Seize the Day・・(いまこの時を生きるのだ)・・」
という最初の授業でのキーティングの言葉を引用したのである。
物語りの舞台は'59年のバーモント。名門進学高校ウェルトン・アカデミーである。
新学期、新しい英語教師として赴任してきたジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムス)は、型破りな授業を始める。
英語詩の教科書の「概要」部分を破って捨てさせたり、
「言葉は何のために発達したか解るかい!?女を口説くためだよ!!」
など、学校側は眉をひそめていた・・。
キーティング自身も同校の卒業生である。そんな彼が在学中に「死せる詩人の会」
なるものを主催していた事を、ニール(ロバート・ショーン・レナード)が古い年鑑に見つけた。
真夜中に森の洞窟に集まり、皆で好きな詩を朗読したり、自分の詩を発表したりする集まりであった。「今は学校側が許可しないだろう・・」キーティングは学生たちに言った・・。
しかし、毎日抑圧され続けている17才の青年たちは、有志を募って「死せる詩人の会」を復活させるのであった。
全寮制の名門男子校・・。生徒たちの肩には親や教師の「期待」が支えきれないほど重くのしかかっていた・・。
そんな彼らに新任教師キーティングの一言、一言が自由な風を送り込んだ・・。
ノックス(ジョシュ・チャールズ)はクリスという女性に恋をした・・。
トッド(イーサン・ホーク)は自分の言葉で表現することを学んだ・・。
ニールは俳優を志し、「真夏の夜の夢」の舞台に立った・・。
しかし若者たちの夢は、「親の言う通りに生きなさい」の一言で、悲しい結末をむかえてしまう・・。
私事で恐縮ですが、私も学生の頃(ウェルトン・アカデミーのような名門校ではなかったっすが)、親の期待が煩わしくてどうしようもなかった時期がありましたね・・。
親の期待と学校の方針でがんじがらめになって、「自分が本当にしたいこと」が判らなくなったですね・・。感覚が麻痺するというか・・。
まぁ、私の場合は「自分が弱かった」、の一言ですが・・。
そんなこともありまして、この作品は人ごとだとは思えないのです。
キーティングは全責任を負って、学校を去っていきます。
「Seize the Day」・・今を生きろ!私は今でも時にこの言葉をかみしめています・・。