食欲が抑えられずにひとりでラーメン屋に行ったら、同級生の男ふたりと出くわして非常に恥ずかしかった昨晩でございました(笑)。一緒に行ったらガソリン代浮いたのにさ。医大生・たきいです。
今日は2014年3月11日。東日本大震災から3年が経ちました。
今日はご紹介したい動画があります。
恋するフォーチュンクッキー/宮城・笑顔のバトンプロジェクト
AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」はいろんな企業や自治体で踊って動画をアップするのが流行っていますが、その宮城県バージョンがこれ。見てみたら何人か友達が躍っていました(笑)。流石は地元です。
動画に写っている人たち、みんないい笑顔。こうした笑顔をそっと支えられるような男になりたいです。笑顔のバトンが受け継がれるのをじっと見守れるような生き方をしたい。
震災が起こった日、人生最初の大学受験を失敗した直後でした。幸い山の上に住んでいたのでライフラインが寸断されたくらいで済んだのですが、本を読むことくらいしかやることがなかったもの。予備校の開講も遅れて暇な時間もありました。
そんなとき、母親に誘われて町内会のお湯づくりを手伝いに行きました。ガスの復旧も遅く、ひと月風呂に入れなかったのでお湯が貴重だったのです。熱湯をポットや水筒に入れて持って帰ってもらう単純なお仕事でした。
仮にも今医学部に通っているような人間ですから、中学生くらいまでは優秀で、一応は周囲からの期待の視線を感じることもあったもの。そんな僕は町内会のおばさんからこう聞かれたものです。
「たきいくん、高校卒業だよね? 春からどうするの?」
苦笑いを浮かべつつ、
「浪人っす」
と答えるしか思いつきません。そのおばさんは「なーに、人生での1年くらい」というよくあるフォローをしてくれましたが、その場にいたおじさんたちのなんだかどんよりした雰囲気をひしひしと感じて、自分の無力感に苛立ったものです。通っていた予備校には、「希望の光になろう」みたいな標語が掲げてあって、浪人生という立場上それを冷ややかな目線で見ている他の人も多かったようですが、自分には重圧ではありながらも、自分を支えてくれたフレーズでした。
あのとき、「おれが頑張らなくちゃ」と感じた心を忘れていない生活を送れているかとたまに自問自答することで、生活のフィードバックができることもあります。
栃木の地から、東北の方角を向いてお祈りをする3月11日でございます。
(東日本の医学部36大学で「恋するフォーチュンクッキー」やったら面白いんじゃないかと思った人(笑))
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