出光美術館で開催されている「躍動と回帰」展に行ってきました。
桃山時代の焼き物や屏風絵が中心に展示されています。
焼き物は、唐津、志野、織部などが主で、比較対象として中国の青磁など端正なものもならんでいました。
この時代の焼き物の特長として「歪み、割れ、染み」があげられるそうです。釉薬の流れた跡なども特長だそうです。
整っているものではなく、あえてへこませたり、歪んだ形にしたところに美しさを見い出す日本人独特の感性。
そういえば、前に根津美術館で金継の展覧会を見たときに「完璧過ぎておもしろみがないので、1度割ってから継いでみてはどうですか」と言われて割ったという謂れのあるお茶碗を見ました。
「完璧過ぎておもしろくない」なんて発想はシンメトリーを基本とする西洋の美的センスでは到底はかることはできません。
川喜田半泥子の展覧会では、同じような水指がいくつか並んでいたのですが、やはり整ったものよりも歪んで潰れたような形のものに趣きを感じました。
このようなところに美を感じるのは、移ろいやすい自然の姿を捉えているからだそうです。
釉薬が流れて水滴のようになっている様や、底に溜まってキラキラ輝いている様子は確かに水の流れを留めているようです。
三連休の最後、一人のんびり美にひたるというのもなかなかオツなものです。
桃山時代の焼き物や屏風絵が中心に展示されています。
焼き物は、唐津、志野、織部などが主で、比較対象として中国の青磁など端正なものもならんでいました。
この時代の焼き物の特長として「歪み、割れ、染み」があげられるそうです。釉薬の流れた跡なども特長だそうです。
整っているものではなく、あえてへこませたり、歪んだ形にしたところに美しさを見い出す日本人独特の感性。
そういえば、前に根津美術館で金継の展覧会を見たときに「完璧過ぎておもしろみがないので、1度割ってから継いでみてはどうですか」と言われて割ったという謂れのあるお茶碗を見ました。
「完璧過ぎておもしろくない」なんて発想はシンメトリーを基本とする西洋の美的センスでは到底はかることはできません。
川喜田半泥子の展覧会では、同じような水指がいくつか並んでいたのですが、やはり整ったものよりも歪んで潰れたような形のものに趣きを感じました。
このようなところに美を感じるのは、移ろいやすい自然の姿を捉えているからだそうです。
釉薬が流れて水滴のようになっている様や、底に溜まってキラキラ輝いている様子は確かに水の流れを留めているようです。
三連休の最後、一人のんびり美にひたるというのもなかなかオツなものです。