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今年はなかなか暖かくならず、いつもなら一足早く咲く南側の桜も数日前までは固いつぼみのままで、今週に入ってようやく桜色に色づいて膨らんできました。
今の職場に来て丸5年。満期で異動です。
異動したての頃、今まで出会ったことのないタイプの人にとにかく慣れなくて、GWや長期休暇になると体調を崩していました。
誰が見てもイヤな人っていうのはわかりやすくていい面もあるけど、いい人いい人って言われていても、自分にとってはどうしてもだめな人っていうのは、まわりにわかってもらえない分、けっこうキツイもんですよね。
私にとってはまさに後者の人に出会ってしまったわけで、どうにもダメでご飯食べられないくらい胃がおかしくなった後、「ちょっとでも好きな部分を見つけて、そこを見ていこう」と考えてみました。
そうやって付き合ってみて、なんとかうまくやっていたと思ったら、すべてを覆すようなバッサリ発言をされ、自分で自分の感情をコントロールするのが難しい事態に陥りました。外界から遮断された堅い殻にこもって、耳も目も口も閉ざしていたかった。
そして、そういう状態になった自分に対するその人の態度の冷たさにもビックリしました。要するに自分にとって都合のいい人ならだれでもよかったんですね。持ち上げて、甘やかして、見返りを求めずにgiveしてくれる人。give and takeではなく、 take and giveなんですね。そして最悪なのは、自分ではまるでわかっていないということ。
‘悪気はないんだよね’というのは、ある種のエクスキューズでもあるけれど、本当は一番たちが悪いんだと思っています。だって、悪気がないってことは、悪いことしてるのわかってないんですもの。人を傷つけてても、自分が悪いなんて思ってない。思ってないから、同じことを何度でもやる。当たられる周りはたまったもんじゃありません。
そうやって、どうしようもない関係になりながらも、仕事だから毎日嫌というほど一緒にいるわけで、できるだけフラットな自分を保てるよう頑張りました。そうすると、最悪な関係だったことも忘れて、するすると近付いてくるんです。要は、そんなふうになったのは、自分には何の落ち度もなく、すべては私の問題なんだとでも思っているのでしょう。
その後、仕事に関しては見習うところもあるこの人のいい部分だけ見て、合わない部分はスルーしていけばいい、と考えて過ごしてきました。「いい部分を見つけて少しでも好きになりたい」というのが自分にとっては基本的な考えだったんですね。
一緒に働くのが1年を切った頃「あと少し」と思う気持ちが、今まで我慢してきた気持ちを上回って、イライラがこぼれそうなことが出てきてしまいました。もうね、いっぱいいっぱいだったんですね。
「いいとこ見つけて…」なんて甘っちょろいことは言っていられなくなった。
その頃、自分に向けて書いたメモがPCの横に今も張ってあります。
自分の中の負の感情を認めてあげよう。
「大キライ」でいいじゃない。
期待しない。望まない。
同じ土俵に降りない。
そして、楽しむ!
合わないものは合わないんだから、どうしようもない。
というか、はっきり、キライって認めてしまおう。
仕事だからって割り切るしかないんですね。
そういう状況も斜めに笑ってしまえればいい。
とにかく、堪忍袋を満タンにしないように。
そうこうしているうちに、とうとうこの日になりました。
今日を最後に、「さようなら」です。
なにも振り返らない、感情を揺らさない。
ただ、淡々とこの日を迎える。
でも、なんとか無事にこの日を迎えられたのは優しい人たちが周りにいてくれたからなんです。なにも聞かないけど「おいしいお茶が入ったよ」ってさりげなく誘ってくれる人。バレーしよう、卓球しようってどんどん引っ張っていってくれる人。飲んで、カラオケして大騒ぎに付き合ってくれる人。一緒に笑って、一緒に泣いてくれる人。そういう人たちがいてくれるおかげで、今の私がいられるんです。ありがとうってどれだけ言っても言い尽くせないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
いいことも悪いこともたくさんあった5年間。
よかったことだけ大切に、これからも長くつなげていけたらいいな。
本当に大切なものはなくならないと信じてるから。
明日からは、新しいところで始まる毎日。
気負うことなく、私は私のペースでがんばっていきます。
さようならの桜は、これからが満開だよって言ってるのかな?