以前母が私に渡してくれた若い頃の父等兄弟で写した写真セピア色のなっているが若かりし頃の父はやはり似ていて叔父はまだ幼さが残る初々しい写真、父は享年32歳、叔父は21歳まだ独身だった。
その存在を知る人は今や私ぐらいしかいない、誰一人知られることなくこの世から永久に忘れ去られるのは生を受けた人間として悲しすぎはしないかとの思いで始まった兄弟慰霊像作りだった。父等は二人とも名前に忠の字がついた、だから国家に忠義を尽くし殉死したのだろう。
この兄弟で写っている写真が元になって像の建立を思い立ったのだった、父は中国湖南省の野戦病院で、叔父も同じく満州の野戦病院で食料が尽き飢餓状態で亡くなった病名は戦争栄養失調死とあった。
やりたいと思う事もあったろうに国の礎となり平和な世の中の到来を信じて亡くなったのだろう。今まだ世界各地で戦争が起きており、亡くなられる人が絶えないのを見る時人間の愚かさ、生命の儚さを想う犠牲になるのは何時も何の罪もない市井の人々であり理不尽さを感じざるを得ない。
出征前に撮った兄弟の写真、叔父は詰襟姿でまだ幼さが残る、父は何を見つめているのだろうか。
辞世は父が出征時書き残していったもので私の名も付けて行った。文言は古い記憶から思い出してみたので正確ではないかもしれないが意は汲み取れる。平和の到来と霊の安らかならんことを祈る。