幾つか入っているOB会のなかで最初に働いた企業の旅行があり、被災した南三陸の変電所跡地や震災伝承館を見学し被災者を一時避難所として受け入れたホテル観洋に宿泊してあらためて8年前の大震災を振り返った。
伝承館では向洋高校(旧校名気仙沼水産高校)元教員の方が語り部をつとめて詳しく説明していただいた。震災当時部活動などで在校した百数十名の生徒と教員全員が発災と同時に高台迄走つて避難一名の犠牲者も出さなかったとの事。
地区の古老から常々津波の恐ろしさを語り継がれ、そうした高い意識が死者ゼロの奇跡を生んだものと思われる。
鉄筋4階建ての校舎の屋上部分まで津波が来たそうで校舎に残った職員は建物の上の階へと逃げながら最後は屋上階で流れ着いたアルミハシゴを立てかけてアンテナ塔によじ登り九死に一生を得たという。3階の教室には流されてきた軽自動車がスクラップ状態で残され津波の底知れないパワーに驚愕した。被災された犠牲者に合掌。
左側は津波にドーム天井をもってゆかれた残った体育館高さ13メートルの津波が襲来したという。
島民悲願の気仙沼大島に架かった橋を徒歩で渡る。