Truth Diary

生命の極限、満洲からの引揚者を描く迫真の絵画

 宮城県美術館県民ギャラリーで日中友好協会による「一九四六」宮城展を観てきた。同展は満蒙開拓団として昭和初期から日本の寒村農民を等を満洲(現在の中国東北部)に開拓民として移住させた国の政策で、日本中から田畑を持てない次男三男などを「開け満蒙! 行け満洲へ!!のどのスローガンで開拓団として移民させた。
 その中に私の叔母や大叔父も加わっていたが、中でも多く移民を送り出したのは長野、山形、宮城、福島などで総数32万人を数えた。その後太平洋戦争が始まり昭和20年日本敗戦、当時満洲には155万人もの邦人がいたが政府は邦人救出には動かなかった。
 敗戦で軍人が居なくなった開拓の村にソ連軍が日ソ中立条約を破棄して突如侵攻し老人女子供だけとなった開拓民は虐殺、略奪、暴行などを受け、命からがら帰国船の出る港へ逃げ延び帰還船に乗った。大叔父叔母家族は無事に帰還できたが、叔父(亡き父の弟)は満州で徴用になりそこでで戦死している。
 その満州からの命からがらの逃避行の末に、帰還船乗り場に集まった人達を縦3メートル幅20メートルのキャンバスに5年間かかって描いた作品一九四六(つまり昭和21年引揚開始の年を表わす)で中国伝統の墨絵と油絵を融合させた歴史絵画である。
 疲れ果て怯え切った眼が観るものに臨場感を持たせ訴えるものがある迫力の超大作。

 

バックには海と帰還船が、切迫した生命の必死さ その一瞬を描きとった迫真の大作

作品をバックにインタビューを受ける作者の王希奇さん、「母親の骨箱を抱きかかえた子供の写真が描くキッカケになった、戦争は何時の世でも弱者が苦しむ、今の平和を皆で守らなければならない作者の言葉です。日中友好協会主催の宮城展でした。

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