Truth Diary

懐かしい味に郷愁を

 福島の寒村で育った私は農家の一番目として生まれたが母が農作業に忙しく炊事にさく時間がなく、一番年嵩の私に炊事を手伝わせたくて小学校低学年から、カマドでの薪を使った飯炊きや、味噌汁、漬物の作り方等手取り足取り教えてくれた。こうしたことで、男ながら後々に台所に立つのを厭わなくなったと思う。
 石巻に居を構え、通算10数年を超える単身赴任(一時仙台の大学に通学する娘と2人でアパート生活の時は、親父の特権で作らせた)でも食事作りはあまり苦にならなかった。ただ、社宅に給湯器がなかったので、寒い朝、米を研ぐ時の頭の芯までくる水の冷たさには閉口したものだ。そのお蔭か娘は料理好きいなったようだ。
 食事作りと言っても気ままな単身生活の事、朝は納豆に味噌汁等で済ませ、夕食は酒の肴兼用を作るだけ、人気の無い一人暮らし部屋の暖を兼ねて炬燵の上に鍋を乗せて、鍋ものや簡単な湯豆腐など調理とは言えないものだったが。そんな訳で正月明けお供え餅の始末に、急に、昔母から作らされたスリ鉢での胡麻とクリミの餡を食べたくなり家人に材料を調達してもらい作ってみた。
 幼い頃の私はスリ鉢の押さえ役から始まり、次いでスリコギ棒を持たされクルミや胡麻,じゅうねん(現在はえごまと呼ばれて健康食品とされているもの)をすり鉢で摺り味付けをしたものだが、戦後間もない頃は砂糖が中々手に入らなくて代用のサッカリンという科学甘味料を使ったものだ。幼いころから甘いものはあまり好まず餡餅やクルミ餅胡麻餅等は当時美味いと感じなかったが、この歳になるとなんだかそうした食べ物が急に懐かしくなり食べたくなる。
 童還り(わらしがえり)とでも言うのだろうか。一昨日はお煮〆が作りたくなり大量に作り、3日間ほど食べj続けた、当時とは違い食材も豊富となり当時の貧しく腹を満たすだけのモノとは段違いに美味しくなったはず(調理の腕の事ではない)、しかし囲炉裏で自在鈎の掛けられた鉄鍋で作られた煮〆も劣らずに美味かったと思う。故郷を偲び過酷な農作業に明け暮れた父母の苦労を思う、馬齢を重ねた感傷であろうか。


スリコギ棒は以前山から山椒の大木を採ってきて作ったものだ

囲炉裏の灰の中ならぬ、薪ストーブでアルミホイールにくるみ焼いた薩摩芋簡単に出来る


ブリ大根

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