多聞月記

シルクドゥソレイユのドラリオンをきっかけに中国雑技、サーカス好きになったおっちゃんの月記

不思議な伝統

2010-11-12 23:02:33 | Weblog
裁判員裁判の一つの区切りの判決

こういう裁判がいつかは来るんだって分かりながらついに来た裁判でしたもんね.

私にはこの事件の犯人が死刑になるべきか無期懲役になるべきかなんてことは分かりません.
単純に人が二人死んだだって考えたら死刑ですけど
そうやって簡単に決めないですもんね.
少なくともお金目的とかじゃないみたいですし.
裁判を傍聴したどころか,事件について詳しく調べたりしたこともないんで
どうこう書ける立場じゃないし.

ただ,この記事読んでやっぱり思うんですけど
なんで検察って控訴しないんでしょうかね.
勝てないから
きっとそういうことだと思うんですが,それでも遺族が望んでいるなら
するべきなんじゃないかって思います.

“復讐権”
昔は手続きをして仇討をするのが認められてたりもしましたけど
それぞれが何かされた時に復讐をするのにそれぞれの判断でやってたら収拾がつかない.
だから私達は国に対してその権利を預けたわけです.
国がどういう処置をするかはルールを決めておいてそれに従って行う.
そのルールに照らし合わせた時に
まずその人が本当に復讐を受けるべき人間なのかの審査
そしてどういう罰を受けるべきなのか
を決めるのが裁判ってのが私のイメージなんです.

だからあくまでも元々は私達がもってた権利を国に渡しているだけなんだから
少なくともその内容に遺族が納得できないんだったら結果が見えてても裁判をするべきなんじゃないかなと.


どうも勝ち負けってのにこだわってる気がしてならないです.
検察が起訴したらほぼ全てが有罪判決.
このおかしな伝統がなんとかならないかな~
でもじゃあ起訴します
ってなっても,今までのこの伝統で
なんか私達も“起訴された=悪いことした”
ってイメージが付いちゃうんですよね.
だからその人のその後の生活を考えて,よっぽどはっきりしたクロじゃないと起訴しない.
でもそうするとまた起訴=悪人のイメージが~
なんか悪循環ですね.
コメント
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